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「足りない自分」を埋めるのは、自分が手にしたその一歩だけ

生きていると、「足りない自分」という存在にいろんな場面でぶつかることがある。

部活動のレギュラーを狙いたいけど、技術が足りない。第一志望へ行きたいけど、学力が足りない。昇進したいけど、実力が足りない。

悔しい。「足りない自分」であることが悔しいし、明日すぐに「足りた自分」になれないことも悔しい。

でももっと悔しいのは、そういうときすぐそばに、自分に足りないものが「足りている人」がいたりすることだ。

先輩、上司、天才、一番。生きてきた年数、経験、技術、学力、実力、思考力、暗記力。「足りない自分」と、「足りてる人」の間にはそういう越えようにも越えられない透明な壁があって、そして彼らは言う。

「大切にしたのは、好きって気持ちです」「ずっとそのことを考えていたからで」「別に地位とか名誉とかいらないんですよ、ただやり続けただけ」

いったい、いったい私には何が「足りない」のだろう。



2022年7月23月、土曜日。昼12時55分。アイスティーをそばにセッティングしてパソコンを開く。今日は「企画でメシを食っていく」通称企画メシ2022の第2回講義の日。

第1回目は、主宰・阿部広太郎さんの定義と言葉で満たされた濃密な2時間だった。

「あなたは何者にもなれない。だけどあなたは、あなたになれる」。その一言が、もう一度私の頭の中で鳴る。なぜなら今回提出した課題に自信がなかったからだ。


課題提出締め切りの夜は、少しだけお腹がうずうずする。

課題という名目だけれど、正解はない。でも、正解がないからこそ、企画生が提出した全課題が共有されたとき、自分自身が浮き彫りになる。

ああ、そっかあ。そうやって解釈したら“よかったなあ”。そうやって企画書を作りこめば“よかったなあ”。あ、この企画、きっとすごくいい企画なんだろうな。

そうやって、「足りなかった」自分が浮き彫りにされる。課題について考えた時間。企画書を作りこむスキル。今日の講師である大井洋一さんを調べた量。締め切りの夜、「よし! これで考えきった!」と思っていたはずなのに、自分の手から離れた瞬間、交換するようにうずうずがお腹に溜まる。


「それでは第2回目を始めます! 大井さん今日はお願いします!」

阿部さんの掛け声で、大井洋一さんがゲストの2回目が始まる。

大井洋一さんは、水曜日のダウンタウン(TBS)や、チャンスの時間(ABEMA)の構成を担当する放送作家で、脚本家でもあり、格闘家でもある。三足の草鞋を履いているお方で、超人のよう。きっとすごい人なんだろう。


「大井さんは学生時代どんなことに夢中になっていたんですか?」阿部さんがふんわりと大井さんに質問する。

「ぼく、ラジオが大好きで。学生のころは、ハガキ職人をしていましたね。自分で自分にノルマを作って、毎日毎日その枚数を放送局に送り続けてた」はははっと笑いながら答える大井さん。

「どうやって腕を磨かれたんですか?」

「いや~磨くなんてできないですよ。もうとにかく書いて出して、書いて出してその繰り返し。自分が面白いと思ったものをハガキにぶつけるしかないし、他の人のハガキが読まれたときはそれが良かったのか、って」うん、そう、それしかないんですよね。小さく呟いた声。


それから話し始めた大井さんの核は「とにかくいろんな人にハマりたい」というもの。大井さんは学生のころから放送作家になりたくて、お笑い劇場に出入りしていた。その時代、大井さんのお給料は500円かそこら。それでも少しずついろんなところから声をかけてもらえるようになる。

今では、「こういうことがやりたい」という依頼がきたとき、とにかくお題に答え続けるそう。誰もが思いつくアイデアを、ちょっとずらして提案する。

それでももし、自分のアイデアがかたちにならなかったら、それは自分の実力不足。何かが「足りなかった」のだ。

そうならないためにも、たくさんのテレビを見てインプットを増やす。ベテランの放送作家である鈴木おさむさんや、プロデューサー佐久間宣行さんはとにかく知識量がすごいという。


「でも、若い頃はとにかく自分のアイデアが面白いって信じてたなあ。それなのに企画会議に出ると、ベテランの方ばっかりで委縮しちゃって。何も話さないまま帰ってくることもよくあった」

しかし、フリーで働いていた大井さんは、なんでもいいからアクションを起こさなければ、次の会議には呼ばれなくなってしまう。

「だから、ハガキ職人のときみたいにポイント制にしてました。発言できたら何ポイント、企画が通ったら何ポイントっていうふうに。それからだんだん仕事を任されるようになって、ようやく飯を食べれるようになりましたね」

「じゃあ、薄給だったあの頃に比べたら今はどうですか?」

「そうですね……。いや、今でもずっと不安ですよ。飯を食ってはいけるけど、今でもずっと不安です。僕より若い人が考えた企画がテレビで放送されるのを見ると、悔しくなりますね」

その言葉に、ふとメモしていた手が止まる。そのとき私は思ったのだ。


「ああ、そうか、この人もぐらぐらする足元が不安なんだ」

というか、こんなにすごい人でも足元がぐらぐらしているんだ。


「不安ですよ」。私から見ると、何もかもを手にしているかのような人。雲の、ずっとずっと上の人。

だけど大井さんは、そのぐらぐらを、知識量で、自分が自分に課したポイントで、みんなにハマりたいという気持ちで、固めてきた。ぐらぐらしそうな足元の中、それでも一歩一歩、歩いてきたのだ。


つまるところ、「足りない自分」を埋めるのは自分が手に取って、自分の中に入れ込んだものだけなのかもしれない。自分が自分の中から産み出した気持ちで、自分をひたひたに満たすことだけなのかもしれない。

「大切にしたのは、好きって気持ちです」「ずっとそのことを考えていたからで」「別に地位とか名誉とかいらないんですよ、ただやり続けただけ」

そう言う人と、自分の間にある透明な壁を越えるには、その人たちがそう言えるぐらい集めてきたものたちを自分も集めるしかないのだ。


明日、自分がいきなりすごくなるわけじゃない。明日、一気に何かができるようになるわけじゃない。明日、自分の企画がばんばん通るようになるわけでは決してない。

だから明日も、いっこずつ手に取って自分の中にいれるしかない。

気がつけばそのいっこが、一歩になっている。そしてその一歩が、気づいたときには、未来の自分の通る企画の源泉になっているのだろう。



”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。