ミニマリストといえども好きなモノは買う
極限にモノが少ない生活を営む。それもある意味理想です。だけど本当にそれだけでいいのか?って思いますよね。これまで「必要最低限」という言葉を何度も連呼してきました。
生活に必要なモノだけとみるならば、ごく少ないモノで十分です。だけど、それだけだと生活に張り合いがないのも知っています。
自分の好きなこと、好きなモノは無理して手放さなくていい。好きなモノ・コトは好きと言っていい。そしてそれを手にするために努力する。
これって、悪いコトじゃない。
むしろ「尊いこと」だと思う。好きなコト・モノというのは「目標」にもなる。逆に目標がないと、人生、つまらない。目標といっても大きな目標じゃなくたっていい。
小さな目標だって、立派な目標ですよね。小さな幸せを小さなモノで得られるなら、買うこともやぶさかでは無いです。
クリスマスはプレゼントが一般的です。別にクリスマスだから「プレゼントをしなければいけない」ということはないです。だけど「きっかけ」が必要になることもあります。
「クリスマスだから・・・」と切っ掛けを得るためにあえて便乗するのもいい。時にはそれも必要かもしれません。
ミニマリストを始めた、きっかけはなんだったでしょうか?人それぞれ、色々理由はあると思います。一つの考え方として「本当に自分が好きなのは何なのかを見極めるため」があると思います。
今まで購入してきた宝の山。確かにこれが欲しいと思って購入してきたもの。全部そうなのかもしれません。
だけど全部、同じ気持ちで好きか?と聞かれたらどうでしょうか。優先順位というものはきっとあるはず。それがモノ・コトが多いと『本当に自分が好きだったのは何だったのか』がわからなくなってしまいませんか。モノが多い時代は確かに、わからなくなっていました。
でもですね。
モノを極限まで減らしていくと、自分が何が好きなのか?が見えてくる。その時は「そうでもないな」と思っていても、あるとき「ひょっとしたら」と思えるモノがあるかもしれない。
わたし達が今まで溜め込んできた宝の山にそれが眠っているかもしれない。でも、宝の山からそれを見つけ出すのは、結構大変。だったら一度、宝の山を削り取ってしまってはどうだろうか。
そうすれば、自分の「好き」が見えてくる。そんな気がしてならないです。ミニマリズムはこれまで築き上げてきた宝の山から、本当の宝物を見つける作業なのかもしれません。まぁ、個人の感想ですけどね。
とにかく、好きなモノ・コト、もしそれが本当だとしたらそれは「買ってもいい」と思います。心がミニマムになるよりは、モノ・コトを得ることで、満足度がマキシマムになるなら、それでいいです。
ただし、「本当に必要なモノ・コト」の意識は忘れないようにしたい。すぐ、忘れてしまいますからね。忘れると、モノはまた増えてしまうから、適度にチェックが必要です。
本当、「大事なモノは目に見えない」んですよね。
それでは、また。
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