旅行は移動の積み重ね
旅行って、基本は移動だ。目的の場所まで、電車かバスか車か飛行機か新幹線か、はたまた船かで向かって。目的地に到着したあとも、荷物を置きにホテルに行ったり、観光地へ向かったり、レストランへ向かったり。そのあと、また別の場所へ移動する。終わればまたホテルへ移動して、次の日も移動して、帰り道も移動して。
実際、旅行を見てみると移動の積み重なりで、半分ぐらいの時間が移動になる。なってしまっている。
こう書くと、旅行がとても面倒くさいもののように見えるのに、それでも私たちは旅行をする。遠くに移動しに行くのだ。
たぶん、それはきっと、移動した先での出来事がやっぱり鮮烈で、非日常で、思い出深いからに他ならない。そこで見たもの、食べたもの、体験したこと、撮った写真、話したこと、起こったすべてが思い出になる。
それが、日常生活でする移動との違いなのかもしれない。日常生活での移動は、本当にただの移動なのだ。できることなら、どこでもドアでぽんと目的地へ着いてしまったっていい。だって面倒だから。
でも、旅行の移動はどこでもドアじゃないほうがいいと私は思う。向かい方を探すことでワイワイして、向かっている道中でお喋りして、だから着いたときに「やったー! 着いたー!」と外に出たときの気持ち良さ、開放感、達成感がある。それらはやっぱり、面倒くさいのその先、面倒くさいけど来れた、という領域にしか存在しない。
移動の積み重ねこそが、旅行だ。旅を行く。旅路にこそ、思い出が生まれるし、旅路にこそドラマがある。
と、そんなことを旅行中に友達と話していたら、「だから今、とてつもなく眠いのか」と言われた。
そう、座っているだけ、連れて行ってもらっているだけなのに、移動はなんだかんだめっちゃ疲れる。ドナドナされている私たちは、ドナドナ疲労を味わう。
外に降り立ち、ぐおー! と全身の筋肉を伸ばしたときらバキバキポキポキと体が音を鳴らすのがよくわかる。いい疲労だ。いい旅行だ。