モネが見たもの ーモネ 連作の情景を見てー
この度の令和6年能登半島地震で被災され、今でも避難生活等で大変な思いをされている皆様に、まず心からお見舞い申し上げます。
2024年は大変な幕開けとなりました。
新年の挨拶について思うと、どんな言葉にも「おめでとう」という意味を含むものがほとんどで、代わりの言葉が見つからない事をとても残念に思います。
一刻も早く、全ての皆様が「あけましておめでとう」という気持ちを持てる時が来る事を祈っています。
どんな物にも、表と裏があります。
今回の地震では、ここ最近ではありえなかった日本海側への津波という被害もありました。
まさに水の恐ろしい部分を体感したわけですが、そんな水も普段は命の源であり多分な美しさを含んでいます。
その美しさを生涯かけて追い求めた画家、クロード・モネ。
東京・上野の森美術館で、彼の生涯に迫る展覧会が行われていた為足を運びました。
一部撮影ができる絵画もあったので、いくつかの絵画を紹介しながら少しでもあたたかな雰囲気をお裾分けできたら嬉しいです。
展覧会は1章〜5章で成っており、いわゆる印象派以前から晩年までの多くの絵画が、全てモネの作品で構成されていました。
1.ルーヴル河岸(1867年・27歳頃)
広く穏やかな空の色彩等は既にモネらしさを感じますが、細かい建物の描写や緊密に考えられた人々の構図などは「完成された絵画」を意識したエネルギッシュな若々しさを感じます。
画面左の方にある建物の看板等は、以前訪れたパリの光景をリアルに思い起こさせてくれました。
2.ヴェンティミーリアの眺め(1884年・44歳)
モネはその後、いわゆる印象派達の画家と影響を受けあいながら、点描を多様するなど新たな表現に進みました。
そして、1880年代前半の時期に、技法そのものが葉の動き・水の輝き等の表現に用いられ、一つの完成を見た気がしました。
3.エトルタのラ・マンヌポルト(1886年・46歳)
4.雨のベリール(1886年・46歳)
しかし、モネがすごいのはこの到達に留まらない事だと思いました。
1880年代後半になると、より深い表現の追求の為に、まるで再分解をするような、より深い観察を試みているように感じます。
絵画によっては、明らかに日本の浮世絵に着想を得たような部分もあります。
モネは、自国にはない新しい表現をただ真似るだけでなく自分の絵画の中に落とし込み、その技法で何が出来るのかを探っているようです。
5.チャリング・クロス橋、テムズ川(1903年・63歳)
そして、1900年代に入る頃、それは神々しい領域に達します。
技と表現は完全にひとつとなり、空からそそぎ水面に映る光は、本物の光を見るときのように、この絵を見る位置によって形を変えてしまいます。
この絵の目の前へ来た時、面白い体験もしました。
実は最近目が悪くなってきた筆者はメガネを作ったばかりなのですが、ここまでの作品では1つの絵を見るのにメガネをかけてクッキリと筆使いがわかる状態と、メガネを外して少しぼんやりした状態で見るのとで違った表情を感じていました。
それはそれで二面性があって大変面白かったのですが、この1900年代の絵はどちらの状態で見ても感じるものが変わらなかったのです。
それくらい、目の前にあるのは"リアルな自然と対峙した時の感情"であり、僕にはこの表現がとてつもなく美しいものに感じたのでした。
6.睡蓮の池(1918年・78歳)
最晩年になると、モネは視覚を失っていきます。
この絵についても既にその時期になってから描かれており、表面的な形は崩れていて単純な物体の完成度としては老齢を感じさせます。
しかし、水面が鏡のように映しているもの、草木が地上で生き延びる姿そのものの力はありありとそこに描かれているようです。
晩年の絵画は、表面には見えていないものを心の眼で見ることを要求されます。
私は今、この絵の何を見れているだろう?
「表と裏」は、同時に見ることが出来ない以上、必ず見えないものが存在します。
今、目の前に会っていない人は見えない所で生きていて、何かを思っています。
モネはそこにはいないけど、モネの絵画を見ていると、その色からはとても優しい暖かみを私は感じます。
見えないことに想いを馳せる
それが優しさなのかもしれないと、感じた一日でした。
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