いつか消えてしまう場所で  ~小さな農村で感じたこと~

一昨年の2月。僕がまだ高知県に住んでいた頃。僕は春休みを利用して、ある地域を訪れました。そこは高知市から車で走ること3時間。四国の端っこともいえる、海沿いの町です。

その町を訪れたのには、二つ理由があります。一つは、その地域に最近観光施設ができて、まだ行くことができていなかったから。

もう一つは、その地域によく通っている友達がいたから。本当は村といった方がいいくらい、とても小さな町なのですが、その子の口から語られるその場所はとても魅力的で、僕もその町のことを知りたいなと思っていました。

そこで春休みのひと時を使って、その町を一泊二日の予定で(一人で)訪れることにしてみたのです。

割と思いつきで家を飛び出してしまったので、その日に泊まる宿以外のことは何も計画を立てていませんでした。一日目は、その観光施設や道の駅を回っていました。でも途中で観光地巡りも飽きてしまい、岩場に座って海を眺めたり、海辺の町を歩き回ったりしていました。この時の思い出も色々とあるのですが、今回は省略します。

その夜は、小さな宿(宿という言葉がしっくりくる建物です)に泊まりました。その日の宿泊者は僕だけ。多分、お遍路さんが泊まることが多いのだと思います。海沿いにポツンと立つその宿は女将さんが一人で切り盛りしていました。女将さんは穏やかなで、とても笑顔が素敵な人でした。その日の夜ご飯は、ふんだんに海の幸が使われた女将さんの手料理。魚がまるまる一匹使われています。おいしいご飯を頂きながら、お話をしました。とてもゆっくりした夜でした。

次の日。宿の近くに、いくつか集落があるようだったので、歩いて回ってみることにしました。女将さんにそのことを話し、「車をしばらく駐車場(駐車場というよりは空き地と言う方がしっくりきますが)に置いていてもいいですか」、と尋ねました。女将さんは快くいいよと言ってくれました。女将さんにそのことと、一晩泊めてくれたお礼を言い、僕は歩いて山の方に向かって歩いていきました。最初は家が並んで立っていたのですが、段々と奥に進んでいくにつれて、どんどんと家と家との感覚が遠くなってきます。いくつもの畑と耕作放棄地と通り過ぎ、そしてまた畑、神社、小川、畑を横切ると、家が2,3軒見えてきました。どうやらここが、集落の一番奥のようです。

多くの中山間地域がそうであるように、あまり人の姿は見えません。人が少ないのはもちろんありますが、地域の人は農作業は朝と夕方の涼しい時に行うことが多いので、お昼どきはみんな家にいるのです。あたりはシーンとしていて、鳥の声と山の木が風で揺れる音だけが聞こえます。


僕はこうして集落をブラブラと歩き、そこで出会った人にお話を聞くことがよくあります。インタビューではないし、研究のためとかではないですよ。
なぜわざわざ話をしに行くのか。その理由が上げるとしたら(自分勝手な理由ですが)、一つ目は、そこにいる人たちの話を聞いてみたいから。もう一つは、話すことで何か自分が成長できるんじゃないかという勝手な思いです。まあ何というか見ず知らずの人に話しかけるのは勇気がいりますからね。


ですから、どこかに地域の人はいないかなと、そのきれいに整備された畑などを見ながら歩いていました。冬だけど、日差しがとても暖かく、もう春の陽気を感じられる日です。しかしあまりに人の気配がなさすぎて、もしかしたらこの土地の人は何年も前にこの土地から出て行ってしまったのかもしれない、と思いました。まるで僕しかいないかのようです。

一番奥に、大きな庭に囲まれた小さな家がありました。
その庭はとてもきれいで、美しく、僕はまるで宝物を見つけたような気分になりました。
その庭をよく見ると、おばあさんが一人座って、農作業をしてしました。

「こんにちは!」と声を掛けると、向こうも「こんにちは。」と返事をしてくださりました。おばあさんは畑のに座って草取りをしていました。ぼくもそのそばに座りました。そのおばあさんは90歳でした。おばあちゃんは、話す言葉もしっかりしてるし、もっと若く見えたので僕はびっくりしました。本当に色んな話をしました。大体1時間ほど話していたと思います。


僕はこの経験がきっかけで、地域の見方が変わることになりました。
それは、おばあちゃんが大切に手入れしているこのお庭に関係があります。
海と山に挟まれた小さな集落で出会ったおばあちゃんと庭ー今思い返すと、その時感じたことは、僕の人生に大きな意味がありました。

(つづく)






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?