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米津玄師に刻まれた傷と痛みの証明

「米津玄師の歌詞を因数分解して分かったこと」<第20章>

*プロローグと第1章〜19章は下記マガジンでご覧ください。

 米津玄師の歌を聞くと、どんなに優しい曲だとしても心のどこかが仄かに痛む。こそばゆいような甘やかな痛みのこともあれば、ずっしりと重い疼きのこともある。

 彼の曲に癒されるという声もよく聞くが、それは固くこわばった身体を揉みほぐされる時の「イタ気持ちいい」という感覚に近いのではないだろうか?

”痛み”に磨かれた”傷”だらけの宝石

 米津には自身が内包する「痛み」を音楽に昇華し、”同じような傷を持つ人間にそっと手を差し伸べる人”というイメージがある。

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 それは自然発生的に浮かび上がった米津像なのか、戦略的に練られた幻想なのかはわからない。いずれにせよ、そのような存在であろうと身を削るように音楽を作っていることは間違いない。

 事実、「STRAY SHEEP」のコンセプチュアルなモチーフである宝石を「君がつけた傷も輝きのそのひとつ」(カムパネルラ)と歌っているように、米津の歌詞には「痛み」や「傷」という言葉が数多く登場している。

痛むことが命ならば愛してみたい

 ”痛い”、”痛み”という言葉は16曲の歌詞で使われている。うち半数の8曲はアルバム「YANKEE」収録曲だ。意外なことに、米津がアルバム制作時に最も痛みを感じていたであろう「diorama」には、”痛い”、”痛み”という歌詞は皆無だった。

 米津の歌詞における”痛み”はざっくり4つの意味に分類できる。

1:「恋や郷愁がもたらす甘美な痛み」

 「痛みにも似た恋が身体を走ったんだ」と歌う”春雷”や「痛いくらい幸せな思い出」にいつかくる別れを憂いた”アイネクライネ”。これらの痛みを俗っぽく擬音化するなら「キュン」である。

2:「消し去りたい辛い痛み」

 「散々痛い目にあった毎日を消して」(しとど晴天大迷惑)や「その涙で胸が痛いの」(ゆめくいしょうじょ)、「あなたの痛みも知らず」(海と山椒魚)などは、深い悲しみや後悔を含んだ真性ネガティブな痛みである。

3:「ポジティブに受け入れる痛み」

 逆に、痛みを忌むのではなくポジティブに受け入れている曲は、”ナンバーナイン”の「痛むことが命ならば愛してみたいんだ痛みもすべて」や、”馬と鹿”の「痛みは消えないままでいい」などがある。”リビングデッドユース”では「痛みさえどうせ手放せないのなら全部この手で抱きしめて」と清濁併せ吞む覚悟が伺える。

4:「アイデンティティとしての痛み」

「痛み」を自身の構成要素のひとつと捉え、そこから生まれる思考や感情を抱きしめるように歌っているのが ”ララバイさよなら”の「痛みも孤独もすべてお前になんかやるもんか」と”Wooden Doll”の「痛みを呪うのをやめろとは言わないよ/それはもうあなたの一部だろ」だ。

 こうして分析してみると、米津の歌う「痛み」は決してネガティブではないことに気づく。閉じていたアルバム「diorama」よりも、世に向けて「開いて行こう」と決意した「YANKEE」の方が多くの痛みを伴っている理由がわかるような気がする。

小さな擦り傷が残すもの

 「痛み」よりも、さらに使用頻度が高い言葉は”傷(痣を含む)”である。「傷」だけでなく「傷つく」「傷つける」などの動詞も合わせ20曲に登場。「痛み」と「傷」が使われている曲は31曲もあり、これは全体の35%に当たる。

 外傷には「切り傷」「擦り傷」「刺し傷」などの種類がある。医学的に見ると瘢痕や色素沈着を残しやすいのが「擦り傷」だそうだ。傷口についた砂などが皮膚に永久に残ってしまうことを「外傷性刺青」と言うらしい。

もしかしたら、心の傷も同じではないだろうか?

 米津の身体にタトゥーがあると言う情報はないが、彼の心には「外傷性の刺青」が深く刻まれているような気がする。

行き過ぎた愛で傷つけ合う

 米津が4曲で歌っている「傷つけ合う」は、憎しみではなく深い愛情の裏返しだ。愛ゆえの破綻。そんな状況がよく現れているのが”fogbound”だ。

「もうよそう、傷つけ合うのを。
 お帰り願う、もう2度と」

 ”カナリヤ”の関係性はまだ継続の余地がありそうだ。

「時には諍い傷つけ合うでしょう。
 見失うその度に恋をして確かめ合いたい」

「痣」は4曲で使用しているが、すべて「痣だらけ」である。”クランベリーとパンケーキ”の痣は転んでできたもの、”MAD HEAD LOVE”はあばら家の寝室でできたものだが、歌詞の中では数少ない肉体的な痕である。

 実は「diorama」では「傷」という言葉も1曲でしか使われていない。その代わりに他に比べ「diorama」に目立って多い言葉は「愛されたい」だ。真の孤独には「痛み」も「傷」さえも生じないことの証明だろう。

 “飛燕”に出てくる「傷に傷を重ねて泣いている誰か」も、傷の痛みを感じ取れているのなら、そこに希望が見えるはずだ。

 消えない傷も忘れられない痛みも、動き、もがき、つまづき、愛し愛された、誇るべき美しい「心の刺青」なのだから。


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<Appendix>

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