見出し画像

月日が経つなかで変わる顔

街を歩いていたら、おじいちゃんとおばあちゃんが腕を組んで歩いていた。その姿を「きゃーん!」と声に出さずして胸をきゅんとさせていたら、少し歩いたとこでも、おじいちゃんとおばあちゃんが手を繋いで歩いていた。また「きゃーーん!」と声に出さずして胸をときめかせていて、ハタと気づく。

これって、おじいちゃんはおばあちゃんのことを「可愛い」と思っていて、おばあちゃんはおじいちゃんのことを「かっこいい」と思っているのか? と。


……あれ、なんかこうして文字にすると、私が言いたい感覚の半分も伝わっていないよな気がするな。

もちろん、街ですれ違ったおじいちゃんおばあちゃんが、大学生カップルと同じように「かっわいい~!」「かあっこいい~!」と思っていないことはわかる(いや、本当に思っていないのか? 大学生カップルのように思っているパターンだってあっていいはずだ)。

結婚した経緯ももしかしたら恋愛ばかりではないことも承知のうえだし、親同士がとか、仕事上でとか、きっといろんな理由があるだろう。

あるだろうけど、少なからず見た目にも「良(完全理想ど真ん中のドンピシャじゃなかったとしても)」と思っている気がして。


だがしかし、ご年配あるあるとして過去の写真を見るとめっちゃハンサムや愛くるしさがあるけど、それがだんだんと老いや皺で変わっていくって、どんな感覚なんだろうか。

ほとんど毎日会っていると、相手の変化に気がつきにくくなるというけれど、夫婦の老いもそれに近いのだろうか。

皺や顔が変わっていく過程をずっと見ているから、そこに違和感を感じることはないのだろうか。最近の純粋な疑問。


少し前に、耳と鼻は死ぬまで大きくなると何かで見た。だから年齢を重ねた人は福耳が多いし、鼻が大きい人が多いのだという。それにも、おじいちゃんとおばあちゃんは気がつかないのだろうか。

だんだんと皺が増えて、白髪になって、頬が落ちてきて、それでも目の前にいるのがおばあちゃんで、おじいちゃんだと思えるのはどうしてなのだろうか。

”終わりよければすべてよし” になれましたか?もし、そうだったら嬉しいなあ。あなたの1日を彩れたサポートは、私の1日を鮮やかにできるよう、大好きな本に使わせていただければと思います。