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小説『SAUDADE#1』ブラジルに渡った日本人


 ブラジルの赤道近い地域の昼の屋外の太陽は、痛いくらいに肌へ差し込んでくる。夕方になると、その太陽は暖かく包みこむように優しい日差しへとかわっていく。
 長くのびる海岸線と平行につづく岩礁は、太平洋の波を大きく受け止め波打ち際の足元を柔らかく洗い流してくれている。

 神戸の港町にあるブラジル料理のレストラン『SAUDADE(サウダーデ)』。海が正面に見える夕暮れ時のオープンテラスでは潮風が吹き込んでいる。金色の夕日が差し込む店内のテーブル席では、様々な国籍の客がセルベイジャ(ビール)や、カイピリーニャ(カクテル)や、ガラナ(グァラナという果物の炭酸ジュース)を飲みながら、シュラスコ(肉をサーベルのような串に刺して直火で焼く料理)を味わい、甲高い声で笑い合い、歌っている。
 土曜日の今日は、ライブでボサノヴァのステージが見れる日だった。
 出稼ぎ労働のため来日している日系人たち。ここは、ブラジルの空気に包まれている。
 店に初老の日本人男性と、中年にさしかかる落ち着いた風貌のブラジル人女性が入ってきた。
 ブラジル人の店員ファビオが迎えにいく。
「ようこそアナパウラ、タツオ、今日のステージはリカだ」
 テラス手前の海に近い店内の席へ案内された。ファビオは、椅子を引き、アナパウラが腰を下ろすと同時に椅子を前へ押した。アナパウラは、頬杖をつき海に顔をやり、目を細めている。
 タツオは、入口からすぐ右にあるビュッフェコーナーへ直行し、メインの大きな平たい皿を二枚片手にとって並べた。まず、炊飯器を開き、アホイス(ポロポロしたブラジル米)を大きなスプーンのような物で皿へ一杯つづ入れる。次に煮込み鍋から、フェジョアーダ(赤い豆と牛や豚肉を煮込んだスープ)をアホイスの上に1杯づつかけ、器に入ったファリーニャ(キャッサバ芋をすりおろし乾燥させた粉)を木のさじで上から軽くまぶす。片手に乗せていた皿を一枚づつ両手にもちかえ、席で待つアナパウラのもとへ歩いていく。一枚をアナパウラの前へ置き、もう一枚を向かいの自分が座る席の前へ置き、椅子へ座った。
 肉を焼いていた店員アンデソンがタイミングを見計らったように、サーベルに刺したままの肉を刃を上に立てたまま持ってきた。右手には肉を切るための包丁を持っている。
 アナパウラは、指を2本立てブラジル語で「2枚」と言った。アンデソンは、口角を上げ胸を張って包丁の右手を胸にとり、うやうやしく頭を下げる。アナパウラのお皿に持ち手を上にしてサーベルを立てた。右手で肉の焼き目がついた部分を削ぐように切り始める。彼女は、ナイフとフォークを手に持ち、切られて垂れ下がってくる肉をナイフとフォークで受け止め、フェジョアーダのしたたる上へ切られた肉を次々と置いた。
 つぎに、店員はタツオへ目くばせと、アゴをくいっと上へ上げ、どうだい? というしぐさをした。タツオは指を1本立て同じくブラジル語で「1枚」と言った。店員アンデソンは、優しく微笑み肩をすくめ「それだけか? 元気でないぞ」と言って2枚目を切るふりをした。タツオは、人差し指を横に振って「年寄りにはこれで十分なんだ」と笑顔でこたえた。
 
 今年は、ブラジル移民船「笠戸丸」が初めて神戸港からブラジルのサントス港へ到着してから100年が経つ。
 笠戸丸は、明治時代の日露戦争から第二次世界大戦にかけて移民船として使用されていた船である。
 神戸はブラジルへ渡航する人たちが、一時滞在し、手続きや研修を受けていた日本で過ごす最後の場所だった。当時宿泊していた建物は「神戸移民センター(KOBE IMGRATION CENTER)」として、現在も当時のままの建物で交流センターとして残っている。
 

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