ミモザが好きになった日のこと
まだ少し肌寒いある晴れた日のこと、一仕事終えた私と連れは、休息場所を探して歩き慣れぬ街をフラフラと歩いていた。
かなり急な丘を登ったところに、木々茂る公園とそのふもとに佇むカフェを見つけた。隠れ家的な佇まいに惹かれた私たちは、そこで暖をとることにした。
こじんまりとした扉を開けると、洒落た帽子を身につけた初老の夫婦が働いている。
丘に沿うように建つ中二階建てで、空に続くようなこれまた急な階段を持つ店内はとても小さく、我々は言われるがまま一階席に腰掛けた。
コーヒーとケーキを注文して過ごしていると、この小さな店にひっきりなしに客がやって来る。
まず、一人の女性客がやってきた。
店主は、二階のテラス席なら空いていることを案内すると、彼女は店内が空くまでテラスで過ごしたいと申し出た。
そのすぐ後にまた、今度は二人連れの客がやって来る。
同じようにテラスを案内すると彼らは店を後にしようとする。
実は目の前の階段を登って見たくて仕方なかった我々は、店主に「私たちがテラスへ行きますよ。」と述べると、念願叶って2階のテラスへ移動することになった。
階段の先に広がっていたのは少しの席と、ふもとの公園の木がすぐ横まで伸び、早くも傾き始めた西日の輝きに包まれた美しい空間だった。
先のひとりで来た女性客を横目にテラス席を楽しんでいたが、時間が経つと流石に風が冷たくなってくる。
寒さを防ぐために連れがブランケットを借りに行ったが、一枚しか残っていなかったようで、私はそれを手に入れることができなかった。
「冷えてきたら、もう一杯コーヒーを頼めばいいよ。」
そんな風に話していると、横の女性客が突然声をかけてきた。
「私はこんなに着込んでいるので、このブランケットを使ってください。」
思いがけない提案に動揺したが、暖かい店内を待つこの客からブランケットを奪うことなどできないと、丁重に断った。
しばらくして一階席が空いて、その女性が無事店内に入ることになった時、彼女は当然のように言葉もなく私にブランケットを手渡してきてくれた。
見栄をはりながらも冷えを感じてきていた私は、心密かにありがたがっていると、今度は店主がやってきてこう述べた。
「寒いのに移動してくれてありがとうございました。これ、同じものですけど、サービスです。」
そう言って私の目の前に一杯のコーヒーを差し出した。その時の温もりは、夕方の寒さをも吹き飛ばす暖かさだった。
そして私は、この世界一暖かいテラス席での時間を、かみしめるようにして過ごした。
2杯のコーヒーを飲み干して店を後にしようと店内へ戻ると、机に飾ってある小さな花が目に入った。
まるで今いたテラスの暖かさをそのまま持ち込んだかのような黄色は、格別に美しかった。
「これはミモザです。たくさん採れるので、持って行ってください。」
こういうと、彼らは私たちに一輪の花を渡して、送り出した。
扉を出て振り向くと、店先には満開の花をつけたミモザの木が、春の訪れを知らせていた。
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