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北風も太陽も〜人にモノを捨てさせることは出来ない。そして得たモノとは?

ちょっと失敗だったかも知れないエピソードを。現在は、モノ少なく快適に過ごしています。だけど数年前は、わたしもご多聞にもれず、部屋の中はモノで溢れていました。整理整頓しても、なにか片付かない、そんな感覚を持ちながら過ごしてました。


ミニマリストの考え方に触れ、モノを捨て始め、片付け始めてから、生活が落ち着いてきたように感じました。これは効果があると実感できました。


効果があると自分の中で実感すると、これはいいことと考えることにつながります。こんないいことなら、自分だけじゃなく、誰かに伝えたい、そして誰かにも試してもらって、その実感を共感してもらいたい。


こう考えるのは自然の流れです。


もともと「片付けなきゃならないなぁ〜」と感じていたのは、わたしよりも先に考えていた人たちがいます。過去記事にも何度か出てきたんですが「親」になります。


「片付けたい、片付けたい」と年中、呟いている実家の親。そして「モノを整理する、減らす」活動を始めたのは、わたしよりも、実家の方が先でした。


彼らは、今も「片付け」をやっています。だけどなかなかモノは減らない。


わたしがミニマリズムに走り、順調にモノが減って、それなりに整理整頓ができ始めた時に、「片付けたい、片付けたい」と呟く親と話をしました。


北風と太陽作戦


まぁ、わたしも伝え下手なところがあるので、口論になってしまったこともあります。わたしが思う、ダメなところを指摘して、モノを手放しさせようと試みました。


結果は、ご推察の通り。


人にとやかく言われて「やる」のは、誰しも気持ちのいいモノではありませんよね。その視点が抜けていました。親だから、家族だから、気安く話すことはできるけれども、家族といえども、他人の部分があります。


人の考えはそう簡単には変えられない。それを実感しました。


つまり、わたしの北風作戦は失敗に終わりました。


実家に帰省したときに、モノで溢れている状況は、わたしにとっては居心地が良くない。だけど、指摘すると臍を曲げられてしまい、状況は改善しない。ただ険悪になって終わってしまう。


それなら、ということで作戦を変えることにしました。つまり太陽作戦です。


具体的には、指摘は一切せず、ひたすらやる気になるのを待つ。わたしから「モノをどうする」は話さない。親の方から「これ、手放したいんだよね」とか相談があったときに対応する方向に変えました。


あれから数年が経ちました。


太陽作戦を発動した結果、どうだったでしょうか?こちらも想像に難くないと思いますが、結果を見ると、作戦失敗ということになると思います。


作戦失敗で得たモノ


まぁ、今では、「親をなんとかしよう」と思ってないし、なんとか「実家のモノを減らしてやろう、減らすにはどうしよう」という考えもありません。


やるか、やらないかは、結局その、当事者がどう考えるかが重要です。


当事者が必死になれば、やるし、やれる。その気がないなら、周りがいくら言っても動かない。北風だろうが太陽だろうが、同じ。


もちろん、時と場合によっては、北風に靡いたり、太陽に絆されることもあります。だけどそれすらも、変わらないこともあります。


結局、両親がわたしとのやりとりで得たことは、「モノの多さをネタにするコミュニケーション」でしたw

北風をビュービュー吹き付けたおかげで、それに耐え、耐えたことで、身につけたスキルというか、身につけさせてしまったことがあるようです。


この調子だから、実家にあるモノはほとんど減っていない。そして、会話にもあるように、あまり「モノを減らすこと」に注力していないから、これからも言うほどモノは減らないと思う。


でも、それでもいい。


それは、親が選んだ道なのだから、もう、わたしがとやかく言うつもりもない。


結果的に、実家にあるモノは減らないのだけど、モノが減らない代わりに得たものは、もしかしたら、親にとって、そして、わたしにとって、人生のプラスになったのかも知れない。


実家に行くと、モノが多くて落ち着かないだろうけど、この一件で、親もわたしも「かたちのないモノ」を得られたのかも知れない。


そういう意味では「ミニマリズム」に触れたことは、わたしたちにとってはよかったと言えるのではないでしょうか。それは、本当のところはまだ、わからないけども。


それでは、また。

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