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手放してまた買うことで得られる経験の尊さ

掃除機を手放しました。当時、「モノを持たないこと」を強烈に実践しようとしました。「掃除機はいらぬ」ということで、手放しました。代わりにホウキが掃除機の代わりを努めました。


そして今はというと。掃除機を使っています。


はい。


わたしにとって掃除機は、どうやら「必要」ということのようです。掃除機がなくても掃除はできる。これは、確かにそうでした。


モノが無くなり、スペースが広がりました。掃除もしやすくなったので、ホウキで十分でした。ただ、細かい埃を取る場合はホウキだけでは不十分で。雑巾掛けかモップ掛けをする必要がありました。


あとですね。ホウキだけあればいいわけじゃなくて、チリトリも必要です。


そうなんです。


きちんと掃除したい時は、このコンビネーションが必要です。後やっぱり、ホウキでは細かい埃は取りづらいということです。それだったら、ハンディ掃除機でササッと吸ってしまった方が良くないか?という結論に達しました。


あと、現在の家は「一人で住むには広すぎる」のです。ということは「掃除する面積も広い」ということです。そう考えると、掃除機の方が手早く掃除を終えられるのです。ということでホウキは第一線から活躍の場を退きました。


そうなんです。


使う道具は適材適所。使用環境によってもその最適化が左右されます。無理してホウキを使い続けても良かったかも知れません。しかしそれだと、圧倒的に時間がかかる。


それよりは少しモノが増えるけど掃除機を導入してもいいじゃないか。一旦手放した掃除機を再び導入しました。お金の使い方が「無駄」とか「もったいない」とか思われるかも知れません。


でもですね。


お金を使ったからこそ「適切なモノの使い方」を知ることができた。わたしにとってはこちらの方が価値があることだと思っています。それが分からなければ「掃除は掃除機でするものだ」から抜け出せなかったでしょう。


それでも良かったかも知れない。だけどそれ以上の経験は得られませんよね。


買って、手放して、また買う。


一連の行為を考えると「無駄」に思うかも知れません。でも経験することで、それが無駄ではなくなることがあります。何も掃除機の例だけじゃありません。


「手放したけど、また買ったもの」あってもいいんです。それを経験しないと本当に必要なものがわからないのだから。まわりみちかも知れませんが、仕方ないんです。経験しないと分からないことが、あるのだから。


「何事も経験」と言いながら「モノを捨てて、買い直す経験」はしてはいけないという。それは、どうなんでしょうね。


わたしは違うと思いますけど、あなたはどうですか?


それでは、また。

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