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実家に居場所を求めるな

実家を出て、すでに20年くらい経ちます。時々帰ると当時住んでたころの自分を思い出したりしますけど、最近思うのは「もう、居場所はないな」っていう感想です。


もう、わたしがいた頃の実家ではないのです。


当時持っていたモノは残っていないし、溢れるモノは全て実家のモノ。まぁ、当たり前っちゃ、当たり前なんですけどね。間取りは変わっていませんので、名残はありますけど、ほとんど全てのモノが「ヨソ様のモノ」なんですよね。


実家といえども。


帰省した時には、寝る所くらいは一応確保してもらいますけど、モノに囲まれているので、どうにも落ち着かない。


やはり、ここにはわたしの日常はもうない。


同居するとか、いつか実家に帰って過ごすと思うなら、いろいろ考えておいてもいいのですが、差し当たって、今のところわたしが実家に戻ることはない、と考えています。

家族がいるのに、寂しい奴だ、血も涙もない奴だ、まあ、そう思われても仕方ないです。でも、やりたくないことは、したくない。今はそういうスタンスです。


実家との関係性が悪いわけではありませんが、やっぱり「ずーっとそこに、いるべきではないよな」というマイセンサーが働くわけです。


煩わしさを感じるというか、家族ではあるものの、外様感覚があるんですよね。


まぁ、それは長年離れて暮らしていたからというのはあるし、考え方が違うといえばそれまでなんでしょうけど、それを無理に合わせる必要はないと思うんですよね。相手を尊重するし、その分、わたしの言い分も尊重してほしい。


親子だから、いいだろ。とか、親子だから、ダメ!というのは無しにしたい。


切っても切れない関係だというのは、わかっているんですけど、生きている世界だったり、場所だったり、時間だったりはやっぱり「同じ」じゃないわけで。


たまに話をするくらいが丁度いい。


お互い、ストレスを溜めないでいられるのも、それくらいの距離感を保つ方がいいのかも知れません。まぁ、今は物理的な距離がかなりありますからw


どうしても実家に戻りたいなら別ですけど、あえて言います。


実家に居場所を求めるな!


実家暮らし、あるいは、実家に近いところに住んでいると、楽なことはたくさんあります。だけど、それだといつまで経っても、お互いに自立できない。


子は親に甘え、親は子供に依存する。


共倒れしてしまう家庭をたくさん見てきました(言うほど、たくさん見てないかも知れないですが、わたしには十分でした)。


本当に困った時でいいと思っています。


まぁ、そう都合よく受け入れられるかは、日頃の行いかも知れません。それでダメだったら、まぁ「仕方ないよな」って思えるくらい、達観できるといいのですが、どうでしょうね。


また、実家暮らしをしていると、どうも「モノが増える傾向」にあるんですよね。わたしのように実家が「モノで溢れている」と、そこに住む人は皆「モノ持ちが多い」傾向にあります。一家揃ってモノが多いってやつ。


独立不覊を保って、「わたしはモノが少ない」を貫くのはかなり難しいのです。身近にいる人たちのモノが多いので、どうしても感化されやすくなってしまいます。かくいうわたしも、当時はモノで溢れていました。


もちろんその逆で、モノが少ない家出身だったら、少なめで生活はできますけど、それでも他人と共有するモノが多いし、他人のモノだから捨てるわけにもいかない。


こんな感じで、煩わしさを感じてしまうんですよね。


そうなるとやはり「実家に居場所はない」と思います。どちらにしても、一度、離れて住んでみるのは、人生にとっては必要なことだと思います。


日常は実家で作るのではなく、自分で確立するもの

成長したくば、早く実家を出るべし!


わたしはそう思います。


それでは、また。



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