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サクッと6月と7月の振り返り。熱が出てビビった件。

世界で大変なことが起きているときの自分の気持ちを記録しておいて、後から振り返るのに意味がありそうだと思ったんだけど、今まで何も書いていないので、遅まきながらまとめておこうと思ったことから振り返りをはじめました。

でも、リアルタイムにメモをして後から振り返るのが楽しいわけで、メモをするために振り返るというのは、本末転倒でおかしい。それに、元々記憶力が弱いから、あまり楽しくはありませんでした。

6月、7月は第2波がきたのか?

一旦、5月には5人にまで感染者数は減ったんだけど、6月半ばから徐々に増えて、4月のピークを超えてしまいました。

しかし、重症者数は100人から20人になり1/5になっています。重症者は必ず顕在化してカウントされるので、検査の数が1日5000人を超えるようになったから無症状感染者が増えたのかなとも思ったり。

つまり4月も同じ様にPCR検査をしていたら、もっと無症状の陽性者数は増えたんじゃないだろうか。重症患者と同じ比率だとしたら5倍の1500人くらい。なんか、ありそうな数な気がします。

それでも少しずつ増えているので、安心はできないですよね。

微熱が出た7月

7月の半ばに最高で37.3度くらいの微熱が続きました。咳や喉の痛みの症状はなく、熱で頭痛がする程度ですが、すこし心配になります。

コロナの感染が収まってきたように見えたので、打ち合わせの予定を入れていましたがキャンセル。クライアントにうつしたら、仕事が終わってしまう恐怖がありました。そこが会社員と大きく違うところかもしれませんね。「陽性=休み」ではなく「陽性=鬱END」のイメージです。こわい!!

病院行っても、ホワっとしてわからない

もちろん、近所の病院に行きました。

コロナは一般化しているからか診察を拒否されることもなく、屋外の駐車場で時間を決めて診察。お医者さんもコロナです!って言い切れる症状もないそうなので、とりあえずは自宅で待機してくれてのこと。

個人的にはPCRを受けてスッキリしたいところだけど、受けて陰性だったら数万かかるらしいです。クライアントへ対しての証明として、それぐらい出してもいいかとも思ったんだけど、疑心暗鬼な人が多くいるから医療崩壊に繋がるんだとも思って、とりあえずは自宅待機で様子を見ることに。結果的には、この判断は正しかった気がしています。

家庭内隔離は自分以外が大変

3LDKのマンションで妻との二人暮らしで家庭内隔離は始まりました。といっても、隔離用の部屋を1つ与えられて、そこいにればいいだけ。それほど悪い症状が出ているわけでもなく、ノートPC で仕事はしていました。座ってれば食事もでてくるし、意外に快適だったりしました。

ただ、その分、妻への負担が大きく、心苦しいものがありました。通常は家事はなるべく分担しているのですが、隔離されると何もできなくなります。全ての家事+除菌などで、妻の負担は倍増。機嫌もどんどん悪くなっていきます。妻もフリーランスで自宅で働いているので、うつした日には家庭崩壊なんじゃないかとも思ったり。

まだ二人暮らしだからよかったけど、子供や老人がいる家庭はもっと大変でしょうね。

かかっても軽症だから問題ない?

新宿のホストたちがコロナはほとんどが無症状や軽症だから、かかるのが怖くないというのもなんとなくわかります。

ただ、自分がかかったと疑いが出たときに、そこまで割り切れるものでもありませんでした。とにかく、人にうつすのが怖い。

例えば、妻にうつしたとしても重症化する可能性は低いから普通通りに生活する、とか、なかなかできないもんですよね。鋼のメンタルがいります。

もしかしたら、それをしたのがスウェーデンかもしれないですね。国が科学的な根拠からゴールを設定して、国民に対してコロナ対策を啓蒙をしながら民意を作っていく。少なくとも、僕の感じた不安は和らいだと思います。

日本は逆に、政府はガチっと決めきれず、国民達自らの同調圧力や空気で、感情スタートの民意が形成されていく気がしています。だから、不安から動きを止めてしまう自粛の方向になっているような。

熱が出たときに自分が重症化するよりも、うつすことのほうが不安だったというのは、日本でのコロナに対する空気を読み取ったからかもしれませんね。昔の百姓が伝染病を運んできてしまって、村八分にされてしまう印象です。「病気が罪」に近い感じなのかな。

と、7月は、コロナを身近に感じた月でした。




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