クィア日記_2024_05_24

今日はパンセクシュアル可視化の日だそう。

私はパンセクシュアル(パンロマンティック)。かつ、デミセクシュアル(デミロマンティック)だと思う。
つまり、強い信頼感が生まれた相手に、ごく稀に恋愛感情や性的好意が生まれるし、その相手のジェンダーは問わない。

私は37年生きてきて、「この人(恋愛的な意味で)好きだなぁ」と思ったことが1、2度しかない。そもそも私の性格上、誰かに心を許したり信頼感が生まれるのに少なくとも5年はかかる。そこから恋愛的な意味での好意が生まれたりする可能性がとても低くて、「好き」に気づくのも遅い。
最近「デミセクシュアル」という言葉を知り、「まさにこれだ」って発見があって楽しいのでほんとうはそのことについて書きたいけれど、今日はパンセクシュアル可視化の日なのでパンセクシュアルであることについて記す。

はじめて女性を好きになったとき、私はバイセクシュアルなんだと思った。パンセクシュアルって言葉も聞いたことはあったけれど、正直バイセクシュアルとパンセクシュアルの違いが分からなくて、とりあえず男性も女性も好きになったから?と、安易にそう思った。

(余談ですが、まだ誰も好きになったことのなかった私は、自分をヘテロセクシュアルだと思っていました。"そういうもの"だから。それってあらゆる可能性を狭めていてもったいないと思う。わたし、ヘテロセクシュアルじゃないかも、なんて思いもしなかったよ。女性を好きになるまで。)

…だけれど、バイセクシュアルの人の話を聞いていると、好きになるタイプとジェンダーが関係してくるらしくて、私にはその感覚が全くないのでびっくりした。今思えばそもそも私には「好きなタイプ」が存在しないけれど、誰かを好きになるとき、ジェンダーのことなんて考えたことがなかった。モノセクシュアル(異性愛者、レズビアン、ゲイなど)の人たちはジェンダーが関わってくるだろうけど、バイセクシュアルの人も好きになる相手のジェンダーが好意に関わってくるんだ!って驚いたの、今でも覚えてる。
それなら私「パンセクシュアル」だわ。ってその時思った。

何かの名前に自分を当てはめる必要はない。
けど、なんか自分ってどこにも属せないというか、居場所がないというか、あらゆる物語を見ていても自分を重ねられないというか、そういうときに、「いるよ、あなたみたいな人」って名前が用意されていると、やっぱりちょっと安心する。私ひとりじゃなかったんだなぁ、こんな在り方でも良いんだ。ってホッとする。

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