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いくら大事なものでも争いの種になるならいらない

一人でなら、持っているものは全て「大事なもの」としても問題は起こりませんけど、一人じゃなく、例えば同棲していたり、家族と住んでいたりしたら、自分の大事なものと、相手の大事なもの、共有できていればいいんですが、どうでしょうか。


あなたも、わたしも、大事なモノ。そういうものってありますか?


趣味が違えば、「大事なもの」が被ることもありませんけど、趣味のものでなくても、お互いに大事にしているモノはありませんか。


例えば同棲していたとしましょう。彼氏、彼女と共に共通の趣味を持ち、共通の財産として、「大事なモノ」があったと仮定します。


果たして、争いなく、その場を過ごせますか?


あれは俺のだ!とか、いや、わたしのものでしょう?!っていう言い争いに発展する可能性もあります。そうなると「金出したのは俺だろう?!」とか「買ったのはわたしよね?管理してるのもわたし!」という喧嘩が始まることも。


まぁ、何が「大事なもの」に当たるのかは人それぞれですが、大事なものがかぶるというのは得てして「争いを生むもの」です。


趣味のモノ、生活に必要なモノであれば、それほど金額も高くなく、争いが起こっても、最終的には、「まぁ、仕方ないか、いい勉強だったな・・・」って思えるかもしれません。


でもですね。


それが高額商品だったら、どうでしょうか?あっさり妥協して相手に「どうぞどうぞ」と言える器量はありますか。わたしもちょっと、自信ない。


日本ではあまり考えられませんが、例えば食糧難だったらどうでしょうか?食料をを奪い合う光景は誰もが想像できますよね。


俺が、わたしが、一番腹減ってるんだ!って。


腹が減っては戦はできぬ。昔の人も「飯」の効能はよくわかっていた。だからこれが「大事なモノ」と考えたら、争いの種になりますね。


わたしたちは必要のないモノをこれまで、手放してきたんですが、果たして「大事だと思うもの」を「争いの種になるから、いらない」と言って、手放すことができるでしょうか。


それでもYESといえるでしょうか。


これまでは「必要のないモノを手放す」に全集中してきたと思います。必要のないモノを淘汰した結果、自分のまわりには「必要なもの、大事なモノ」だらけになっていると思います。


もし、わたしが思う「大事なモノ、必要なモノ」が誰かとの「争いの種」になるということがわかったら、どうでしょうか?


大事なモノ、必要なモノ、捨てられますか?


大事なモノ、必要なモノ、手放すのはものすごく大きな決断です。さらにその「大事なモノ」が、「相手にとっても、必要なもの」であったとしたら、わたしたちは、それを捨てられるでしょうか?


これが捨てられたら、また一歩、人間として大きく成長できるような気がしますよね。気宇が大きいというか、なんというか。


まぁ、心が大きければ、争いの種も捨てられるんでしょうね。


あなたの家の中に「争いの種」となっているモノ、ありませんか?それ、捨てられませんか?捨てられたら、それは、王者です。


それでは、また。



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