「残業」という鎖から、自由になること

「サービス残業はしない」

と決めてから数ヶ月。タイムカードの退社時間の欄には大体「17:10」の時刻がキレイに並んでいる。以前はこの時間が並んでいることに罪悪感さえ感じたものだが、今はそんなことはない。



入社したばかりの頃はそうではなかった。

僕の会社では、約1時間内は残業代が出ない。(正確には、残業することを申請すれば出るとだが、そんな微妙な時間で残業申請している人はいない)

だから17時を回ってする仕事は、サービス残業となるのだが、仕事を始めたばかりの頃は17時チンで帰るの抵抗があり、残業して帰っていた。

残業する理由は、周りより早く帰るのがなんか悪い気がしてたこと、残業しないと仕事できないヤツという烙印を押されるのではないかも思ったから。

要は、周りの目が気になっていたのだ。


たしかに残業すると仕事は多少早く進む。

だが残業してやるほとんどの仕事は、その日に終わらせる必要があるとものではなく、その残業がどれだけ生産性にプラスになっているか問われたら、正直疑問が残るものばかり。

むしろ17時を回った疲れた頭でやるので、精度が落ちていたと思う。惰性でやる傾向が強い。

また、長時間残業した翌日は、異様に疲れが溜まって、結果的に次の日の仕事は、量・室ともに低下するなと感じていた。


そういうデメリットに薄々気づきつつも、僕は残業する方が良いという価値観から中々抜け出せなかった。


周りの友達たちと仕事の話をすると、結構みんな残業していた。中には、忙しい時期は20時まで会社に残ってやるという子もいて、驚くとともに、「頑張ってるなあ」「すごいなぁ」という気持ちがあった。年配の人から、若い時はガムシャラに働く方が良いと言われ、そうだなあと思う自分もいた。


多分、僕の中には、

「長時間働いている」=「すごい」「えらい」 

という感覚があって、それが残業しないことに対して抵抗を覚える原因となっているのだと思う。


少年漫画やドラマでよくある展開。今は苦しいけど、耐えて、踏ん張って、続けてきた努力が報われるというストーリー。

そういうのに子供の時から触れ続けたこと、そういうのが関係しているかも知れない。



だから、残業をせずに帰るようになった当初はすごく抵抗があった。同世代の友達は残業してるのに、僕だけしなくても良いんかな?とか、これは甘えた生活をしてるんじゃないかな?  と、自分を責めたくなることもあった。


だが、それを続けて、数ヶ月。

残業に対して、そういった気持ちを持つことは、ほとんどなくなった。



どこかで読んだのだが、ヨーロッパでは残業せずに帰る人は、残業する人よりも、仕事のできる人と見なされるらしい。  


このことを知った時は衝撃だった。

そんな価値観あるんだ、と。パラダイムシフトの瞬間だった。




別に今も残業する人が仕事できない人だとは全く思わないし、残業するのが悪いことなんて思わない。仕事をするのが好きな人も沢山いるだろう。

ただ僕はこの数ヶ月、必要のない残業は殆どしないようになった。

ー必要のない残業とは何か。 

それは「周りの目が気にしてする残業」「他人の比べて頑張ってる感を味わいたいからする残業」のこと。

要は本質的ではない仕事のことだ。


そして、その時間がなくなったことで、得たものがある。


17時ちょいにタイムカードを切って、家に帰り、ご飯を作って食べる。そして寝るまでの時間で本を読んだり、ゆっくりお風呂に入ったりする。たまには最近会ってない友だちと電話をする。

そんな、かけがえのない瞬間だ。







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