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10年前の私は、10年後の私と一緒なのか

先日、10年前から行き始めた音楽フェスに、10年前に買ったTシャツを着て、10年前も隣にいた彼女と一緒に行ってきた。

すごく、不思議な感覚だった。


10年前の音楽フェスで聞いて好きになったバンドが、10年後の先日もステージに立っていて、10年前に聞いて好きになった曲を、10年後の先日も同じ音を鳴らしていた。

そして、隣には「ああ、10年前もこの曲聞いたね」と私と同じことを思う10年前と同じ彼女。

私は、今の景色を見ているのか、10年前の景色を見ているのかわからなくなった。


10年前と、10年経った今。変わったことと、変わっていないこと。10年前に聞いた音楽を、10年後に聞くこと。隣にいる彼女は、10年前の彼女なのか、10年後の彼女なのか。


「テセウスの船」という思考実験がある。

昔、テセウスが乗ったという有名な船、「テセウスの船」が保管されていました。テセウスの船は時とともに老朽化し、腐った部品は新しい部品へ修理・交換がくり返されてきました。

船の老朽化とともに、船は少しずつ新しい部品に入れ替わっていきます。
その結果、いつしか元のテセウスの船の部品は一つもなくなり、全てが新しい部品になっていたのです。

船の形や機能はテセウスが乗っていた当時の船とまったく変わらないように修理されています。しかし、元々の「テセウスの船」の部品や塗装はもはや一つも残っていないのです。

はたして、この船は「テセウスの船」と呼べるのでしょうか?

人間もまた、「テセウスの船」と同じ。私たちの身体の細胞は、常に生まれ変わっている。肌細胞であれば、1カ月でまるまる入れ替わっているらしい。

10年前の思い出も、記憶も、聞いた音楽も私は覚えているのに、細胞だけでいうと私の身体は10年前と全く違うものになっている。

私は10年前の私と同じなのか、違うのか。


そんなことを、ライブを待っている間に彼女に聞いてみた。

すると彼女は「うーん……今一緒にいることがすべてな気がするね」と言った。

それもそうか。

10年前の私がどうだったかとか、この10年で何があったのかとかよりも、今、彼女と10年前と変わらず一緒にこの場にいられること、一緒の音楽を聴いていること、変わらなかったことのほうを抱きしめたい。

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