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年季が入ったモノ=愛用品か?

ものが少ない生活、必要のないモノをバッサバッサと切って切って斬りまくってきました。今残っているモノは少数精鋭。そんな生活を送っている人も少なくないかと思います。


モノを手放すと同時に、モノのアップデートも同時に行い、使い勝手の悪かったもの⇨使い勝手のいいモノに替えていく。やり続けることで、身の回りのモノは厳選されていきます。


なので、古いモノはなかなか「手元に残りにくい」傾向があります。


機能で考えると、古いモノはどうしても新しいモノに対して、見劣りしてしまうところが多い。新製品、新開発のモノ、出てきたらやっぱり「使ってみたい・試してみたい」し、そして「わたしの生活、もっと良くなるかも!」って期待してしまいます。


それが悪いとは思いません。


モノを手放して、少なく生活するのは、ある意味「快適を追求する暮らし」でもあると思っています。


でもですね。


古いモノでも、使い勝手が良かったりする場合もあるし、愛着が生まれるモノもあります。思い出のモノだったりね。


自分との歴史が長いモノ・短いモノ、いろいろあるけれど「愛用品」という位置付けはどうでしょうか?


付き合いが長いもの=愛用品と呼べるか?

付き合いが短いもの=愛用品と呼べるか?


歴史が長いモノが愛用品というのなら、ではどれくらい「使い込んだら、愛用品」と言っていいんでしょうか?


わたしには良くわかりません。


使い込んだ長さを言うのなら、こんなものがあります。


モノ少なく暮らしていても、時々、こういうモノがあります。紙を綴じる行為というのは、この数十年、かなりの頻度がありました。


最近、プライベートでは「紙」もほとんど使わなくなってきましたが、オフィスではまだまだ「紙」を使うことがあります。


なんだかんだで30年以上、使い込んできたシロモノであります。コンパクトサイズなのが当時は珍しくて、ホッチキスといえば、ごっつい大きなものか、ワンサイズ大きなモノが主流だったかと思います。


小さくて使いやすかったので、今日まで、手放さずに残っていました。


ただ、愛用品か?と問われたら、わたしの中では「微妙」です。そうでもある気がするし、そうじゃないような気もする。


多分、似たようなサイズの、ホッチキスが手に入ったら、どちらかを手放すことになると思います。果たしてその時、古い方を手放すか?手放せそうな気もします。


だけど、わたしから積極的に「新しいホッチキスを買う」ことはもうないと思います。そうなると、ライバルが現れる可能性がほぼ、ない。


そうなると、これは、残り続けるでしょう。でもそれでも「愛用品」なのかと言われるとそうじゃない。まぁ、愛用品以外、持っちゃいけない、ということもないんですけどね。


それでは、また。

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