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「因果なアイドル」第9話「渡る世間には鬼も仏もいる」 (最終話)

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 二次方程式がわからないと知ったときの衝撃ははかりしれない。よくそんなことで高校に入学できたものだと霧人は思った。
「丸暗記したのよ、公式とか」マナは言った。「理屈なんてわからなくても、中学の数学なんてどうにでもなる」
 胸を張って言うことじゃない。
「あはは、私もそのくちでした」ノゾミが引きつりぎみの笑顔で手をあげた。
 冗談だろ、と霧人は暗澹たる気分になった。中学生レベルで色々ととまっている二人に、自分はこれから勉強を教えていかないといけないのか。
「……おバカタレント一直線かな」
「それだけは嫌!」マナは両腕で大きなバツマークを作った。「だからちゃんと勉強教えて!」
 霧人はマナとノゾミに、事務所の別室で勉強を教えていた。稽古の時間を短縮し、今のうちにみっちり勉強を教えるよう谷川から命令されたのだ。
「踊ってる方がラク~。あるいは曲作ってるときとか」マナがテーブルに身体を投げだし、さっそく泣き言を言っている。
「国語は作詞に役立つと思うけど。古典とかも歌詞に深みが出る」
「でも勉強はやだ~。踊りたい~」
 マナが身体を動かすことを得意としているのは、この身で嫌というほど味わっている。しかし今は勉強に本腰を入れてもらわなければならない。
「期末テストが終わったら、稽古の時間も取れるようになるから、それまで我慢、我慢」
「そうだよマナちゃん、がんばろう?」
 そう言うノゾミは、マナより呑みこみが早かった。ノゾミは勉強が苦手というよりも、これまで勉強をする時間をあまり取っていなかったから成績が下の方をうろうろしているだけだった。なので、時間を取り、きちんと教えれば、ちゃんと理解してくれた。
 問題はマナだ。踊りたいと言いながらも、このごろたるんでいる。田中が一生懸命仕事を取ってきているというのに。
 ドラマのW主演は、駄目になった。このことがマナの無気力の原因だった。
 これまで撮影した映像の大部分が駄目になったため、事務所も責任を取らざるをえなくなった。マナたちに何の落ち度もなく、裏取りを怠った立木に責任があったとしてもだ。
 やはり、「元極道」の谷川の存在がネックとなったようだ。
 世間からのバッシングは、少なからずあった。元反社会勢力が作った会社であること、そこに所属していることが問題視された。マナたちが谷川が元極道であることを知っていたということは徹底的に隠されたが、それでもエタニティは無傷ではいられなかった。
 だが、好意的な意見もあった。
 エタニティが大勢のファンを楽しませてきたことは事実であり、谷川は足を洗ってまともな生き方をはじめている。がんばっている人間を否定するほど日本社会は狭量なのか、と問いかけるようなものであった。
 意見はSNS上で激しくぶつかりあい、結論はいつまで経っても出なかった。芸能評論家のあいだでも意見がわかれた。芸能界はクリーンでなければならないという意見もあれば、少なからずブラックな側面もあるという正直な意見もあった。
 シューティングスターを解散し、エタニティをほかの事務所へ移籍させるべきか、谷川たちが本気で考えはじめたころに、ある仕事が舞いこんできた。深夜のラジオ番組だ。
 生放送で、立木を殴るという暴挙に出たマナの胆力を面白いと感じたあるプロデューサーが、「うちのラジオに出てみないか」と声をかけてきたのだ。
 はじめは、大した反響はなかった。
 しかし回数を重ねるにつれ、マナとノゾミの「アイドル」という殻がはがれ、リスナーに対してマナがボケてノゾミがツッコむという、漫才のような関係ができあがり、「面白い」と話題を呼んだ。もともと、「アイドルという立場は自分たちが作った歌を披露するためのもの」というスタンスだった二人にとって、アイドルでいなくてもよい場所を得られたことは、幸運とも言えた。プロデューサーも「アイドルではない素の二人」を望んでいたようだ。
 そのうち、マナにCMの仕事が入ってきた。
 石材のCMで、マナが瓦からはじまって様々なものを破壊し、「アイドルが殴っても壊れない」をキャッチコピーとしたものであった。
 このCMは「アイドルらしくない」「なりふりかまわなくなった」とよい意味で話題となり、加熱していたSNS上での議論に水をぶっかける形となった。
 時間はすべてを食らい尽くす。いいものも、悪いものも。SNSでの議論は、いつの間にか下火になっていた。
 社内会議の結果、シューティングスターの存続が決まり、エタニティも活動を継続することになった。
 谷川が「俺はもう、社長職から身を引いた方がいいだろう」と言ったので、全員でとめた。
「社長がいないなら、あたしもアイドルやめる」マナは頑として引かなかった。「極道も芸能界も因果な商売なんでしょ? じゃあ、社長みたいな人がいてくれないと、あたしたちだけじゃどうにもならないじゃない」
 ノゾミも同意し、植田も田中も「全力でフォローするから」と、谷川を社長職に押しとどめた。
 立木は、どうなったかわからない。今も朝毎芸能にいるのだろうか。もう、昔の関係には戻れないのだから、霧人に確認する術はなかった。ただ、ひどく恨まれているであろうことは想像がついた。
 世間がエタニティの事件を忘れはじめたころ、田中が歌の仕事を取ってきた。マナとノゾミは大急ぎで歌を作り、ドラマの主題歌として世に出した。ドラマ自体は不評であったため、歌もあまり注目されなかったが、ネット上では「エタニティ完全復活」として話題になった。
 歌が完成したあと、霧人は以前言われたとおり、二人に勉強を教えることになった。ようやく時間が取れたからだ。
「しっかし、期末試験に間に合いそうでよかった」霧人は言った。「アイドルが赤点とかしゃれにならないからなあ」
「マネージャーみたいなこと言わないで。補佐のくせに」マナは口を尖らせた。
「マナが一番心配なんだよ。わかってる? ノゾミは大丈夫だと思うけどさ」
 霧人が言うと、マナは黙りこんでしまった。怒らせたか、と思ったが、マナはぽつりと言った。
「鈴木涼子」
「は?」
「あたしの名前。望はノゾミって呼ばれてるのに、あたしだけちがうの、何かヤだから、そっちで呼んでいいよ」
 鈴木涼子、鈴木涼子……何度か口の中でつぶやいたあと、
「全然地味じゃないじゃないか」
「苗字が嫌なの!」マナは真っ赤になって言った。「間違っても鈴木なんて呼ばないでよね!」
「マナちゃん、全国の鈴木さんに失礼だよ」
 ノゾミが注意するが、だって、とマナは譲らない。
「いいじゃないかその苗字」霧人は言った。「そのうち、始球式の仕事とか来るかもな。鈴木なんだし」
 マナの拳が霧人の頬をかすめた。
 今、本気で当てようとしなかった?
「今度言ったら、ぶっ殺す」
「アイドルが口にしていい言葉じゃないぞ!?」
 霧人が叫ぶと、ノゾミが腹をかかえて笑いだした。

(了)

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