見出し画像

自分で自分を上機嫌に出来ますか

喜怒哀楽の少ない人間だと思っていたんですが、そうではないということが、最近わかってきました。周りから見ると、起こっているのか、喜んでいるのか、哀しんでいるのか、楽しんでいるのか、よくわからないかもしれません。


ところが、腹の内ではマグマが煮えたぎる思いをしていたり、肝を冷やすくらいの冷風が吹いていたりするんです。


ということは、喜怒哀楽がないんじゃなくて、あるということですよね。


「あんた、喜怒哀楽ないんじゃないの?」って言われたことありますけど、それは喜怒哀楽がないんじゃなくって、表情が乏しいだけだったのか、あるいは、「あなたといると、ちっとも感情が湧き立たない」だけかもしれません。


まぁ、あっさり言うと、楽しくもなかったということか。


もしかすると、喜怒哀楽を制御するのに、自分でコントロールができていたのかもしれませんよね。わたしが「そうだ」とは言いませんが、自分の感情というか、機嫌を取れると最強だと思うんですよね。


ちょっと悲しかった時、自分で慰める方法を知っている。

ちょっと腹立たしい時、自分で宥める方法を知っている。

ちょっと嬉しかった時、自分で冷静になる方法を知っている。


ときには感情を爆発させることも必要かもしれませんが、過度に爆発させてしまい、周りの人たちやパートナーに影響を与えるようになってしまうと、少し迷惑をかけてしまいますよね。


ときには迷惑をかけても、「お互い様」のところがあるので、仕方ないなぁと思うところもありますけど、できることなら、感情を表に出して迷惑をかけるようなことはしたくないです。


それだったら、自分の機嫌は、自分で取るように、そして自分で取れるようにしたいんですよね。


感情をミニマムにしたいわけじゃないんです。


どちらかというと、出てくる感情を理解して「あ、ワタシ、これで怒ってるんだ」とか「あ、これが楽しいんだ」って、俯瞰して味わって、そしてクールダウンする。


一呼吸置くということかもしれません。


そうやって、自分の感情を理解して、出てくる感情を味わうと、自分で自分の機嫌を取れるようになれますよね。


それがいいことなのか、悪いことなのか。


感情的な人から見ると、ちょっと物足りない気もします。


なんで、楽しいときに楽しさを爆発させないの?なんていう質問がきそうですが、感情とは、楽しい時ばかりじゃありませんよね。苦しい時もあれば、悲しい時もある、そして腹立たしいときもある。


そういうときにいちいち過敏なセンサーが、ボルテージを振り切ってしまうとどうでしょうか。まぁ、本人がスッキリすればそれでいいのかもしれませんが。


ある程度「人様に迷惑をかけない」ことも大事

そして「迷惑をかけるのも仕方ないじゃん」も大事。


日本的な考えだけど、まだまだ、人様に迷惑をかけないことの方が支配的なのかもしれません。でもそれでいいんですよね。


それでは、また。




この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,258件

よろしければサポートをお願いします。次の記事の執筆の励みになります!