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甲子園を目指したあの夏の日

高校球児の夢。それはなんですか?と問われたら、十中八九「甲子園」という答えが返ってくると思います。わたしも、そんな「甲子園」を目指した若者でした。


でもですね。


わたし自身は「野球」が出来なくて、身体も弱かったので、「プレイヤー」として目指すことは早々に断念。野球の素質もなく、ただ単に「中継」で流れてくるテレビの前に釘付けになるだけでした。


田舎の少年には、テレビの中の「甲子園」が全てだったんです。


夏休みになると、テレビから流れてくる、甲子園の中継。夏休みの宿題をやらなきゃいけないのに、外に遊びに行かなきゃならないのに、そんなことをほっぽりだして、好きな「甲子園」中継に没頭する毎日。


あまりにも長い時間、テレビに釘付けになるものだから、親が心配する。それどころか、お決まりのフレーズを喚いて、叱る毎日。


そりゃそうだ。


親からしたら、休みだからといって、テレビを見続ける子供を心配するのは当たり前。朝8時くらいから、夕方5時くらいまで、試合が終わるまで、スキあれば見続けることもあった。あの時は食い入るように画面を見つめてた。


「他にやることなはいのか?」


親でなくとも、そう問いたくなるのは、わかる。でも甲子園中継を観るのが好きだった。


どちらかというと、初戦の対決が好きだ。決勝戦もそれなりにドラマがあると思うけど、初戦の対決はまた一味違った緊張感があるし、何よりも、初戦の勝ちにこだわるチームが多いので、なんとなく全力感が違う。


強豪校もあれば、初出場校もある。実力差があると、大差のスコアがついてしまうが、それも仕方のないこと。でもそれでも、面白さがある。


残念ながらわたしの住んでいた地元は、当時全国的には「あまり強くないところ」だったので、1回戦で勝てるかどうかが関の山だった。もちろん地元チームにも勝って欲しいというのは、あった。


でもそれだけに拘っているわけじゃなく、その試合が終わった後も、地元チームが出てくる前の試合も可能な限り、観てた。


別に贔屓のチームがあったわけじゃない。今年はどこが強いとか、どんな選手がすごいとか、一応情報としては頭に入れるけど、そんなことはどうでもいい。


どちらかというと非力なチームが全力で強豪相手になんとか自分たちの持ち味を生かして戦いを挑んでいく姿に、魅了されていたんだと思う。そして、勝ち負けも関係ない。


試合に敗れて涙する球児を見ながら、胸を熱くしていたものだ。


あれから30年以上が経ったけど、時々また「甲子園」を観たいと思う時がある。最近はテレビも手放してしまったので、画面を見ることはないが、「あのころ」貪るように観ていた高校野球中継を思い出すと、胸が少し熱くなる。


それまでは「テレビの中の出来事」だったのが、社会に出て、実際に球場に足を運ぶチャンスができた。あの夏休みにテレビ中継を貪り観ていたときから何十年後、初めて訪れた「甲子園」に感動すら覚えた。


あぁ、昔、テレビで観ていたのは、ここだったんだ


地元の人たちからしたら夏や春の風物詩だから、甲子園なんぞ「当たり前」の光景なのかもしれない。でもわたしには、ブラウン管を通してしか近づくこと、見ることのできなかった、あの光景がアルプススタンドから眼下に広がっている。


プレーの蘊蓄や強い弱いのデータなどは知らない。自分がプレーヤーでもないのに、語るのは烏滸がましいと思っているから、しない。そんなのはどうでもいいのだ。でも、野球は見るのが好きだ。


金属バットとボールがぶつかる快音も。


もっというと「高校野球を見るのが好き」なんだ。プロ野球とは一味違う。


もしまた自由に移動ができるようになったら、あの炎天下、夏にまたあの球場を訪れて、メガネのレンズ越しに、額に汗しながら、球児たちの熱戦に熱視線を当てながら、スタンドからキンキンに冷えたビールでも飲みながら観戦したい。


観戦が終わったら、ディープな大阪界隈をぶらつきながら、串揚げを頬張りつつ、冷たいビールで流し込み、その日見た球児達の熱いプレーを頭の中で反芻する。至福のひと時だw


わたしの中「あの夏」はまだ、終わらない。そしてこれからも、消えることはないと思う。


それでは、また。

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