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ミニマム才能でこれからも暮らしていく

取り立てて才能はないし、特技もないし、何か光るような趣味もない。はい、そういう人、どれくらいいるでしょうか?わたしもどちらかというと、このカテゴリーに入ると思ってます。


凡才。


ちなみに冒頭の絵は「ひつじ」です。わたしも絵心がないですが頑張って「ひつじ」を書いてみました。



天才でもなければ、秀才でもない。もっというと、何かに優れているわけでもなければ、努力して積み上げて、気がついたら「凄いこと」ができているわけでもない。そういう人のことを、凡才という。


でもですね。


凡才は、凡才で良くね?って思うんです。凡才の何が悪いのか。まぁ、誰も凡才であることに関して「それは、悪いことだ」なんて、非難することはできませんよね。


非難することしかできない「凡才」と言われる可能性があるから。


何も凡人を悲嘆することはない。


そりゃ、何かに秀でていたら、それを好きにして、とことん追求して、それに向かって何かを成し遂げる、それが人生の一部になる、そういう生き方は鮮烈で、凡人からすると、とっても素敵に見える。


ある種の憧れというか。


人は自分にないモノを求めたがるというのは、ありますよね。自分ではどうにもできないことがあるから、モノでそれを代用する。


モノが増える理由で、どこかで聞いたことがあります。


モノなら買うことで補えることもできますが、スキルや、才能についてはお金では買えませんね。地道な努力と、修練、そしてそれを凌駕する才能。どれが欠けていても、身につくモノではないと思います。


だから、一芸に秀でた人をみたり聞いたりすると、やっぱり「すごいなぁ〜」と思うのは、わかりますよね。


自分もそうありたい。


そう思うのは自由ですが、「現実」というものがあります。例えばわたしが今からピアノをひいたとしても、ピアノが弾けるようになるとは思えない。



何か一芸に秀でるような研鑽を積んできたのか?と問われれば、残念ながら、そんな興味もなかったし、それをやりたいと思うこともなかった。今更ですが、もっと若い時にその機会があったなら、そう思う強い意志があったなら・・・。


まぁ、中年男性の嘆きですけどねw


今からじゃ、どう足掻いても手遅れ。それはわかっています。わかっているからこそ、一芸に秀でた人は尊敬に値する。本当にそう思います。


ピアノのメロディを聴くだけで、涙する。

素敵なイラストを見るだけで、心がほっこりする。

感動的な演技を観るだけで、満たされる。


芸術の分野でそう思うだけではなく、漫画やアニメ、ドラマからだって感情を揺さぶられるシーンというのはありますが、それを共有するだけで、満たされる気分になるわけです。


これは、若輩の頃にはなかったこと。


「歳をとると涙腺が緩む」そんなことあるんだろうか?なんて思っていたところもありますけど、40歳をゆうに超え、世知辛い世間の荒波に揉まれ、何となく世の中がわかってきた頃、「そんなことはない」と思っていたところがあるんです。


でも逆でした。


酢いも甘いも体験した今だからこそ「涙腺が緩む」というか、情景がよくわかるようになってきた。そんな凡人です。いや、凡才です。


一芸に秀でなくても、凡才、共感できるところがあれば、もうそれでいいじゃないか。と思うんですよね。


残念だけど、それしかできない。でもそれでいい。


それでは、また。


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