声が出せないのは米津玄師本人ではないか
「米津玄師の歌詞を因数分解して分かったこと」<第13章>
*プロローグと第1章〜12章は下記マガジンでご覧ください。
↓
人と意思疎通みたいのが
とんでもなく下手くそで。
(中略)
あ、わかんねぇんだって、
完全に引いちゃって。。
意見をぶつけ合うみたいのが
全くできなくて。
米津玄師は数年前の尾崎世界観との対談で、泣き笑いのように自身の過去を振り返った。まるで、WOODEN DOLLの歌詞そのものだ。
「もう、黙り込んだ方がお得だ。
否定されるくらいなら
その内に気づくんだ。
何も言えない自分に」
それから何年か経ち、多くの逡巡や葛藤の末、米津は他者とのコミュニケーションをとる「技術」を身に付けた。いくらかタフになり、音楽制作の現場で、SNSやインタビューで「いつかポケットに隠した声(LOSERより)」を発するようになった。
「聞こえてんなら声出して行こうぜ」
(LOSER)
「ちゃんと話してよ 大きな声で 」
(WOODEN DOLL)
「話そう声を出して 二人の思いについて」
(メランコリーキッチン)
「声」という言葉は32曲(全体の37.5%)の歌詞で使用されているが、米津の使う「声」とは、声帯を振動させて発する音そのものより、上記のように”意見や想いを他者に伝えること”を意味するもの方が多い。
許されてないと声も出せません。
多くの人々に少しずつ許されながら生きてきたと言う米津は、かつての自分のように「声」を出せない人々に思いを馳せた曲を多く書いている。時に闘おうと声を荒げ、時に逃げようと声をかける。
音楽だけではない。文字でも声を上げ続けてきた。
2009年から始めたTwitterは、2011年から投稿が増え始め、ピーク時の2017年には年間349回もツィートしている。ファンからの質問に答えるリプ返しやツィキャスなども盛んに行われていた。
*2009年〜2011年くらいの投稿は後から削除した形跡あり。実際はもっと多かったと推測される。(2021年2月現在で残存してるデータのみ)
*RTは含まず。但し引用RTは含む。
グラフを見ればわかるようにLemonが大ヒットした2018年から極端に投稿回数が減っている。
これ以降、かつてのような辛辣な意見の発信や、リプ返しをほとんどしなくなり、仕事関連の告知とその引用RTがメインとなった。インスタグラムもブログも投稿回数が減っている。2018年には8回も配信されたインスタライブも2020年はたった1回のみとなった。
破竹の勢いで連続ヒットを飛ばし続けた米津は、その知名度と売上金額と反比例するように「声」が小さくなっていったのだ。
米津から「声」を奪ったのは誰か?
有名税と言ってしまえばそれまでだが、SNSでの活動は瞬く間に拡散され、削除しても残ったログはまるで宇宙ゴミのようにネット上を漂い続ける。パパラッチに張られ、ただの飲み会画像でさえ「パリピ」「ビジネス陰キャ」と揶揄される。
今、米津がかつてのような「クソボケ!」発言をツィートしようものなら、あっという間に炎上し、その炎はネットを焼き尽くすだけでは済まないだろう。あのClubhouse騒ぎがいい例だ。翌日のニュースの見出しには「ファンを見捨てた」と言う文字が小躍りしている。
彼から声を奪ったのは、マスコミか?アンチか?あるいは「俺を好きでいてくれる人たち」か?
そのどれでもあり、どれでもない。
アーティストとしての矜恃と責任
仕事がらみのこと以外、何も語らなくなった理由のひとつは「責任」だと思う。
SONYのドル箱、REISSUE RECORDの大黒柱、ファンにとって計り知れない影響力を持ったセレブリティとなった米津玄師。彼は1人の身体ではないのだ。clubhouseでも迂闊なことは何も語らなかった。「責任がある」と言う自覚が痛々しいほどに感じられた。
彼の声はほんの小さな呟きでさえ、大出力のPAシステム並のパワーで遠くまで届いてしまう。慎重にならざるを得ないのだろう。
レディガガや数多のハリウッドセレブのように、米津が、その声の大きさを堂々と誇示し、利用し、世の中を変えようとする日が絶対ないとは言い切れないが。
もうひとつ、「作品」で勝負したいと言う矜恃もあるかもしれない。
彼はこれまで新曲やアルバムが出るたびにYouTubeやメディアのインタビューでセルフライナーノーツ的な解説を行ってきた。
古い話で恐縮だが、インターネットがなかった時代のアーティストは、作品を発表する際、その解説は音楽ジャーナリストや評論家が書いていた。もちろん音楽雑誌などのインタビューくらいはあったが、基本的に武器は「作品」だけだった。
ネット時代のアーティストは「作品」の周りを武装できる。「自らの解説や想い」を、「買ってね、見てね」というお願いを、SNSを通じて機関銃のように撃ちまくることができるのだ。
それは大いに活用すべきだが、アイドルのように「昨日何食べたの?」とか「泳げるんですか?」みたいな話にまで付き合わなくてはならないのか?それはファンサービスとして必要なことなのだろうか?
ファンとアーティストとの距離は、作品を挟むだけの余白を保つべきだと思う。HYPEのMCで米津が語ったと言うこの言葉が全てではないだろうか?
「俺はみんなと友達にはなれないけれど友達以上の関係を築くことができる。(中略)俺を信じて欲しい。(中略)俺は音楽を作り続けるから。」
同様の趣旨のことを9年前にもツィートしていた。全ての愛する人たちとの関係性において、この余白は絶対に犯してはならない聖域である。
彼の次なる作品からどんな声が聴き取れるのか、楽しみに待ちたいと思う。
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よろしくお願いします!
<2月23日追記>
この記事の翌日、2月12日にはTwitterに歯医者で思った他愛のない呟きが2連発で投稿され、同日に旧正月を迎えた中国のファンに向けて、Weiboで新年の挨拶がポストされた。それからわずか10日後の2月22日には5ヶ月ぶりのインスタライブでクラブハウスについて触れ、さらに生歌も披露するなど、約1時間に渡ってファンに肉声を届けた。
この記事がしょうもない杞憂であったことに安堵するとともに、読んでくださった大勢の方々に余計なご心配をかけたことに申し訳なさを感じている。
*この連載は不定期です。他カテゴリーの記事を合間にアップすることもあります。
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<Appendix>
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