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今の「人的資本経営」に足りないもの

「おれ、体育会にしたいんだよね」もう30年前の話。サークルの部長をやっていた頃、メンバーに言った言葉。その頃、私は、ウィンドサーフィンのサークルに所属し、週3回メンバーと一緒に海に行き、コースレーシング(※)の大会出場に向けて練習に励んでいた。メンバーの実力も段々上達してきた頃、「本格的に大会で上位を目指せるよう、学校から支援を受けられる“体育会”にしたい」という私の夢を伝えたのだった。
※)海上に複数のブイをうち、決められた順序、回数をセーリングして回り、着順を競う競技
 
しかし、メンバーは猛反対。何度話し合っても議論は平行線で、私だけ孤立し存続の危機にまで発展。喧々諤々の対話の末、結果、そのままのサークルで継続することで落ち着き、また全員で続けられることとなった。この話し合いで分かったことは、メンバーの多くは、体育会にしてまで大会で勝つことを欲しておらず、純粋に仲間とウィンドサーフィンを自由に楽しみたい、という気持ちの方が強いということだった。
 
学生の活動と営利組織を一緒に論じることはできない。ただ、この経験を思い出しながら、今盛んに言われている「人的資本経営」について思うところがある。
 
今年5月に経済産業省から出た人的資本経営の指針、「人材版伊藤レポート2.0」で強調されているのは、“経営戦略と人事戦略の同期”である。つまり、人事施策が経営戦略を実現に資するものになっているか、という観点。
レポートでは他に、「ダイバーシティ&インクルージョン」や「時間や場所にとらわれない働き方」など、「働く」側にとっても耳障りのいい言葉も並ぶ。しかし、内容はあくまで「働かせる」側が、いかに効果的に人的投資し人材価値を引き出すか、という流れがメインストリームだ。
 
私は、この指針には、「働く」側が何を重視し、何を欲するか、といった人材の現状把握の観点が足りないように感じている。つまり、経営戦略と人事戦略の連動といった狭い領域の話から、それらの戦略を規定する要素として、働く人の動機・価値観の把握についてもっとクローズアップさせるべきと考えている。
 
例えば、大きな改革を望まず、丁寧、着実な人材が多い組織の場合、外部とのアライアンス等を通じて新たな分野に打って出るよりも、現行ビジネスの隣接領域に触手を広げながら強みを伸ばしていく方が効果的かもしれない。
また、仲間を大切にし、チームワークに価値に置く人材が多い場合は、個の自律をベースとしたキャリア開発を充実させるよりも、組織内の連携を促進する評価制度やイベントの方がより機能する。
 
そして、人材の内面傾向を考慮した戦略を打っていくことで、強みを発揮できる人より多くなり、仕事に熱意を持てる人も増え、投資家が求める結果も後から付いてくるはずだ。
 
これから、「人的資本経営」は、非財務情報の公開が義務づけられる上場企業を中心に一大テーマとなる。言葉や政府指針に振り回されず、今回の提言も含めてた、より広い観点から経営・人事戦略について考えていくべきと感じている。
 
ちなみに、前述のサークルのその後だが、そのまま卒業まで和気藹々と活動をしながら大会にも毎年出場し、私が体育会にして達成したかった目標をサークルのままで達成したのだった。