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「因果なアイドル」第2話「因果」

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 マナとのつきあいは、一筋縄ではいかなかった。野良猫を手なずける方が簡単かもしれない。
 霧人は放課後、午後六時から八時まで、ビル一階の喫茶店「エタニティ」で働くことになった。ここはシューティングスターが経営しており、数名のバイトでまわしている店だ。驚いたことに店長として料理を作っているのは、谷川だった。
「ピラフ、できたぞ。三番テーブルに」
「あ、はい」霧人は慎重に料理を運んだ。
 接客云々について訊かれたのは、これが理由だったようだ。
 「エタニティ」はマナとノゾミのグループ名のもとになった店で、芸能事務所を開く前は喫茶店経営が仕事だったらしい。だが、芸能事務所をすることになってからは、午前と正午、夜のみ店を開けることになった。これでも、シューティングスターの大事な収入源のひとつらしい。
 「エタニティ」での仕事が終わると、田中マネージャーにくっついて、マナとノゾミの稽古をサポートすることになった。水やタオルの用意、ビデオカメラによる撮影など、補佐とはいえすることは案外多い。
「録画した動画、絶対持って帰るんじゃないわよ」マナは霧人を指さした。「変なことに使われたら最悪だから」
「使うか!」
 霧人は声をあららげたが、マナはふん、とよそを向いてしまった。
 残業が常態化しているように見えるシューティングスターだが、田中が残業をするのは週に二日だけだ。あとは午後五時に帰ってしまう。田中がいないときは、マナたちの稽古のサポートは霧人ひとりですることになる。
「休日出勤もあるからな。身体を壊されては困る」というのが谷川の考えだった。
 植田は田中の上司にあたり、今のところ、シューティングスターの業務すべてを取り仕切っている。喫茶店も、芸能活動も、すべてだ。忙しいだろうと思ったが、この人も残業をするのは週に二日だけ。ただし、田中とは交代制だ。
 どうやら、植田と田中で仕事をできるだけ分散するよう谷川が指示を出しているらしく、無理な仕事は可能な限り受けないようにしているようだ。
 エタニティもまた、稽古の時間に制限がつけられていた。
「稽古の量も重要だが、質をあげられるようにしろ。どうしてもだめな場合を除き、夜おそくまでの稽古は禁止する」
 そんなことでアイドルをやっていけるのかと思ったが、エタニティの二人は谷川の期待にきちんとこたえていた。二人とも学校が終わると、すぐに事務所へやってきて、稽古に励んでいた。
 霧人は、学校が終わり、ウェイターの仕事がはじまるまでのあいだに、学校で宿題や予習をすませ、午後六時から十時までは「エタニティ」やシューティングスターで働くことになった。霧人もまた、「量より質」を強く求められる生活をすることになった。
 二週間が経つころには、
「霧人君、悪いけどこないだのイベントの報告書書いといてくれる? いっしょにいたからわかるよね?」
「霧人君、SNSの更新お願ぁい。私、ITにはあんまし強くないのよねえ」
「相川君、この前の動画見せてくれない? 振りつけを確認したいの」
「プリン食べたいから買ってきて。糖分? たまにはいいでしょうるさいな」
 色々と仕事を任されるようになった。もちろん、最後のはマナからだ。
 マナはあいかわらず霧人に冷たい。ノゾミの言うことが本当なら、多少の罪悪感から霧人を遠ざけているようにも見える。
「デレのないツンデレってこんな感じなんだろうか」ビデオカメラをセットしながらぶつぶつ言っていると、
「あ? 何か言った?」とマナにとがめられた。
「何でもありませーん」と適当に返しておく。ツンデレもなにも、マナにはデレなどないのだから不適切であった。
 今日は霧人だけで、マナとノゾミのサポートをすることになった。五時あがりの日ではないのだが、田中からは「先方とのつきあいで出ないといけないから、悪いけどひとりで頼む」とスマホに連絡があった。
 マナとノゾミは午後六時にはすでに稽古場に入っており、次のミニライブの稽古をはじめていた。霧人は少しおくれて八時から入ったが、二人は延々踊り続けていた。
「今のところ、私、気持ちもう少しさがった方がよくない?」ノゾミが言った。
「ノゾミのパートだからもっと前に出てもいいぐらいだと思うけど」マナが言った。
 霧人は水やタオルを準備しながら、二人の話を聞いていた。稽古に臨むマナとノゾミは真剣だ。特にマナは、普段の霧人に対する悪口が嘘のようで、落ちついた調子で互いのミスや手なおししなければならない部分について話しをしている。
 ときおりTVで見てきたエタニティの姿だが、ちょっとしたこと……視聴者が気づかないようなところでも、きちんとつめて練習しているんだなあと、霧人は感心してしまった。
「何よ」マナが霧人に言った。じっと見ていることがバレたらしい。「何か文句あるの?」
「文句なんかないよ。ただ、こんなに真剣に稽古してるんだなあって思って」
「そりゃそうよ」マナは胸を張った。「私たちなんて、TVには出てるけどしょせん駆けだしだもの。駆けだしの人間が手抜きしてちゃあ、埋もれていくだけだし」
「うん、だから、凄いと思って」霧人は二人にミネラルウォーターを持っていった。「僕が知らないだけで、裏でこんなに稽古してるなんて知らなかった。稽古もなしにあんな踊りできないのは頭ではわかってたけど、実際にそばで見てると、凄いっていう言葉しか出てこないぐらい凄い」
「……それはどうも」マナはミネラルウォーターを受けとった。「あんたもダンスか何かやってたの?」
「いや、全然。門外漢」霧人は言った。「そんな僕でも、凄いと思わせちゃうんだから、二人は本当に凄いと思うよ」
「相川君、さっきから『凄い』しか言ってないよ」ノゾミはタオルで汗をふきながら笑った。「でもありがとう、ほめてくれて」
「いや、そんな」
「……と」
 霧人とノゾミが、そろってマナを見た。マナは顔を赤くして
「ありがと、って言ったの!」と大きな声を出した。「その……ついでに言っとくけど、最初は変質者あつかいして、ごめん」
「いや、別にいいよ。あれは僕も悪かったんだし。あのときは怒鳴ってごめん」
 マナは何もこたえなかったが、かすかに表情がゆるんだように見えた。
 マナはちらりと壁の時計に目をやり「今日はそろそろおしまいかな」と言った。
「じゃあ最後は、録画した動画を見て反省会しようか」ノゾミは言った。
 ビデオカメラの小さな画面を、マナとノゾミは食い入るように見ている。霧人は後ろから画面をのぞいた。マナはここがだめだ、あそこがだめだと駄目出しばかりだが、ノゾミは逆にここがうまくいってる、そこもいいと、ポジティブな感想を述べている。案外この二人は、性格的にバランスが取れているのかもしれない。
「あんたはどう思う?」マナが振り返った。
「ぼ、僕?」
「マネージャー補佐としてはどう?」
「うーん……いいんじゃない、かなあ」
「はあつっかえ」マナは大仰に肩をすくめた。
 その対応だけは何とかしてくれないだろうか。
「ところでさ」マナが言った。「あんた、こんな時間までバイトしてて大丈夫なの? 勉強は?」
「バイトに出る前に宿題とか予習はすましてるから、大丈夫だけど」
 マナとノゾミは顔を見合わせ、「ははは」と苦笑いを浮かべた。
「……ひょっとして、勉強苦手なの?」
 二人の表情がかたまった。非常にわかりやすい。
「社長に怒られない?」
「わ、私たちはシューティングスターの稼ぎ頭なの! 社長だってわかってくれるわよ!」マナが抗弁したが、元気がない。
「今どきさ、おバカタレントって流行らないと思うよ」
「誰がおバカよ!」
 ねえ、とノゾミが言った。「相川君に勉強教えてもらうのはどう?」
「でも、学校がちがうじゃない」
「習うことはいっしょよ。今度のミニライブが終わったら、あき時間に教えてもらおうよ」
 うーん、とマナはうなった。霧人にお願いするのは嫌だが、ノゾミの提案を却下するのも気が引ける、という雰囲気だ。
「そんときになったら考えてくれていいよ」霧人は言った。「そろそろ迎えも来るし」
 ドアが開き、谷川が現れた。「時間だ。帰る準備をしろ」
「あ、はい、着がえてきます」
「機材片づけときます」霧人は言った。
 午後十時前になると、谷川が迎えに来る。車を出し、マナとノゾミ、霧人を家へ送ってくれるのだ。
「ミニライブには間に合いそうか?」
「余裕」マナはVサインを見せた。
 谷川は車を表に出すと、霧人を助手席に、後部座席にマナとノゾミを乗せて発進した。いつも思うが、真っ黒で高そうな車は、嫌なものを連想してしまう。
 マナとノゾミをそれぞれ家まで送り届けたあと、車は霧人の家に向かった。道すがら、谷川は「ずいぶん頼られてるみたいだな」と言った。
「植田さんも田中もあてにしているみたいだ。がんばってくれ」
「自分なんかが役に立てると思うと、嬉しいです」
「自分なんか、なんて言うな」谷川は言った。「自分を認めてやれるのは、自分だけだ。もっと自分を評価していい」
「はあ……わかりました」
 谷川はバイトに対しても、社員に対しても、所属タレントに対しても、どこか優しい。もう少しきつく言った方がいいのではないかと思うときでも、やんわりと注意することが多い。
「君は、俺の親父について何か聞かされているか?」
「いえ、父の友人だということ以外は何も」
 そうか、と谷川はつぶやいた。「親父は何も言わなかったんだな。それもそうか。すべて話していたら、親父を頼れなんて言わなかっただろう」
「どういう意味ですか?」
 谷川はちらりと霧人を見やった。ときおり、街灯が谷川の横顔を照らす。言うべきか黙っておくべきか、迷っているような表情が見え隠れした。
「みんな、君を頼ってる」谷川は言った。「だから、俺の話を聞いてもやめないと約束してくれるか?」
「……話の内容にもよります」霧人は正直にこたえた。
「そうだな。当たり前だな。だが、黙っておくのも不誠実と言えば不誠実だ。君にも話しておこう」
 赤信号で車がとまった。谷川は霧人の顔を見て、
「俺は、元極道だ」
 左折してきた車のライトに照らされ、谷川の頬の傷が闇の中に浮かびあがった。

 極道。
 そんな雰囲気は感じていた。ただ、自分が知っているのは、映画や漫画の中の極道像だ。まさか目の前にいる人間が本物……元とはいえ……とは思わなかった。
「安心してくれ。すでに足は洗っているし、組は解散した」
「じゃあ、シューティングスターは」
「旧・谷川組とは関係ない。俺が作った会社だ」谷川は言った。「谷川組は俺の親父・大一郎がまとめあげた組だ。とはいっても、小さな組だったがな」
 信号が青になったので、谷川はアクセルを踏んだ。
「親父が死んで、俺が組長になるはずだった。だが、こんな商売、もう続けていくのは無理だってわかっていた。人もシノギも減る、半グレが台頭してくる──小さな組がやっていける時代じゃなかったんだ」
「それで芸能事務所をはじめたんですか?」
「はじめは喫茶店『エタニティ』をはじめて、細々と元組員を食わせていこうと思っていた。だが、嫌がる奴らが続出してな。当たり前だ。それまで極道だった奴が、ある日突然、客にメシを出す仕事なんかできるわけもなかった。残ってくれたのは、植田さんと田中だけだったよ」
「……大変なんですね」
 霧人は、谷川がなぜ優しいのかがわかった。人がはなれていくつらさを知っているからだ。ホワイト企業を目指しているのも、人がはなれていかないようにするためだろう。
 人が集まりやすく、長く働きやすい会社。元極道にとってそれがどれほど困難な目標か、霧人には想像もできなかった。
「君みたいな子供に言われちゃあおしまいだな」谷川はからからと笑った。「喫茶店はそれなりに軌道に乗ったが、どうしてもそれだけじゃあ物足りなくなってな。俺の性分なんだろう。元極道じゃなければ、起業でもしてたかもしれん」
「喫茶店経営も立派な起業だと思いますが」
「まあ、そうやってくすぶってたときに、あいつらに会ったわけだ」
「マナさんとノゾミさんですか」
「芸名は俺がつけた。二人は路上ライブをやっていてな。たまたま、俺が通りかかった。二年ぐらい前だから、あいつらまだ中学生か」
「歌にひかれたんですか?」
「いや、二人を見ていて、ふと芸能界のことを考えたんだ」谷川は言った。「芸能界も極道の世界も因果なもんだなってな。売れるためなら手段は選ばず、平気で他人を蹴落とす。極道も同じだ。シノギのためならどんなことでもする。人だって平気で傷つける。あいつらを見たとき、ああ、こいつらはそんな現実知らないんだろうなって思ったよ」
「夢ぐらい見る年ごろですよ」
「おっさんみたいなこと言うな。まあ、それで思ったわけよ。因果な商売をやっていた奴と、因果な商売に首を突っこみたがってる奴ら。ある意味仲間とも言えると思った俺は、あいつらをサポートしてやるのも一興かもしれんと考えたわけだ」
「それでシューティングスターを作ったんですか」
 谷川は軽くうなずいた。
「俺には歌のことはわからん。あいつらの歌が売れるかどうかなんて、どうでもよかった。ただ」谷川はしばし思いつめたように前を見つめ、「喫茶店でくすぶってた俺と、路上でくすぶっているように見えた二人。合わせれば、何かできるんじゃないかって思った」
 そう言って、谷川は黙りこんだ。霧人も何も言わなかった。
 谷川とマナ・ノゾミが出会ったあとどうなったか、霧人は知っていた。二人……エタニティが歌った有名アニメの主題歌が大ヒットし、一躍有名になった。その後もドラマやCMの主題歌の仕事が次々と舞いこみ、TVにも出演するようになった。近いうちにドラマにも出ると田中は言っていた。谷川は、偶然にも金の卵を産む鶏を拾ったというわけだ。
「嫌になったか?」谷川が訊いてきた。「元極道がやってる芸能事務所なんてやめたい。そう思ったか?」
「いえ、そんなことは」
「嘘はつかなくていい。本当はこんなこと、話さなくてもよかったんだ。だが、親父の親友の息子に黙っておくのも悪いと思っただけだ。仁義、てやつだな。これ自体が極道の考え方なわけだが」
 谷川の言うとおりだ。霧人は少し怯えていたし、植田や田中を見る目が変わってしまった。温厚そうに見える彼らも、以前は暴力的な世界に身を置いていたと考えると、ぞっとする。
「マナさんとノゾミさんは、今の話知ってるんですか?」
「真っ先に話したよ。ノゾミの方はだいぶん躊躇してたが、マナの方は食いついてきた。『このチャンスを逃すわけにはいかない。一から作るなら、私たちも仲間に入れて』てな。なかなか肝の据わった嬢ちゃんだったよ、昔から」谷川は笑った。「ノゾミの方は、はじめはこわごわとって感じだったが、すぐになれてくれたな。危ないところじゃないとわかったんだろう。売り飛ばされるとでも思ってたんじゃないかな」
 今だから笑い話にできるが、当時のノゾミの心境を考えると、霧人は笑えなかった。震えるほどこわかっただろう。
「……で、もう一回訊くが、どうする?」
「え?」
「俺は君に話すべきだと思って話した。やめたくなったか?」
「いえ、そんなことはありません」本心であった。「事務所の雰囲気は悪くありませんし、マナさんとノゾミさんががんばってるのに自分だけやめたくはありません。僕は、組を解散したっていう社長を信じます」
「そうか」谷川はひとりごとのように言った。「なら、何も言わん」
 自宅の前で車をおりたあと、谷川は言った。「次の日曜日はショッピングモールでミニライブだが、君も行くのか?」
「はい、色々と手伝いを任されていますので」
「無理はするな」谷川は言った。「君がいないと田中が困るからな。体調管理だけはしっかりしろ。風呂入ってさっさと寝ろ」
「はい、そうします」
「ああ、あと、マナから言われたんだが」谷川は苦笑いを浮かべ「さんづけで呼ばれるのは嫌なんだとよ。同い年なんだから普通にしゃべれってさ。ノゾミも同じことを言っていた」
「わかりました」
 車が走り去ったあと、霧人は深く頭をさげた。
 話してくれてありがとうございます、とつぶやいた。

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