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私にとって星野源さんが結婚したこと

星野源さん、ご結婚おめでとうございます。
マジ?!すごい!ヤッター!ワーイ!!!
最初に出てきたそんな感情と、後からじわじわ生まれた感情についての話をします。

私は星野源さんがめちゃめちゃ好きです。
といっても、オタクというよりちょっとしたファンという程度で、シングルはほとんど持ってるけど、ファンクラブの更新とかすっかり忘れていたし、前に買ったYELLO MAGAZINEとか読むのもったいなくてまだ未開封だし、ライブも行ける時に行くくらい。ラジオもあの時間帯なのを言い訳に、ほとんど聞けていない。出版している本は、まだ一冊しか読めていない。
つまり追っかけというほどでは無い。

ただ、彼の作る音楽も、紡ぐ言葉も大好きだし、テレビやラジオや雑誌なんかで垣間見られる彼の考え方や、様々なものに対する向き合い方も、生き方も好きだ。
1人の芸能人として、人として、とにかくとても好きなのだ。
行動や使う金額には反映できていないけれど、好きで好きで大好きで、その感情の大きさに嘘偽りはない。

だから、今回の結婚報道を聞いた時、最初に浮かんだ感情は「嬉しい!おめでとう!」だった。もちろん。
うわ〜!ついに結婚か〜!結婚したいゆーてたしなあ。え!しかもガッキー?!夢のような結婚やん!ワオ!!!

しかしだ。
ふと、そういえばまだ聞けてなかったな、と思っていた新曲、「不思議」の冒頭を聴いた途端のことだ。なんだかもやもやとした感情が浮かび上がってきてしまったのだ。
その時から、ちゃんと聴けていない。CDは買うつもりだけど。

これまで、彼が作る歌の、歌詞の、感情の対象が、私たち聴く側にとっては、ぼんやりと、抽象的だったのが、
今回の結婚報道を機に、対象が間違いなく具体的で確実な、明確に存在するものになってしまったように感じた。

あのぼんやりさが、様々な環境、境遇、国や性別の人達、そして私に刺さり、共感できる1つのポイント、良さだと思っていた。

これは単に受け取る側の、極端な話、私だけの問題だ。対象が明確な方が聴いていて盛り上がる人もいるだろう。
けれど、ラブソングの甘さが甘ければ甘いほど
そのもやもやは強くなってしまって、
これから私は源ちゃんの曲を聴いていけるのかな、と少し不安になっている。
時間が必要かもしれない。

私は昔から、もう10年以上RADWIMPSも大好きで。
野田さんには昔大好きな彼女がいて、
おそらくその彼女に向けたラブソングばかりだったんだと思う。
存在が明確であること自体は、源ちゃんのことと同じだ。
ただ、私にとってよーじろーの彼女さんは、顔も名前も声も、どんな人かも知らない人で、
どちらかというと存在がぼんやりしている方だったのかもしれない。
だから受け入れられた。共感できた。

私はもしかしたら源ちゃんに、素朴でミステリアスな、1人の男性でいて欲しかったのかもしれない。
だから、私の中では、結婚とか家庭とか、そういう現実的なものとうまく結びつかない。
彼が幸せならそれが1番だと思いつつも、これはただの、私の理想の押し付けに過ぎない。星野源はこんな人であってほしい、という、それだけの。

それから、こうやって色々考えをこねくり回している中で思ったのは、
自分の孤独を、彼の孤独にずっと重ね合わせていたのかもしれない、ということ。
もちろん、彼自身は遠い遠い雲の上の存在だ。けれど彼の作る音楽は、私に限りなく近いと思っていた。彼という人間は遠い存在のはずなのに、作るものは、いつだって隣に、目の前に、時には背中を押すために後ろに、時には自分と重なって、いつもすぐ側にいた。どこかに身近さがあった。

そんな彼が、今まさにアラサーを目の前にした私がぶつかり、悩み、ナイーブになっている「結婚」という問題に関わり、達成したことで、
より一層遠い存在になったような、妬み嫉みのような、羨望のような、何かよくわからないけれどそんなような感情がじわじわ生まれているような気がする。

同じ孤独を背負っていた彼が(そう思いたいだけできっと同じなわけないけれど)、結婚することでその孤独から解放され、私は置いていかれてしまった、そんな感覚を持ってしまったわけだ。

アマプラで引っ越し大名見ようと思ってたんだけど、いつ見ようかなぁ。

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