持たざる者
「持たざる者」と聞いて、何を思い浮かべますか。持たざる者。うーん、ちょっと想像がつかないような気もしますが、ここは考えてみましょう。
持たざる者というのは、決してモノを持ってない人というわけではありません。わたしは、意図的にモノを減らして、モノを持たないようにしているので、実質的にモノは持ってない者ですが、「持たざる者」とはちょっと違います。
「持たざる者」の意味は、「持ちたくても持てない人」という意味と考えます。
モノを例にとって考えてみます。もしも「家」を持ちたいと思ったら、どうでしょうか?「家」を持つためには何が必要か?を考えたら、まず第一に浮かび上がるのは「莫大なお金」ですよね。
一般的な生活をしている人が、「家」を買おうと思ったら、現金でポーンと買うことはできず、大抵の人は「住宅ローン」を使って、買う(ローンを返すまでは、借りているような感覚ですが)ことになります。
残念ながら人によっては「住宅ローン」を借りることができない人もいます。そうなると、元々、家を買えるだけの資力を持たない人は、もはや「家」を買うこともできませんよね。
そうなると、その人は家を「持たざる者」となります。
まぁ、この場合は「お金を持っているか、否か」あるいは「土地を持っているか、否か」などによって、色々条件はかわります。
「持たざる者」は何も、モノだけにあらず。
例えば、「スキル」を持たざる者も世の中にはたくさんいます。
わたし自身も必要な「スキル」を持って、日々暮らしているわけではなく、スキルがない、乏しい中で、えっちらおっちら、なんとか乗り切っている感じです。
生活スキルもそうですけど、何か一芸に秀でる、例えばスポーツができるとか、楽器が弾けるとか、絵が上手く描けるとか、語学が達者だとか、他にも数えあげればキリがないですけど、そういう「スキル」を持っているかどうか、それは人それぞれです。
持ちたいスキルと、持てるスキルは違うこともあります。
本当は、環境や好み、自分のやりたいことに対して、スキルを持てればいいのですけれど、そううまくはいかない者です。
そういう意味では「持たざる者」なんです。
だけど、「持たざる者」だからと言って、悲嘆する必要はありません。「持たざる者」だからこそ、持てるモノやコト、スキルを精一杯使って、「楽しんで仕舞えばいい」んですよね。
理想とする「持ちもの」を得ようとするのもいいんですけど、今ある持っているもので勝負する、うまく使いこなすとどうでしょうか。その方が、苦しむよりも、喜びや、楽しさを発見できるかもしれませんよね。
「持たざる者」 それはわかっている。
でも「持たざる者」だからこそ、その中で何ができるか、器量いっぱいに、何を生かしていけるのか、もう少し考えて、日々の生活に取り組みたいですよね。
それでは、また。
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