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millennium paradeは世界をぶっ飛ばしてパッと散れ

 日本は極東の小さな国だ。この国で一等賞をとっても、それが即ち世界に通用するものではない。そんな呪縛めいた島国根性丸出しの海外至上主義は、もうとっくに時代遅れだ。

 毛細血管のように張り巡らされたインターネットは、ボタンひとつで世界中に膨大なデータを送り出す。その情報量は59ゼタバイトにも及ぶ。(”ゼタバイト”の規模すら想像することもできないが)

 millennium paradeが2月10日にリリースしたアルバム「The Millennium Parade」は、「まずは日本を制覇してから」などと言うステップを踏まず、ネットを通じ一足飛びに世界を呑み込む激流となるだろう。

ほとんど予備知識なくミレパのアルバムを聞いたら。。

 King Gnuは好きだしよく聴いているが、特別大好きと言うほどでもない。さらに常田大希よりも井口理ファンなので、ミレパは片目でチラッと様子を伺う程度だったのだ。予備知識としてあったのは、常田を密着取材したNHKスペシャル「破壊と構築」くらいだ。

 アルバム「The millennium parade」は、MVもライブ映像も見ず、Apple Musicでいきなり音だけを聴いた。アンフェタミンだかドーパミンだかアドレナリンだか何だか分からないが、神経を異様に興奮させる成分を脳にブチ込まれたようで悪寒がした。鳥肌が立つと言うレベルではない。

 痺れた脳は「ヤバイ」とか「スッゲー」とかそんな言葉しか生成できなくなっていた。この現象は映像、CDパッケージや公式サイトのアートワークなどの視覚情報を追加することによりますます悪化した。

 この予備知識のなさ、期待感の薄さこそが、彼らの評価を爆上げする起爆剤だったのかもしれない。おそらく海外のオーディエンスは私以上にミレパを知らない。もしミレパに力がなければ、無名の日本人バンドなぞ鮮やかにスルーされる。しかし、興味関心ゼロのクリーンな状態で、ミレパをうっかり食らったら、免疫のない身体はバカみたいに踊り出してしまうだろう。

 J-POPどころか”音楽”と言う領域にさえ収まり切れない祭りが始まった。まさにパレードである。

「ケガレ」の今こそ「ハレ」を骨の髄まで享受したい

 世界中が日常の状態である「ケ」さえままならない今、生命エネルギーが枯渇した「ケガレ」に喘いでいる。そこへ日出る国からド派手な祭囃子が発信された。

 花火、テクノロジー、盆踊り、アニメ、刺青などティピカルなクールジャパンを構成するエレメントを纏い、常田大希の求心力で集結した若い才能がそのエネルギーを迸らせる。

 子供の頃に初めて”ねぶた祭り”を見たときの、恐怖にも似た興奮を思い出した。細胞が沸き立ち跳ね上がるような高揚感は、コード進行がどうの、トラック数がどうのと言う分析や批評を高笑いしながら弾き飛ばしていく。

 今できる全てを投じたカオティックなメイドインジャパン。すでにYouTubeチャンネルには様々な言語のコメントがひしめいている。
 
 バーチャルだけでなく、リアルなステージで世界を気持ちよくぶっ飛ばし、3年くらいでパッと散って欲しい。祭りは短く跡形もなく消えるからこそ美しい。

ミレパは令和のYMOか?

 ミレパの活動を見て約40年前のYMOを思い出した。適切な容量のオリエンタルフレーバー、高い音楽性と演奏力で、世界をあっと言わせた彼らの活動も実質4年くらいだ。

 これはLAでのライブ映像だが矢野顕子、渡辺香津美も参加している豪華版。打ち込みテクノ曲なのにライブでの生演奏がえげつないレベルである。もう一度言う。デジタルテクノロジーがよちよち歩きだった40年前の曲なのだ。

 いつか常田大希は坂本龍一のように、”世界のTSUNETA”になるような気がする。あのルックスを活かし映画に出るもよし、コンポーザーとして、またプロデューサーとして新たなプロジェクトを立ち上げるもよし、KingGnuでゴリゴリのPOPを目指すもよし。

歌は歌わなくてもいいかな(小声)

 ミレパはそのほんの足掛かりに過ぎないのかもしれない。末恐ろしい。ここまで1700字もの言葉を尽くしてきて言うのもなんだが、結局この言葉が最も適切だ。

かっけーーーー!!!


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