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日本→察してくれよ→わたし←説明しろよ←海外

「忖度する」という言葉が流行ったのはいつくらいでしたでしょうか。流行ったころに、ある意味少しネタとして「忖度する」という言葉を使っていた時期があります。


あなたのことを思ってやっておいた、あなたならそうすると思って動いた、まぁ平たくいえばそういう文脈で使われることが多いですよね。


忖度するのは日本の文化。本当にそうなのかな?って思うのですが、どうやらそうらしいのです。


まぁ、「忖度する」というのを半分冗談みたいな感じで使っていたところもありますけど、まだまだ、わたしたちの生活の中で「忖度する」文化はたくさんありますよね。


この「忖度する文化」がやはりというか、なんというか、外国人にはやっぱり伝わらないわけです。


全般的に「言わんでも、わかるやろ」っていう雰囲気はあるし、「皆まで聞くな。大事なとこだけ聞け」っていうところもそうだし。的を得ていて、思惑どおりに動けてたのであれば、いちいち言わなくてもいいし、説明する必要もない。


これ、上長からすると、とっても楽なんですよね。


上手く行ったときは、素知らぬ顔でそのまま。まぁ、気づいて「ありがとう、君のおかげだよ」と言ってくれる人も中にはいるけど、少ない。


典型的なのは失敗したとき。「俺はそんなことを言っていない。あいつが勝手にやった」ということもできる。


忖度するという言葉は、上の立場に立つ人にとって都合の良い言葉はない。


上下関係がなくとも、「忖度する」ことで上手く行くこともあれば、上手くいかないこともある。この環境は、わたし達の文化ならではなのかもしれないです。


一方、では海外ではどうでしょうか?


当たり前ですけど、彼らに「忖度する」という文化はありません。前もってフォローするくらいが近いですけど、でもそれも「前もって、説明する」というふうに捉えられるような気がします。


いや、「説明するんじゃないんだよ、相手のことを慮って、何をしなきゃいけないのかをわたし達が考えて行動するんだよ」と説明しても「???、聞いたほうが早いんじゃね?」ってなるだけです。


多分、半分も理解されないでしょう。文化の違いってやつでしょうか。


そういうところに身を置いていると、ときどき、とても困ることがあります。もちろん仕事での話になりますが、例えばこんな話。


日本側からある案件の説明を、わたしが受け取りました。海外メンバーにも、説明が必要な案件です。その時点でわたしから見ても、その資料は「説明が不十分」でした。わたしから「この説明では不十分だから、資料を直してもらうか、十分な説明をして欲しい」と、日本側にお願いしたところ、帰ってきた答えがコレ。


「察してよ」


まぁ、こんな直接的な表現ではありませんが、端折ってまとめるとこんな感じ。


そんな不十分な説明を、海外メンバーにしましたけど(担当者の意向もあったから)案の定、メンバーからは「よくわからない。日本側は何を言いたいの?」って感じで「ちゃんと説明してよ」ってなりました。


とまぁ、こうなるので、日本の方には「海外メンバーに説明するなら、より丁寧な説明をお願いします」と。そしてメンバーには「どこが不十分か、よく見て」とお願いしています。


文化が違うと意思疎通がうまくいかない。言葉の問題ももちろんありますが、それだけじゃない。言葉がわかっていたって、裏にある背景や文化がわかっていないと、やはり難しい。


そういうときは、こう叫びたくなります。


まぁ、海外で苦労して仕事している人は、多かれ少なかれ、「忖度する」「忖度しない」せめぎ合いの中で、日々苦労されているんだろうなぁ、と想像しつつ、わたしも目の前の仕事に取り組まざるを得ない感じです。


コミュニケーションは言葉だけ上手でもうまくはいかないので、その国の文化も頭に入れて仕事をする。海外と仕事をするということはそういうことも頭に入れて取り組みたいですね。


それでは、また。

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