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「わからない」の強さ

ありがたい事に、三十数回目の誕生日を迎えて、友人からおめでとうと今年も声をかけてもらえた。
この歳になると、もう割と本気で別にめでたくはないと思うが、友人が少ない私にとっては、今でも気にかけてくれる人がいるということは幸せな事だなとしみじみ思う。

と、同時に歳を重ねるにつれて"わからない"ことに恥を感じる場面も多くなった。
同級生達も力をメキメキとつけ、下からは立派な才能が次々に現れる。
そんな中で、自分が生き残るには分かることが多くないとあっという間に埋もれてしまう気がしてしまう。

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コーヒーが趣味の私は、色々なお店を飲み歩き、美味しいコーヒーにたくさん出会わせてもらった。
中でも今は、浅煎り中心のスペシャリティコーヒーがやはり魅力的だと思う。
これらは、とてもハッキリしたフルーティさとスッキリした飲み心地を持っていて、非常に分かりやすい凄みがある。
より刺激的で驚異的、エキセントリックな体験をさせてくれる味を探し求めるのは、冒険をしてる感じがして楽しい。

しかし私がコーヒーの師と勝手に思っている、ある焙煎師の方の動画をいつものように見ていると、以下のようなセリフを耳にした。

「若干向こう側が見えない奥行きを感じる質感、これはコーヒーが持っている世界観の大切な部分だと思う」

ハッとした。私が初めてコーヒーに魅力を感じた時、まさにそういう感想だったことを思いだした。
何か宇宙のような広い世界が広がっているが、どこかつかみどころがなく、向こう側が見えない。
しかし、そのベールに包まれている空間を、もう少しのぞいてみたくなって次のコーヒーへ手を伸ばす。


私が専門としている音楽もとても似ているところがある。
どんなに演奏して、どんなに練習をして、どんなに聴いても、まだ見えてこない聴こえてこない世界がその先にある。
しかもそこにはブラックホールのような凄みが存在している気がしてならない。
しかしそれは、見えてないからこそ、自分で自由に想像をはたらかせ、追求して、その生き様を楽しむことができる。


思えばいつも人間の原動力は、わからないことなのではなかっただろうか。
人類が生きている中で起こる自然現象が一体なんなのかわからないから、祈りがはじまったり、科学が始まったりした。
そうしてその繋がりが現代にまで至っているのである。
そう考えると「わからない」ことは決して恥じることではなく、それは自分自身の世界を広げるためのチャンスであり、生きる魅力である。
だとすれば、大人になるにつれて大切なことは、たくさんのわからないに自ら出会うことなのかもしれない。

もちろん、刺激を求める旅も楽しい。
でも、向こう側の見えない世界に浸るのも、こんなに楽しいことはない。
そんなことを思いながら、今日は昔ながらの少し深煎りのコーヒーを口に運ぶ…

2024.5.21

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