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臆病で弱っちい、ただの人間です。

自分で言うのもナンなんですが、臆病で弱っちい、ただの人間です。まぁ、ペンネーム?というか、ナンというか、今の名を名乗っているのも、そこから来ていると言うのもありますけどね。


人付き合いが苦手、と言うのも、ただ臆病で、弱いだけなのかも知れません。何かを恐れている、というか、具体的に言うと、誰かから非難される言葉を浴びせられるのも嫌だし、そもそも、相手から嫌われるのも嫌。


まぁ、そう言うことばかりしていて逃げていると、自分の人生を自分のやりたいように過ごすことはできなくなりますけどね。



だから、よわむし。


嫌われることによるダメージを受けるよりも、自分が我慢して、心に受ける傷の方がまだマシ。どこかそんなふうに考えているから、「嫌われたくない」と考えて、結果、八方美人で終わる。


そうなのかも知れません。


ある意味、それは臆病だからその道を選んだのかも知れませんね。


あまりネガティブな言葉ばかり吐いていても、暗くなるだけだから、もうこの辺にしておきたいんですが、どうでしょう。


臆病であること、弱いことって、ダメなことなんでしょうか?


臆病であると言うことは、裏を返せば、危機管理能力が高い、あるいは危険センサーの感度が高いと言うことなんじゃないでしょうか。そう考えると、生き残るのは、命知らずよりも、臆病者の方が確率が高い、と言うことも考えられます。


弱いと言うことは、弱さを認めると言うことです。


弱いばかりが悪いわけじゃない。柔よく剛を制すっていう言葉もあります。強いからといって、必ず勝てるわけじゃない。柔 → やわらかい、すなわち少し弱いイメージがありますが、逆に弱いところがあるから「しなやか」な面もある。


強い、硬いだけでは、衝撃に弱いというのはありますよね。


硬軟合わせ持っている方が、実は強かったりする。そして弱くても、どこか強いところがあれば、その組み合わせが最強となる。


強いばかりじゃ、弱いところを見つけるのは難しいけど、弱いばかりのところから、強いところを探し出すのは、それほど難しいわけじゃないかも。


臆病で、弱い。周りからそう思われていれば、ずいぶん楽に人生を送れるかも知れません。「あいつは臆病だから」「彼は弱いから」そう思っていただけると、まぁ「無能」のレッテルを貼られるかも知れない。


でもそれでいい。


周りからそう思われても、それを自分が気にしなければ、相手はわたしに対して期待もしないから、その分、自由でいられる。


えてして周りの期待を一心に背負って、プレッシャーをかけられた中で何かを成し遂げるということも、崇高で素敵なことだけど、それは選ばれた人のみができる芸当だと思います。


わたしにはそんな器ないです。


自由でいられるのは「臆病で、弱っちい人間」ということを自覚して、それを周りにも認めてもらうのが、近道かも知れませんね。


それでは、また。




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