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Wiener コアラの会


この度、ようやっと自分の念願である、Wiener コアラの会のWebサイトが完成しました。

こちらのWebサイトからも同じ文章を読めるので、まずはサイトを訪問してみてください。


序文

今日、ようやっと皆様方に読んで頂ける文章が完成しました。クラシック音楽界の将来を考え約1年余り熟考した文章です。大変長文で通して読まれると約1時間強かかります。何日かかっても良いですから、必ず全文をお読み下さい。いままで皆さんがオフレコにしていた話など沢山の事実が書かれています。この文章を読んで怒りを覚える方も中にはいらっしゃると思いますが、一度皆様方に問うてみたい、と発表させて頂きました。誹謗中傷するつもりは毛頭御座いません。私はここで書くアイディアを良い方向に実現させていくつもりです。是非じっくりご一読ください。また、あらゆる方法を使ってこの考えを拡散し、沢山の方々に読んで頂きたいと思っています。

なおご意見のある方は、Facebookのメッセンジャー(https://www.facebook.com/yuji.yuasa.10/)でのみ、御返信下さい。どなたからのご意見であるかを確認したいのでご協力お願いいたします。


まずはじめに

今日は3月2日、今日からSNSを使って皆様方に私の今後やっていこうと思っている事を紹介していこうと思います。ある知人の女性からは短く簡潔に、項目別に文章を分けるなどしたほうがいい、と助言を頂いたのですが、そうすると自分の読みたいものだけを読んで他を飛ばしてしまう可能性がありますし、とにかく全文を読んで頂きたいので敢えてダラダラとした口語調の文章にしました。ご了承下さい。

こういう風に始めた最初の想いは、時が経つうちにとてつもなく発展してしまい、手直ししている今日はもう6月5日です。

最初にお断りしておきますが、残念ながら私は重度の糖尿病により右眼を失明し、左眼は緑内障という状態の為、非常に不自由な思いをしております。したがって簡単に文章書くことができませんので、弟子に頼んで口述筆記をしてもらったり、色々と工夫してこれをSNS上に載せるようにしようと、まずは考えました。

今回一番お話ししたい点は、特に次の10年間、クラシック音楽界の発展ということを考えたとき、たいへん先細りの傾向にあると言える、ということです。それに加えてこのコロナパンデミックです。このことについて皆様方にもよく考えて頂き、世界的にクラシック音楽界がもっと繁栄する様に、とペンをとった次第です。この文章では、現在の音楽界の問題点を掲げ、それに対する提唱点を述べていきたいと思います。


まず音楽家全体が持つべき最低条件

はじめに、現在音楽に携わっている方々全員に、もう一度音楽芸術家としての心得えと在り方を再確認してもらうことが重要だと思います。

特に現在既に音楽業界で従事されている方、それを目指している方、音楽学生の方等へ。

  1. 最も自然な状態の音楽を表現できる事。
    音楽上では何が自然で何が不自然かをもう一度よく知る事です。わかりきった事を言っているようですが、これを実現する事が何よりも難しい。特に近年忘れられている部分ではないでしょうか。

  2. もうひとつ大事な事は、クラシック音楽が何百年も続いた芸術であること。この歴史と伝統を徹底的に研究をして表現をする。その為には、まず知識が必要です。それと、それを表現できるだけの技術、そしてそれを判断できる感覚と能力。

  3. そして毎日諦めないで訓練する事です。

  4. 音楽屋(お金稼ぎが第一)にならずに音楽芸術家になる事。
    この両者の違いは非常にはっきりとしていて、芸術というものは聞き手(相手)も人間であり頭脳があるという事です。聴衆も音楽家も、供給された音楽を各個人の頭脳の中でその人の持っている知識と融合して出来あっがったものが「文化」な訳です。だからこの事を理解した上でその可能性を提供することが出来る人を「文化人」と読んでいる訳です。ただ感覚のことだけを追求していて、聴衆にもそのことしか提供出来ない人を「音楽屋」と呼んでいる訳です。

  5. いつも世界トップクラスを目指している事。
    この100年の間にいったい何人くらいの人が音楽家として世界的に名を遺したでしょう。恐らく巨匠といわれる人は100人位じゃあないですか。現在は風潮として音楽、作品を使ってどういう風に自分を表現するかなどと表現方式ばかり考えて、この芸術に歴史がある事を忘れてしまっている人が多いようです。日本には歌舞伎等の古典芸能という立派な手本があるではないですか。皆さん方は伝統を守る彼等と同じくらいの努力を毎日していますか。クラシック音楽で今一番忘れられているのがこの伝統の伝承です。ほんとうにこれを実現する為には訓練努力と知識が必要です。


指揮者について

とその前に、すっかり忘れていましたが自己紹介をさせていただきますね。私は1956年昭和31年の6月20日に千葉市で生まれました。6歳の時から親の言いなりでピアノを習い、それから14歳中学2年の時にたまたまテレビでNHK交響楽団と指揮者のサヴァリッシュ先生の番組を見て、指揮者に憧れるようになりました。その番組の中で指揮者の勉強方法やオーケストラの練習をしている姿を見て興味を持った覚えがあります。そしてたまたま運良く齋藤秀雄先生と面識ができ、何とか先生のご指導を受ける機会を得たのですが、残念ながら先生はすぐに亡くなられてしまいます。そしてその後私は東京藝術大学の指揮科を受験しましたが、これは見事に落ちてしまいました。再度の受験準備をしている時に不慮の事故に遭い、残念ながら指揮者になる道を一時断念せざるをえなかったのですが、その後右往左往あった後決断をして24歳でヨーロッパのウィーン国立音楽大学に留学します。その後は大変充実した学生生活を送り、3年目よりヨーロッパにおいてキャリアが始まりました。しかしその後すぐに事故の後遺症が出てしまって指揮者活動を断念せざるを得なくなり、教授陣と生徒達の推薦もあって母校で教育者の道に入ることになりました。おかげさまで自分の母校であるウィーン国立音大がそのまま私を受け入れてくれましたので、30年もの間教鞭をとることができました。この間、世界一流の音楽家やウィーンの殆どの音楽家、音楽教師と深く交流関係を持つことができ、実践の活動はなくなったものの、指揮者教育の場面では世界的なレベルまで達したものと思っております。歴代の教授陣といえば、ワルター、クレメンス クラウス、ワインガルトナー、スワロフスキー、スイトナー、エステルライヒャー、ハーガー、ラーヨヴィッツ、ストリンガー、(私) 。生徒としては、カラヤン、アバード、メータ、ヤンソンスをはじめとして大半が世界中のオーケストラや歌劇場で活躍をしています。私が教えたこの30年の間にも、世界中のオーケストラや歌劇場で、常任指揮者、音楽監督を経験した人だけでも100人を超えていますし、とくに最近では、キリル・ペトレンコがベルリンフィル、オロスコ・エストラーダがウィーン響の音楽監督になるというように、教え子が世界の中心的存在となるようになりました。またアジア人に関しては、ヨーロッパで活躍させる為にはどうしてもコンクールを優勝させるしかなかったので、その方面に力を入れ、生徒の入賞者は50人を超えました。1つの学校でこれだけの人材を輩出したことは我々が誇れることだと思っています。日本人の中には皆様方お馴染みの者もいると思います(阪哲朗、曽我大介、下野竜也、三橋敬子等)。今や世界中で少なくとも300人程の弟子達が毎日コンサートを指揮しているでしょう。

さて私の事はこのくらいにしますが、どうしてSNSを通して皆様方にいろんなお話をしようかと思ったかといいますと、私が健康上の理由で教職を早期退職をして、この健康状態でこれから先出来る事を探していたからです。

指揮者業界の話

さてここからは詳しくわかり易い説明をするために、私の専門分野で特にオーケストラ指揮者業界の話をしましょう。現在自称指揮者であると思われる人は世界中でだいたい少なくとも1万人くらい、日本でさえ自分の名刺に指揮者と書いている人は少なくとも1000人くらい、そのうち100人くらいの人がプロオーケストラと何らかの形で働いています。この内10人くらいの人が現在の大手音楽事務所やオーケストラに気に入られてより多くの活動をしてしています。さて、1000人の日本人指揮者のうち何パーセントぐらいの人が私が最初に掲げた様な充分な研究研鑽をしているでしょうか。おそらく数パーセントにも満たないと思います。

そこで「指揮者としての条件」を私なりに考えてみました。

指揮者としての条件

  1. 基本的な技術がしっかりしている事。
    1番必要なのは耳、要するに優れた聴力です。これは一般的に言うソルフェージュの事ですが、この場合何が大事かと言いますと、絶対音感があったり、その音が何の音かと判るだけでなく、音の高さあるいは音色、音質をどういう風に作ったらそれが人間の感情にどういう風に影響するかを考え、それらを完璧に聞き分けられる耳をまず作ることなのです。

  2. 次にそれを相手に伝える能力が必要です。まず指揮というものは、日本の場合では斎藤秀雄先生がいろいろ考えた指揮の技術、これは手の動きをわかりやすく簡素化をする事で図形と言う概念を考えて作ったものですが、自由自在に手を動かせるようになる為の運動修得ということのみを考えた場合、世界最高の指揮法教程だと思います。
    指揮で1番大事なことは、音楽の完成品を指揮によって示すと言うことだけでは無いのです。あくまでもそれは、まず演奏家があって、演奏家が弾く事に対して、どういう風に演奏すべきかというある意味での予定を相手に伝え、その予定の中で演奏家が音楽の形をつくりあげていくと言うことなんです。そしてその都度、0.何秒の間にその出来た音を聴き、音楽上の誤差を直したり、新しい音に対する変化指示をしたりすることが大事なのです。その都度その都度違っていく経過を指示するのです。それを瞬時に出来ること、これが指揮の本来の極意です。残念ながら見やすいこと、わかりやすいことばかりが強調されていますね。誰もが見やすい動きを手の動きで表すことは大変難しいことです。ですからこの事ばかりが発達してしまいました。現在の指揮科のレッスンはどういう風に演奏会で振るかとか、どうしたらコンクールに勝てるか程度のレッスンしかしていませんね。残念な事です。しかも、現在世界的な指揮者の中で、この見やすいという点ですばらしい技術を持った人はほとんどいません。日本人でも2人しか知りません。秋山先生と私の弟子の下野だけです。あとは誰も私の求めている基準に達していません。日本で1000分の2とは悲しいことですね。
    皆さんその見やすい基礎を学ぼうとするのですが、残念ながらこの指揮法というものはある意味で最初の基本的なことまでしか教えることができませんし、それ以上に自分の力で指揮者になっていく人が今ほとんどいません。音楽教育の歴史の中である意味で一番遅れているのはこの指揮者の技術向上の問題です。斉藤先生が作った日本の技術と言うのは、まず日本人にあった技術であり、考え方です。演奏する相手側が優れた音楽家であり、いろいろな事ができるという前提のもと大体の事を伝えると言うヨーロッパ型の指揮法の教本ではありません。弾けない人達もいて、その人達もなんとか合奏に合わせて弾けるようにさせようとする発想です。これは世界のオーケストラの指揮法とはある意味で違った方向ですけれども、相手に対しての動きが直接的に影響を与えると言うことで、指揮のドライビング(オーケストラの操縦方法)の指揮法としてははるかに卓越しています。ですから使い方次第なんですが、斉藤指揮法を本当の意味で克服した人は小澤征爾さんしかいないのです。他の方々は残念ながら指揮の動きの事ばかりに走っています。ですからこの指揮法を最大限に活用できる人はなかなかいませんし、他の(流派の)人達はやや精神論が進みすぎていったり、要するに指揮を振る事ばかりを考えていたり、精神的な事ばかり言っていてどういう音、音楽を創成するか、伝統的に継承されている音楽の部分等、大事な部分に考えが至っていない。ほとんど現在の日本の指揮の先生達はこの域を超えていません。非常に残念です。ヨーロッパやアメリカでは、手が不器用なために大まかな事を指揮によって伝える程度で、オーケストラのドライビング技術は50年前とほぼ変わらない状態です。
    最近はネット上で参考程度ではありますがなんとなく若い指揮者の傾向が解ります。一言、レベルが低いですね。嘆かわしい。全体に指揮の見た目は良くなりましたが、コントロール、音楽への直接的な影響、音楽性、あらゆる面でまだまだですね。
    この程度のヴィデオを観て若手の発掘をしているのが、現在の音楽事務所、オーケストラマネージャー達なのです。彼らの耳も眼も洗練されたものでなければなりません。指揮者以上の見識、知識が必要です。
    ここでこの斉藤指揮法教程の一番良い勉強方法をお教えします。まず運動の項目は運動自体と理論を100%マスターする事。理想の動きを知るうえでは秋山先生、高階先生のビデオを参考にすると良い。練習曲に関しては音楽の事は二の次とする。演習は必ずピッタリ指揮のとおりに弾ける2人から4人のピアニストと行なう。次に実際のオーケストラ曲での演習ではどういう風に振るかということではなくて、手の動きによってオーケストラがどういう風に演奏されるか、音、音楽がどう変わっていくかという点に神経を集中させて実践する。とにかく出てくる音をよく聞き、瞬時に自分の理想の方向へコントロールする事が大事である。その事に集中すれば非常に早くその効果が出て、本来の手によるオーケストラ操縦法を正しく身につける事が出来ます。後は色々な実践あるのみです。と書いたのですが、基礎的なものを習得していない者がアマチュアオーケストラのように不完全なものを沢山指揮してしまうと、いつも曖昧な妥協点を捜してしまう指揮になってしまうので、最初のうちは教師が一緒につくか、最良ではないがビデオ等で後で確認してもらう等した方が良いと思います。

  3. これらの事が実際に聞き分けられる耳と運動神経、それを創り出す音楽性、知識を使って実際の楽曲の訓練を行うことが必要です。

  4. ここで指揮者にとっての最低限必要な学問の確認をしましょう。見識のある良い音楽を創ることと、合奏能力を高める事の出来る指揮者は殆どいません。これから一番養成していかなくてはならない事です。
    基本的な音楽知識を完璧に備える事は重要な事です。全体を統率するためにそれだけに皆が納得のいくだけの音楽性と知識が必要です。名刺に指揮者と書いている方々、どうぞご自分で次の点をご判断下さい。

    -1 優れた耳、ソルフェージュ能力がある。
    -2 誰が見てもわかるバトンテクニックを持っていて殆ど100%アンサンブルをコントロールできる。
    -3 良い音楽をすぐに実際に演奏出来る演奏家であり、理論家や批評家でない事。
    -4 楽曲の予習の為に、相当な程度のピアノが弾ける。
    -5 スコアリーディングがピアノでほぼ初見で行える。

    オペラについて(飛び込みの話)
    日本ではなかなか上手くオペラの勉強が出来ないと思っている人が多いと思われます。要は環境作りなんです。まず周りを見てもオペラを専門的に勉強している指揮の生徒が少ない。オペラを教える指揮の先生が少ない。良いオペラに接する機会が少ない。オペラの興味が市民団体程度のものが主流である。オペラ普及の方針がいつも後手にまわっている。新国立劇場、二期会、日本オペラ振興会など、歌手中心の手前味噌的な活動しかされていない。もし真剣にオペラの発展を考えるならば、国がオペラ普及運動を国家予算でしなければならない。東京、大阪、札幌などの大都市ばかりを考えず、全国に普及させる為に、国家予算でスポーツの国体の様に全国オペラフェスティバルを毎年持ち回りで各県で開催し、海外招聘、新国立劇場、二期会、オペラ振興会グループ公演、市民オペラ開催県、市民オペラ他県グループ2団体公演等で2公演ずつ全部で最低14公演を開催する。

    クラシック音楽文化の普及という事を考えると、総合芸術のオペラが中心となって良いと思う。ヨーロッパの文化の中心は、博物館、美術館、オペラ座、その他劇場であり、その次にコンサートホール、図書館が続くのである。話がオペラの事になってしまったのでこのまま続けますが、一番のオペラ普及の方法はTVの教育番組放送、NHKだけではなく、民放も視聴率獲得のことばかり考えて低俗な番組ばかり作り国民を堕落させずに、文化的放送、特にオペラを増やすべきである。現在のクラシック番組はとにかくちゃんとしたものが少なすぎる。30年前の方が意義と興味が存在した。堕落をさせたのは誰であろう。オペラとは西洋文化総合芸術の筆頭であるから、これが文化度向上の良い方法である事は間違いない。国、文科省、文化庁は箱だけはと初期段階にはお金を出すが、その先は全くと言っていいほど興味を示さない。オペラ全般を牽引していく人がまるでいない。この事業をできる音楽家が、殆どいない。オペラに関するあらゆる文化に精通してる人が本当に誰もいないのです。直ぐにも始めなければならない事です。
    必要な人材は、西洋文化に精通し勤勉でマーケティング作りに強い支配人、オペラを総合文化として捉えられる文化人、オペラ音楽に長けた音楽監督、オペラ舞台を音楽、伝統を踏まえて作れる舞台監督、言語習慣を問題なく強い歌唱力と表現力を持った歌手陣、オペラ演奏に慣れたオーケストラ、合唱団。日本では二期会、オペラ振興会はもう60年以上、新国立劇場でさえ20年以上経っているのに、この分野の進歩はかなり遅い。理由は、一つの信念を持って全体像を考え、良い選考の下に人事を考えなくてはならないのに、しがらみばかりを考えてずうっと進歩していない状況にある。

    ミュンヘンの例を見てみよう。私の弟子のペトレンコが音楽監督になって2年半で、オペラの事務方、音楽上では歌手陣、オーケストラ、合唱団(演出、舞台を除く)は彼の思い通りの世界一のクオリティに達するに至った。残念ながら、政治的な都合で演出家と舞台監督の人事に彼の意見が反映されず中途半端な所もあったが、これは良い例だと思う。この駄目な方の例を日本では20年、30年とやっているのである。だから、ミュンヘンではペトレンコを手放した事を後悔し、ベルリンでは大喜びである。ちなみにペトレンコは違うクラスの生徒にも関わらず、私がアジア人に特別に指揮を教える土曜の会に参加して私から色々なことを盗み学び取ったと思います。とにかく勤勉である事、素直な事、反応、反射神経の良い事は今でもよく覚えています。学生時代、暇な時の彼は私の教官室に入り浸りで、よく質問攻めに遭いました。聞き上手、教わり上手でしたね。デビュー当時は彼の殆どのコンサートを聴きに行った事を覚えています。ちなみにこの土曜の会に参加した生徒の95%が現在指揮者として活躍しています。参加した生徒でヨーロッパからキャリアを始めた者の95%は歌劇場での仕事を経験しています。

    日本では指揮科を含めオペラを総合的に教える音大、学校が存在しない。ここから始めなければならないのです。この道は非常に険しいです。国が公共団体が多額の予算で立ち上げないといつまで経っても同じ状態です。そしてそこで教えられる教師を探さなければなりません。今行われているオペラ運動なんて趣味の戯れ言程度ですよ。この発足に立ち向かう人材と緻密な計画が必要です。今の日本のオペラ体制では100%実現不可能でしょう。とにかくこの事を実現出来る人材を捜しましょう。
    この様に理想のクラシック音楽界を創り上げる人材が育たないのも日本クラシック業界の現状です。誰もが、もっと低いレベルの完成度で仕事をして満足しているからです。皆さん考え方を変えましょう。私がどの位の危機感を持ってお話ししようとしているかおわかりですか。とにかく今回はクラシック音楽界でのありとあらゆる問題点を列挙してみました。
    先ずこれらの人材を作る専門分野の学校が皆無に等しいので、早急に作るべきである。

    話を元に戻しましょう。
    指揮者の勉強の課題の話でしたね。
     -6 オペラの勉強に必要なピアノの能力、初見能力、歌の発声学、オペラの原語を理解できる語学能力、特に 独、伊、仏、英
    音大指揮科卒業までに最低オペラ30曲、レパートリーとして、準備、弾き歌いは勿論の事、一週間以内に公演可能なレベル。
    -7 ちなみにその他の交響曲、管弦楽曲、協奏曲、声楽管弦楽曲を合わせて 300曲ほどのレパートリー保持。これも音大卒業まで。これが世界的レベルに達する為の必要最低条件だと思います。私もその様に歩んでまいりました。
    -8 ここで楽曲分析勉強予習の為に必要な学問をマスターしている事。
    作曲技法、旋律学、楽式論、和声学、対位法、管弦楽法、楽器論、音楽史、演奏の歴史、オペラ史、発声学、装飾音法などなど
    作曲の方法はちゃんと知っていなければならないですね。基礎として自分でシンフォニーの1つや2つは書けなければいけないです。

    この中で日本人が1番おろそかにしてしまう事は歴史の分野です。音楽がどういう風な背景によって出来あがってきたのか、その時代の他の芸術、時代背景等を知り、例えば演奏会の隣の席にベートーヴェンがいると思える状況設定が出来たら凄い事ではないですか。
    そういう場を音楽を通して作り上げていくのが芸術というものです。みなさんが演奏会場やCD、ヴィデオの演奏を聴く事によって、それを自分の頭の中で創造形成できる事こそが芸術の本来成し遂げられる人間にしか出来ない行為だと思います。そういう場面に遭遇する機会が最近非常に少ないじゃないですか。その歴史的なシュミレートを頭の中にある知識を元にして創造して作り上げることです。
    現代人は現代社会の雑踏の中ストレスや苛立ちを癒やす為にぐらいにしか音楽の意義を考えていない人の方が多いのでは無いですか。現代人の頭は機能の進んだ最近のコンピューターと同じように、機能が沢山分離していて、その中で不必要な物をどんどん省いて処理していますが、芸術を実行する場合では脳の中で1つのコンピュータープログラム上で全てを同時に処理するという初期のシステムのコンピュータの考え方とほぼ同じだと思われます。要するに現代のコンピューターは沢山の人が簡単に使用出来ますが、初期のコンピューターを使うには基本知識がたくさん必要です。何億もある可能性から知識と経験によって1つの物を見つけ出せる、これが人間の脳のできる素晴らしい能力であり、それを0.01秒という瞬時で人間の脳で演算していくという能力が音楽家、特に指揮者には必要なのです。指揮者における0.01秒のタイミングの遅れはそれだけでも致命傷になりかねないのです。

  5. 次に人間性の問題。指揮者は自分1人で演奏ができませんから、いくら良いものを持っていようと、勉強しようと、テクニックがあろうと、それを自分で演奏出来ないので他人にやってもらわなければならないです。その為には人間性、性格の良い事が非常に必要になるわけです。この点では日本人の生徒でうまく世渡り上手をやっている者はいます。ただ悪い政治家のようにうわべだけで心が伴わない者がほとんどです。プローべの時にただただ不必要に丁寧語を使ったり…あー気持ちが悪い。とにかく自然に振る舞う事です。無理矢理こうあるべきだと自分自身を変える必要はないです。この点で問題のある人は、人の上に立って仕事をする才能が無いかも知れません。そういう人は指揮者になる事は諦めた方が良いと思います。ある意味で良い指揮者になるという事は総理大臣になるより難しいことかもしれません。また実力も無いのに偉ぶるなどは言語道断です。勘違いも甚だしい。
    指揮者になるには、本当にその全てのものが必要なんです。適当な指揮者になっている方々、よいですか。100人のオーケストラを指揮する事だけでなく、そのオーケストラ全体の働く人達との有りとあらゆる面での良い関係を作っていくことも重要な事です。これが演奏に影響をあたえてしまうのです。これに加えて経営基盤、政治基盤を持っていれば申し分ない事でしょう。最近はこのこととファンとの関係ばかり気にしている指揮者が多いですね。芸能人ではなく芸術家です。お忘れなきように。

  6. このあとに述べる点が、今現在日本人指揮者の一番欠けている点だと思います。というのは最低限、指揮者が生涯に身につけなければならないレパートリーのことです。基本的な交響曲、管弦楽曲はもとより、オペラ、特にR. Strauss、Wagnerの作品で最低限薔薇の騎士とワルキューレを含めた5作品程度は、一週間以内に公演スタンバイできるようにしておく事が当たり前のことです。さて日本の指揮者さん達でその事が可能な人は、私の予想では1000人中3人か4人くらいです。韓国も台湾も似たようなものです。私が世に出したウィーン卒業生のうち50人くらいは、一週間で必ず公演を指揮出来ますよ。基本的な教育の考え方が違うのです。これがこの芸術の牽引的な役割を担ってきたウィーンの伝統です。今の日本のクラシック音楽の牽引者たる日本人指揮者はこの程度なのです。ただただ嘆かわしい事です。今のこのコロナ禍ではこの程度の日本人指揮者達で代行の演奏会をやっているんです。コロナが終わったら本当に考えなくてはなりませんね。次に最近よく言われるカリスマ性ですがカリスマと言うのはあらゆるものが備わっていればそのまま自然に出てくるものです。ですからカリスマ性を一生懸命強めようとしてもそれは無駄な事だと思います。指揮者に対しての事はこのくらいにして。       

次に他の音楽家の話をしましょう。


一般音楽家の足跡

ここで若い演奏家の人たちの為に、わかりやすくこれまでの音楽を勉強している人が進んできた道のことについてお話をしましょう。

まずは普通の音楽学生の大体の例ですが、小さい時からピアノを勉強してる人の大半の例をちょっとお話しします。まずは早い人で3歳から4歳、遅い人でも7歳から8歳位までの間に本人の意思というよりは大抵が母親の意思で音楽を情操教育の1つとして音楽教育を受けます。大抵は近くのピアノの先生、ヤマハの音楽教室だったり、もう少し程度の良い所ですと桐朋学園の音楽教室であったり、まあ最初にこのような場で音楽に接して楽しく教育を受けます。その中で成績が優秀である場合で、そしてその子が興味を持った場合、親は音楽をもっと専門的に身につけさせようと考え、将来的に音大に進学させる、と言うような事を考えはじめます。それが大体中学生頃じゃないでしょうか。そしてその後は専門的な音楽の技術を教え、良い音楽大学に受からせることの上手い先生を探し、その先生の下で研鑽を積んで音楽大学に入ります。ここまでの間に、よくありがちなことですが、他人との競争心を煽らされたり、また何らかのステータスを取らせるために子供の頃からコンクールに興味を持たさせ、そのことによって本人だけじゃなく親また専門教師が自分の名誉のためにも、コンクール参加を促します。これによって音大に入る頃までに既にいくつかのコンクールに受かっていたり、それから先も大きなコンクールを目指したりするのです。

コンクールの話

ではそのコンクールの話を少ししましょう。私も実は自分の教育の場面で、特に指揮科の学生のアジア人がヨーロッパの中で生きていく為の最低限の条件として、やはりコンクール入賞という事に力を入れてしまいました。しかし、コンクールに勝つという事と良い音楽をするという事は仕上げ方が全然違ってしまうのです。結局コンクールの意義は、本人が何かの目標を持ってその達成努力をする事と、両親の安堵感、あとは殆どが周りの人間、音楽教師、音楽団体、音楽事務所、マスメディアの仕事の興味の為に、あなたの経歴を良くする事です。でもコンクールばかりを挑戦していると音楽性も人間性も違った方向ばかりを追うようになってしまいます。特になかなか入賞しない状態が続き、なお且挑戦を続けると良くない。気をつけて下さい。とにかくコンクール中心の音楽教育は熟考すべきです。

音楽家の話の続き

さあ念願の音大に入りました。次に起こる事は音楽バカの育成です。この大学4年間の殆どが自分の専科の事と学内の閉ざされた生活環境によって人間形成の一番大事な時期に、経験しなければならない事や広く芸術家としての心構え等の自覚もつかずに時間が過ぎてしまい、一般の大学生達に比べると卒業の時点で基本的な人格形成という点でかなり遅れてしまうわけです。特に音楽家としてどういう体験がどういう風に、特に音の変化の部分が人間の心を動かしたり感動させたりする事を出来る様にする要素とは何か。この事は常に追及しなければなりませんが、その為には、色々な音楽知識、一般的な広い学識と人間形成の為の経験、それを実現する為の機会が必要です。しかし、ある程度の理解できる可能性があっても実際は全ての面で中途半端なのです。この時点までに教育を受ける者、教育をする者、両者とも実際どの程度のものが必要とされているか、みんな疑問だらけなのです。それは現代では音楽の必要性がある意味で疑問視されているからです。まずどうして音楽を勉強しているのか。これを生涯のライフワークとして考えているのか。今の時代は学問を受ける者は自由であるからあまり強要は出来ないかもしれないが、その分学ぶ側の心得という事がとても大事なように感じます。

私が影響を受けた先生達

ここで私がウィーンに留学している間に、自分の覚悟を決める為に私に強い影響を与えて下さった先生である、ヨーゼフ・メルティン教授の話をしましょう。彼は皆さん方がよく知っているハーノンクール氏の先生でヨーロッパ、ウィーンのバロック古典音楽の第一人者であった方です。この方はユダヤ人で、戦争中実はナチスドイツの迫害を受けましたが、彼だけは父親の友人の助けでその難を逃れました。彼と一緒に仕事をしていた彼のユダヤ人室内管弦楽団の連中は彼以外全員がガス室に送られ殺害されました。彼はその当時の話を私に涙ながらに、どうして先生がずっと今まで音楽を続けられたかと言うと、仲間と一緒にした音楽、戦争中自分達がいつ死ぬがわからないその状況下でやった曲の一つ一つがいつも思いだされる事、また死んでしまった仲間の代わりに音楽の発展に貢献したいと思った為、だそうでした。死ぬ直前まで言っていたことです。私達の指揮科講座の時、先生が用意されたオーケストラのパート譜は、この室内管弦楽団の一人一人が自分で書き写したもので一人一人の名前が書いてありました。この先生の音楽はいつも彼等と一緒に演奏している感がありました。とにかくウィーンではバロック音楽の生き字引と言われ、音楽知識を彼より持っている人に私はまだ会ったことがありません。なおかつユーモアに溢れ誰よりもご自分が一番楽しんでいるような演奏をなさいました。とにかく音楽がわかりやすくて自然で、でも理論と伝統にかなっているのです。日本人では見た事がないですね。殆ど彼の持ち合わせたものを持っていないという事です。残念です。彼は私が彼の家に遊びに行くといつも濃いコーヒーを入れてくれて、俺が入れるとカミさんより多くコーヒー豆を入れるんだと言い、私に懇切丁寧に言葉の通じない部分をなんとか伝えようとして色んなことを教えてくれました。私のバロック音楽、ウィーン古典音楽の基礎は彼から学んだもので、彼より知識を持った人、またそれに相当する位の書物で優れたものを知りません。それほどの人なのです。でもこの彼が、私に音楽と言うものがあなたの人生にどれだけ影響与えるかはわからないけれども、いつなんどきに人間はお迎えが来るか分からない。その最後の時まで絶対に努力を諦めない事。これがこの音楽という学問をやる人の一番大事な心得だと思う、と教えてくれました。

私はこれをそのままあなた達にも伝えたいのです。そう考えると現時点での日本における、あるいはヨーロッパにおいてもそうですが、現在の音楽教育あるいは音楽の業界そのすべてのものがとにかく甘いというか、曲がっているとは思いませんか。一言、なめるんじゃねーよって言うことですよね。

気をつけないと、いくら勉強しても技術だけを伸ばすことばかり考えて、曲がってしまった音楽家人生を送ることの始まりとなってしまうというわけです。要はどういうことが人の心を動かすことの出来る要素かという事の基礎を知ることなんですが、それを見極めたり教えたりする事の出来る教師が今ほとんどいませんから、コンクールなどに興味を持たせ、ただ技術ばかりを追及しているというのが現状ではないでしょうか。

ここで私が非常に影響受けた先生をあと2人紹介しましょう。その1人はウィーン・フィルのファゴット奏者であったカール・エールベルガー教授です。彼は19歳でウィーン・フィルに入りなおかつウィーンのアカデミーの教授にもなりました。この彼が何が凄いかと言うと、ウィーンの重要な管楽器奏者、ウィーン・フィル、ウィーン交響楽団、トンキュンストラー・オーケストラ、ウィーン放送交響楽団のほとんどの人が彼のもとでウィーン古典派の室内楽の授業を受けていました。要は彼がウィーンの伝統を伝承し、皆に提供していたわけです。またもう一人尊敬するウィーン・フィルのコンサートマスターの1人であったサモヒル教授は、一番多い時でウィーン・フィルのヴァイオリニストのうち30人が彼の弟子だったことがあります。ウィーンフィルのキュッヒル先生も、アルバンベルク クワルテットのピヒラー先生の先生で、またウィーン音大のヴァイオリンの先生のうち14人中10人が彼の生徒でした。この方ともう1人第一コンサートマスターであったシュナイダーハン教授にも私は可愛がってもらいました。私はこの3人の先生の力で、ウィーン伝統の音楽語法がどういうもので、どのように伝えたり教えたりするのかをたくさん学ばせていただきました。学生になってすぐに私はウィーンフィルの教授のほとんどの個人授業に顔を出していました。とにかく指揮科に入っただけではわからないことをたくさん教えていただきました。これが私の学生時代できた最高の宝なのです。ですからいろんな事の知識の事とそれを実際の音としてまたどのようにそれを作っていくかと言うことを全てこの学生時代に実証させてもらいました。これはほんとうに私の財産なのです。私と同じ位の体験を今の学生達に体験があるかと言うことについては、非常に疑問です。

ですから、学生生活の内に出来る事は工夫をすれば山ほどあるよ、という事です。

またコンクールの話に戻りましょう。コンクールは入賞者を民主主義の多数決で決めようとしたり、あるいは政治的に自分の門下の生徒を上に持ち上げるためにさせる人もいます。と言うことでより良い音楽家を作ると言う点では、はっきり言って良い方法とは思えません。音楽事務所の方々は自分自身の判断によって若い可能性のある音楽家を世界的な職業音楽家にする自信が足らないので、このようなシステムに決定を委ねているわけで、またこの事でマスコミ等に売り込む事が楽に動けるので、そのためにコンクールを利用しているようなところがあります。   

音楽家の育成の為の費用

さあここでひとりの音楽家を育てるのにどのくらいのお金がかかるを考えてみましょう。先ずは大学入学まで。親と子供の二人三脚のようにこの道は続いて行きますね。

6歳から中学3年まで
主科の月謝   12万 x 6年
        48万 x 3年
副科の月謝   12万 x 3年
楽器代  ピアノ   70万
専門楽器 ピアノ   200万
     弦楽器   150万
     主科管楽器 70万
楽譜、CD代 12万 x 9年

高校1年から大学入試まで
主科の月謝     8万 x 36ヶ月
副科の月謝     4万 x 36ヶ月
レッスン交通宿泊費 12万 x 36ヶ月
楽譜、CD代     1万 x 36ヶ月
(浪人すると 1年分が加算される)

大学4年間
学費        国立大    私立大
初年度       150万    300万
2-4年次       240万    600万
大学院2年間    160万    300万
楽器代 管楽器     80万〜150万
弦楽器、ピアノ 200万〜1000万
生活費、部屋代(地方出身者の場合) 月15万
楽譜代、CD 、コンサート     月2万

海外留学の場合 (4年間)
留学準備金    200万
学費       30万~200万 x 4年
生活費      月20万

日本人が考える音楽家になる為の費用とは多かれ少なかれこの様なものではないでしょうか。とてつもない金額ですよね。皆さん方にはこれだけ既に掛けられているのです。親御さんには感謝すべきですよ。

大学卒業時、この時点迄でまだいろいろな意味で時間的にも経済的にも余裕があると、海外留学、と言うことになります。日本人の場合大半が既に大学を卒業しているのでヨーロッパの大学に入学する事は競争の面では比較的やさしい事です。後は費用さえ工面出来ればこれは簡単に実現出来ます。彼等が次に考える事は、勉強をする事は勿論ですが、自分の名前を世の中に出そうという事で、コンクールをしたり別の有名な先生に個人的についたり、また小さいながらもたくさんのコンサートを探したり。そのようなことをして履歴、経歴を良くしようと考えている人が多いですね。大半の学生はヨーロッパの大学、大学院で研鑽を積む事を出来るだけ短い期間を設定し、コンクール等で名声が出ない場合のみ最後まで卒業をして日本に帰国をする事を考えていて、最初からヨーロッパで音楽の活動をする事は考えてはいないようであります。こんな状態の日本人留学生に対して現地の教授達も親身になって教える気力が無くなってしまいますよね。これが実情でないでしょうか。

さあここからが本題です。
ここ迄の話をまとめると、一人の音楽家を世の中にだす為には約1500万から2500万円くらい費用がかかるという事です。贅沢な道楽ですよね。道半ばで諦める事は仕方のない事なのでしょうか。親の言いなりに半ば強制的に始めた音楽が日に日にちょっとした興味を持ち始めてだらだらと続けていって気がついたら音大も卒業もしたのだが大した実力も付かず辞めるに辞められずに結局の所、それを決定するのは金銭的な問題になっていませんか。どっちみち音大生の75%が女子大生、10%が長男か一人息子、親が非常に裕福であるとか、親に代わる結婚相手を含めて経済的支援者が現れればこの道楽は続けられ、その途中でコンクール入賞やなんらかの形で名声を得る事ばかり考えてこのゲームを続けている状態ではないでしょうか。自分が音楽家を続けていくかどうかということを大半の人が経済的理由で決めてしまっているのが現状であると思います。人生の半分をこの音楽という芸術とともに歩んできたのでしたら、もっと使命感をもって自分の人生設計をして欲しいのです。甘過ぎますね。

さあここで、もう一度音楽家芸術家とはどうあるべきか自分なりに考えていただきたいのです。
要は緻密な人生設計をして欲しいのです。先ずはご自分のクオリティーについて。技術的な面、レパートリーの面、知識力、他の芸術との関連知識、いろいろあげたらキリがないですが、ちゃんと皆さんもう一度計画し見直してください。そうしてそれを実行なさってください。こういう根本的な事を皆さん忘れているのですよ。人生には好転する為のチャンスが何度か来ると言います。20代迄に3回、30代では2回、40代で1回、これを確実にモノに出来るようにするのが鍛錬の力です。皆さん方芸術家は人の出来ることをするのは当たり前。それ以上の事が出来てはじめて芸術家になれるのです。

ここでちょっとお耳に入れたい事があります。ドイツ語では音楽家が貰う報酬をHonorar(ギャラ)といって、月々定期的に貰う給料をGehalt と言います。要は音楽芸術家が貰うのがギャラであり、オーケストラ、合唱団、大学の先生が貰うのが給料であります。給料には保障があり日本と同じように保険、年金が義務付けられています。ギャラの方は保障が無いのでその分報酬額が高いのですが、特に老後が不安です。私は音楽芸術家は自分で老後の為の個人年金を掛けるべきだと思います。ちなみにウィーンは世界で一番ギャラが安いのです。ウィーンフィルが存在する理由に国立オペラだけの仕事ですとオペラの曲ばかりで管弦楽曲が出来ないから。もう一つは給料だけでは報酬の安い国ですから、食べられる事だけでギャラの入る仕事として別団体を作りウィーンフィルの名前でコンサート、CD録音、演奏旅行をしている訳です。ギャラからは高い税金と年金を別に払っている訳です。また、給料だけでなくギャラも貰うことは芸術家にとって大事なステータスでもあります。日本、韓国、アメリカではギャラが必要以上に高い気がします。この事は伝統芸術文化の存続という点ではマイナス効果を与えていると思います。必要以上に要求すればまたそれ以上に支払いをする者が出てきて無意味な競争心を煽り立てる事になるのです。これの原因が現在の形の音楽事務所の存在です。
さて、後でまたお話をするつもりですが、私の大きな提言の一つに、音楽芸術家の為の年金と保険のシステムを作る、ということがあります。良いシステムが出来れば経済的にも将来的にも音楽芸術家がもっと研鑽する事により時間がかけられ、音楽屋でない真の音楽芸術家を生み出せる可能性が多くなると思います。

ウィーンに於ける日本人音楽家、留学生

ウィーンには毎年600人程度の日本人音楽家、留学生がいます。この内実際に常時活動している音楽家は35人程度、うち80%が女性でヨーロッパ人との既婚者が多く男性は5人もいません。これに留学はしたものの、名声もあげられず帰るに帰れずなんとなくズルズルといる人が100人くらい、後は殆どが経済的に不安の少ない人で現地人と結婚している女性、学生時代と同じようにろくに勤勉であるわけでも無く小さなプライベートなコンサートをしてあたかもすごい活動をしているかのように経歴に書いている人、これに現在音楽大学に在学中の100人、残りは勉強しているのかしていないのかわからない人が入れ替わって毎年だいたい600人くらいいる訳です。なんか甘い人が多く無いですか。でもこれが実情なんです。こういう事や日本の音楽屋、音大生、何となく経済的保護を受けながら音楽を続けている人、この方々の意識改革をしない限りは単なる趣味、金持ちの戯れ言としか世間には見られません。先ずはここから改革です。


音楽上の得な話

なんだか最初から暗い現実のお話ばかりなので、ここで皆様方に,良いフレーズ感を持てる様になる、最短の簡単な訓練方法をお教えしましょう。本当に簡単ですよ。
先ず良いフレーズ感とは何か。わかりやすいやすい事,あっさりしている事、あまり長くない事、覚え安い事,これが実は全てなんです。
偉大な作曲家達は人間のこの感性にあった曲を作ろうと必死だった訳です。作曲家は山ほど居たわけですが、その中からこの感性にあった作品ばかりが長く生き残りました。この歴史が伝統なのです。残念ながらこの感性の部分は伝承という方法でしか後世に伝える事が出来ません。このような事をついこの前までひた向きに守っていたのが,音楽の都ウィーンです。いつもこの伝統を200年以上大切に守り続けたからできた事でした。ウィーンの伝統とはいまお話した、良いフレーズ感を持っているという事です。もう一度言いますが、これを訓練するのは難しくありません。これは別にウィーンの伝統的な訓練方法ではありません。ですが、私の方法で根気良くすれば誰にでも簡単にフレーズ感が身につくことが出来ると思います。大事なことは諦めない我慢と努力の意志です。
それでは訓練に入ります。

用意する物:今ご自分が勉強している楽譜 鉛筆(出来れば3B) 。またはIMSLP等でプリントした楽譜、鉛筆。楽譜と同じ曲の音源、再生装置、出来るだけ良質のもが良い。

  1. ひとつの音源を楽譜を見ながら1回聴く。その際にフレーズ分けをし、鉛筆で印、そして縦線を引く。2回目に違う演奏で聴き、1回目の縦線を確認しながらフレーズの最初の小節に、その区切られた小節数を書いていく。3回目、また違う演奏で聴き正しいか確認をする。3回聴くまでにフレーズ分けが完了できる様にする。要するに、早い判断が必要でです。

  2. これを毎日1曲ずつ、先ずは1ヶ月続ける。曲目の選定は、簡単なものから段々複雑な物へと変えていくのですが、あまり急いで曲目を難しくしてはいけません。徐々に難易度を上げましょう。例えば、ピアノを習っている方なら、ソナチネ集から古典派の曲目へ、これは子供にも有効で、勉強した曲で順番にやって良い。他の楽器をやっている方は先ずは自分の専門楽器の曲で、次にオーケストラ曲に進まれると良いでしょう。この時点では、正しくフレーズ分けが出来たか出来ないかは、さほど重要でなく、3回のうちに完了する事が大事です。即ち聴くと同時に俊敏に頭の中でのひと固まりにするフレーズ構築力をつける訓練です。

    オーケストラの曲目へ進む事は非常に良い事です。というのは、オーケストラの曲でこの課題をこなすと先ず色々な音色に対して敏感になります。またオーケストラスコアという楽譜を知る事となり段々と知識が必要となって来ます。また毎日曲目が増えていくので色々な作曲家を知る事が早く出来ます。こなす課題の順番は、交響曲でしたら先ず、ハイドンを5曲、モーツァルトを5曲、ベートーヴェンを5曲という風にこのフレーズ分けの効果が早く出る様に古典派からロマン派へ、それからバッハ、近代の曲という風に進めていきましょう。今日では、IMSLPやYouTube等を使えばお金を掛けずに簡単に実行出来てしまうので皆様方は大変幸せだと思います。曲目はこれにオペラを段々加えて行ってください。それはフレーズと言葉の関係を訓練する為です。

  3. 2ヶ月目から1、2、の練習に加えて次の練習を行います。先ずは日本語の物で良いですから、300字ぐらいのテキストを探して下さい。ニュース、新聞の原稿から1つ、小説から1つ、漫画から1つ、官能小説から1つ、これを先ずは自分が、NHKのアナウンサーになったつもりで全部読む、次に役者になったつもりで、次に政治家になったつもりで、2回ずつ読んで下さい。そうして最後に自分自身で文章に応じて一番良いと思う話し方で話して下さい。これを1日おきに実行して必ず録音して聞いてみてください。着実に表現が良くなりますよ。これを月日が経つうちに、ドイツ語で、英語で、イタリア語で、フランス語でと輪を拡げていくのです。

  4. この時点から、毎日1分120歩のテンポで毎日歩いて下さい。カチカチとiPhoneなどのメトロノームを使わずに2歩づつ数を数え1分したらストップウォッチ見てチェックこれを何回も行なう。少なくとも半年ぐらいは続けて欲しいものです。必ず良いテンポ感が身に付きます。お試し下さい。
    この頃にはフレーズ、話し方の抑揚の事が、明らかに今までとは違って感じてきます。

  5. 約3ヶ月目くらいから、音楽と言葉との関係の訓練に入ります。音楽によって人の感情の動かす一番重要で簡単な事、それは変化度合いなんです。ダイナミクスと音色は大体の人がわかるのですが、ことアゴーギグ、テンポに関してはなかなか理解が得られない。それはこれが単独では効果があまり大きくなく、他の2つの要素と微妙にいつも関連して出来るものであるからです。とにかく微妙な変化に敏感でなくてはならないのです。音楽も言葉も微妙な変化にによってその効果が出るのです。言い換えれば、絶えず変化をしているのです。本当に少ない変化から、自然界の動き、平静な感情状態、興奮状態、病的状態、死の状態、物質の状態等。
    という事は、音楽、言語の部分では、隣り合う音,隣り合うシラブルは絶対に同じものはなく絶えず変化している事になります。 
    この違いを理解する訓練がここから始まります。微妙な違いは伝統、伝承の中から学ぶことが出来るのです。

音楽の世界では、最小限の単位をEinheit、つまり動機、次の大きさの単位をフレーズと言い、動機にもフレーズにも必ず頂点があり、その頂点に向かって音楽は高揚し、終点に向かって減衰するのです。この繰り返しを様々な形で何度もすると楽曲が成立するわけです。この状態と興奮度を曲線で表すとその曲のクライマックスが解ります。最小限の動機頂点は言葉のアクセントに近く、この小さな単位でも必ず頂点が存在します。それは言葉の訓練の際に体得出来たと思われます。次の大きさの塊がフレーズです。単位は4小節ないし8小節が基本です。この中にも必ず頂点が存在し、音楽は頂点に向かって高揚しそこからまた終点に向かって減衰する訳です。この段階では和声の動きと対位法の仕組みがこの頂点を作り出しています。

さあ、この動機上の頂点と、フレーズ上の頂点を確実に捉えられれば皆様方の音楽は見違える程、自然で音楽の向上にかなった演奏が出来る様になります。大事な事はもう一度、動機、フレーズには必ず頂点が存在し、頂点に向かっては音楽が高揚し、終点に向かって減衰する、という事を必ず実行する事です。このフレーズの時間ぐらい人間は記憶する事が出来ますが、それ以上の時間は瞬間的に頭脳処理が出来ないのです。8小節のフレーズの頂点は大抵の場合、カデンツ上の終わり前のドミナントに頂点がきます。そこに向かって音楽が高揚しドミナントからトニカに向かって減衰し安定する。そしてまた直ぐに高揚が始まって次のフレーズを創るのです。この動機とフレーズの関係を飽きる事なく作っていくと名曲の完成です。

高揚曲線と名演、名曲の存在について。

さて名曲の条件ですが、この音楽上の頂点が無数に存在し、その強さがちょっとずつ違っていて、その曲全体の頂点の位置の連携がフレーズを形成する高揚線と同じ形に存在する時、これを名曲と判断できる訳です。要するに最初から始まって頂点が全体の4分の3以降に存在するものです。

8小節のフレーズで解りやすく解説すると、フレーズは1小節目から始まり、動機上のアクセントによる微妙な変化をともなって3小節目でちょいと高揚し、そのまま半終止の4小説目で微かな休止をしそのまま高揚を続け7小説目のドミナントに達してそこからトニカへ終息する。これを曲線で表すと何かに似ていませんか。そうです、男性のSEXカーブ曲線です。男の本来持っている自然な興奮度曲線の事です。この曲線と同じように興奮度で作曲したものが名曲として残っている訳です。元来男の作った曲に名曲が多くて女性の作った曲があまり世に出ない事、男性の世界でこの文化が発展した事等、一概に間違いだとは言い難いです。

また演奏の面でも、この効果を守っている人は殆ど例外なく巨匠として名を遺して居ります。ちなみに、クライバー、フルトウェングラーは間違い無くその一例で、この部分が彼等の演奏には大変反映されている訳です。興味深い話でしょう。皆さんで実験してみて下さい。頭の中での創造が大事です。もしこれを実験なさって体感体得なさった方は、私の提案が、現代の日本クラシック音楽界を中傷非難をするものでは無く、真実だという事がわかって頂けると思います。私はニセモノでは有りません。但し、あんまり大きい声では言えませんが、この方法でフレーズ感ができてしまうと、日本の音楽家の音楽がつまらなく感じるようになります。だけど、良いフレーズ感はつきますよ。まぁ要するに、美味しいものの見分け方がつくということです。

この文章を書いている時に、エリザベートピアノコンクールのファイナルの結果が出ました。期待されていた日本人は、3位と4位でした。音楽事務所、音楽団体、聴衆共々期待をかけていたのですが、優勝が獲れずに残念な結果となりました。あと何日かしたら、マスメディアを含めて何も起こらず忘れ去られてしまうでしょうね。また若い音楽家は優勝をするまで興味を持ってもらえない日々が続くのでしょうか。それで優勝したとします。でも興味を持たれるのは次の優勝者が出るまでですよ。私は優勝者の大量生産をしていましたので、このことはよくわかっているつもりです。冷たいクラシック音楽界だと思いませんか。仕事にならないと、彼等なりの判断で何も起こらないのです。若い演奏家はこの結果だけで、人生の進む速度が変わってしまうのです。そんなにコンクールを優勝する事が大事ですか。皆さんも良くお考え下さい。これが現在の日本の音楽界のやっているやり方ですよ。いくらこの方法をとっても進歩発展はないですね。


今回の一番の主旨

私が今回この提言をしている主旨は、10年後の世界的レヴェルでクラシック音楽界の発展させる為であり、その為には全てのジャンルに於いて梃入れが必要だということです。
将来のある音楽学生、今まで音楽を勉強をしていた方、プロの個人的音楽家、オーケストラ等の音楽団体へ所属している方、アマチュア音楽家、音楽大学の教師、小中高の音楽教師、音楽教室、個人音楽教師、アマチュア団体の指導者、音楽事務所マネージャー、私設音楽マネージャー、音楽評論家、音楽出版社、音楽的マスメディアの方々、文化に関する公共機関、役所、公文協を中心としたホール、現在までのいろいろな音楽活動の為のスポンサー、鑑賞団体、クラシックが大好きなファン、一般聴衆、学校で音楽クラブ活動をしている小中高の一般生徒、等々これら全ての方面に、です。そうしてこの構想を先ずは日本で、続いてヨーロッパ、アメリカ、中国、韓国、南米とどんどん世界中に拡めていくつもりです。
とにかくクラシック音楽界のありとあらゆるジャンルの方々にこの事を熟考して頂きたいのです。そしてこのテーマについて意見の交換をして頂きたいのです。その場を作りたいと思ったのです。題してクラシック音楽界の未来を考える会『Wiener コアラの会』(コアラは私のニックネーム)。 
またこの会は多面に活躍されている同志たちの交流会として利用して頂き、この会と交流が始まった方は、他の会員の方からの要望は、原則、同志という事で常識的に可能な限り受け入れて実行して頂く事としたい。つまり、ご自分の意見に必ず責任を持つべきあるということです。その為にも、この『Wiener コアラの会』では、会員制をとり、意見交換の場合必ず記名制、現在の職種も公開した上で行ない、この会の中では誰もが平等の扱いを受けます。また会の運営にあたり、小生(湯浅 片眼失明の糖尿病、腎臓病)一人で尚且つ、年金生活者の財源だけでは殆ど何も出来ず、この業務を手助けしてくれる方達(音楽留学生)が必要で、その方への僅かばかりのお礼、諸経費等の経済的援助が必要です。明日へのクラシック音楽界と音楽家一人一人の為なので、会員お一人ずつからご負担を頂き、年間助成金という形で1口 60ユーロ、約7500円(月5ユーロ)の助成をお願いしようと思っています(何口でも可)、又これ以外に大口助成は大歓迎です。あまりお金の事は書きたくないのですが、最低限10年以上継続しなければならないですし、本来私は貧乏人なのでなかなか良いアイデアが浮びません。良いアイデアがあればお教え下さい。是非是非御賛同、ご参加ください。
このコアラの会を世界的に広めるべく 名前を『Wiener コアラの会』として ウィーンでは、先ず手始めに、過去、現在にウィーンで勉強した事のある方、ウィーンで活動している音楽家を世界的に集め輪を広げて行こうと思っています。


音楽マネジャーと音楽家との関係

現代の若い音楽家がプロの音楽家になる為には?と考えると、多かれ少なかれ現在の音楽マネジャーがその鍵を握っています。その音楽マネージャー界の経営方針にはちと問題があるように思えます。
まず世界的に観ると、世界中のクラシック音楽界を牛耳っているのは、約20人程の音楽マネージャーだけなのです。この連中が仕組んだ計画に世界中の音楽関係者が実は振り回されているのです。これを真似しているのは日本の大手マネジャーであり、それに日本中の音楽団体、末は音楽学生までが言う事を聞いてしまっている訳です。
世界の音楽マネジャーの中でドイツに4人、オーストリアに2人、イギリスに4人、フランスに3人、イタリアに2人、ロシアに1人、アメリカに4人、これらの人達が作ったそれぞれの音楽事務所が鍵を握っている訳です。さあじゃあ彼等には何が出来るでしょうか? 自分で演奏する以外、現在では全ての事が出来る(マネージャー達が自分の思い通りになる)のです。
そもそも音楽マネージャーが実際に職業化したのは第一次世界大戦後と言われています。戦争で荒廃した世界各地に音楽を届けようと、まだ事務所化せず1人で実際に現地に行ったり、手紙を使って自力で色々な演奏団体やほぼ行方不明となっていた音楽家達を探し出し、公演を行う補助をしていたのでした。沢山のギャラを要求するまでも無く、みんながまた演奏できる事に喜びを持った時代でした。まだ国家が音楽界に資金援助をする前の時代です。音楽なんぞは、最初は王様や貴族の戯れ言として始まり、ベートーヴェンの時代ぐらいから一般民衆にも拡がりつつ 、この頃には大富豪がパトロンとして存在するようになり、音楽家はまだそれほど稼いではいませんでした。古き良き時代ですね。そんなに沢山の人が音楽家であったわけでも無く、パトロンとしては良いものにしかお金をださず、ですから限られた人々の世界であったのです。そしてその後民主化が進みプライベートな音楽団体が出来始め、今度は民主国家がこれに支援をし始めます。そして二度目の世界大戦を経て戦後の音楽会の基礎が出来上がりました。そして時代が進むにつれ、様々な部分がそれぞれ独自に発展をしていきました。この多様化した中で一番失われてしまったものが、いつも最高のものを追い続ける精神です。この音楽が学問として大衆化した事。義務教育の中に取り入れられた事。また一般市民への情操教育としての普及。最初は大金持ちの子女教育としての意義しかなかったものが、これだけ一般民衆に普及していくと経済的に余裕がなくても出来る方法が必要となってくる。民主化された戦後の中で誰隔たりなく教育が受けられたり、体験出来る場所の提供という事で、音楽大学、多目的ホール、ヤマハなどの楽器販売、音楽教室、レコード、CD、ヴィデオ、DVDの販売、関連書籍、楽譜、文献の研究と販売と、枚挙にいとまが無いほどに拡大されたのがクラシック音楽界なのです。何度も言うようですがこの普及に関しての全体の統一感がない事、それを管理する機関、人物がいない事、これはある意味でこれから先の問題となってしまう点だと思います。一つ一つより良い方向へ進む事が望まれます。

さて、現在の音楽事務所はいったい何をしているでしょうか。

  1. 音楽家のスケジュールとマネー管理

  2. 音楽家の報酬決定と請求

  3. 音楽家の興行中の交通、宿泊、食事の斡旋

  4. 音楽家の付き人

  5. 音楽家の宣伝、広告

  6. 所属音楽家の決定

  7. 音楽関係団体との交渉

  8. 音楽家のスポンサー探し

  9. 官公庁関係との処理

  10. 一般聴衆との交流、チケット販売

  11. マスメディアへの対応と売り込み

  12. 音楽祭、フェスティバルの企画

  13. 依頼公演のマネージメント

  14. 事務所独自企画

というように、実は仕事量が半端ではありません。ですから彼等が一人一人の音楽芸術家にかける時間と労力が、理想の方向に簡単にアレンジメントができなくなり、ついつい音楽マネージャー側の合理的で都合の良い方向になってしまっているという訳です。現在はその究極の一歩手前のところに来ているのです。これらの事に対して現在の音楽事務所はある意味で音楽家、音楽団体に対して独断の決定権があります。
更に彼等(音楽マネージャー)の収入は音楽家からの収入の10から15%報酬であり、他の経営、経済コンサルタントのマネージメント料から比べるとその収入額はあまりにも少な過ぎます。
ですからおのずと音楽家を育成したり、人生設計の示唆するいうより、もっと採算や合理化に走っても仕方ないかもしれません。


さあそれでは、どうあるべきか。

これは音楽家が勉強する事よりももっと難しい問題です。幾つかの改善策を考えますが、ここを直すという事は現在の音楽界の根本的な考え方を変えるという事です。ですから現在存在する音楽事務所が改革をするというよりも新しい考えのクラシック音楽界のコーディネーターを作ってしまった方が簡単かもしれませんが、先ずは改革という点でお話ししましょう。

  1. 音楽事務所の第一経営方針は音楽の伝統文化の継承と芸術音楽家のより良い仕事環境の構築。やたらとお金稼ぎに走る音楽屋を絶対に作らない。

  2. 音楽家を商品のように売り出さない。

  3. マネージャー自身文化人牽引の仕事であるべきなので、音楽家、文化人と同様に教養、知識の再勉強し、せめてその先端にいて欲しい。

  4. 正規契約音楽家の数を減らす。一人一人の音楽家を生涯面倒をみる。老後の事まで。どこの事務所を見ても所属音楽家の内実際に仕事が成り立っている人が15%以下である。

  5. 事務所全体の職員の数を減らす。音楽家の数にあっただけの数に減らす。これによって一人一人への対処が格段と向上する。事務所の経費を削減して必要以上に演奏家報酬を上げない。

  6. 無闇に市場へ音楽家を数多く送らずコンサートの数を減らして一回一回の質の向上を目指す。このコロナ禍で、たくさんのコンサートが代役によって行われています。これによって日本人演奏家で潤った人もいる事でしょう。代役という事は、セカンドベストという事ですよね。日本全体にこの風潮が当たり前とされている。日本のクラッシック界はどこを見ても普段からこの感じじゃあないですか。それまでして無理に沢山の演奏会を続けるべきでしょうか。品質劣化原因の一つです。

  7. 例えばオーケストラの場合一か月に何回ぐらいコンサートを開いているでしょう。平均で10回ぐらいですか。その為のプロダクションの数も多過ぎるし、指揮者も代わり過ぎるし、先ずは演奏上の品質アップを第一とし、同じプロダクションでのコンサート回数を増やす(最低でも4回)。またどんな演奏会プロダクションでも練習は最低3日間、各コマ数を現在よりも15分づつ延ばし、その分練習の質の向上を図り、曲目もそれなりにオーケストラのアンサンブル向上の為のものをもっと増やす。残念ながら日本のオーケストラのレベルは日本の方々が思っていらっしゃるよりはるかに低いもので、ここ15年間基本的にははっきり言って全く向上していません。コロナ禍の時代が来なくてもやっぱり同じだったんですよね。根本的にどんな問題があるかはオーケストラの項でゆっくりお話しをしましょう。特にオーケストラの側でも練習の出来ない指揮者でも良しとする風潮を根絶する。オーケストラ団員への気遣いで練習時間を短くする様な指揮者は言語道断。きちんとオーケストラを向上させる事の出来ない指揮者は日本のプロのオーケストラ音楽界から追放すべきである。

  8. 必要以上にギャラを多く要求しない。とにかく経費を抑えて仕事にあった報酬額を要求して、楽団員の給料とあまりに大きい格差を作らない。舞台上でのギャラの格差は良い演奏コミニケーションと結びつかない事がある。

  9. 指揮者、演奏家の決定はいつも楽団品質向上を第一目的とする。

  10. 出来れば楽団とは年間契約を結び個別のマネージメント料を音楽家からは貰わず、決められた予算のもとにそれに合った指揮者を選定する。下手な指揮者を送れば次年度からの年間契約に影響が出る。要するに下手な指揮者、演奏家を持たなくなる思考に変えていく。

  11. いつもピリピリとした状態で世界からの情報にもっと明るくなければならない。世界の音楽事務所でネット上の繋がりだけで情報を得てそれを楽団に売るなどはもってのほかである。ちょっと語学が堪能だからといってそんな若い社員ばかりにせず、往年の時代のように、世界の情報は実際に現地に赴いてそこから良い真の音楽家を探してくるような仕事をして欲しい。今世界を牛耳っている音楽マネージャーは少なくともそういう風にしてきた人達なんです。とにかく現在の音楽事務所は社員教育が全くなっていない。自分の担当する演奏会に行かない等もっての他です。私はそういう若い自称音楽マネージャー達はこの業界からは追放すべきだと思っています。

日ごろ音楽マネージャーは縁の下の力持ちである事を忘れ、軍隊の参謀だと勘違いをしている輩が多い。若手社員、若い指揮者を作るのも教育です。今両方とも教育をきちんと受けていない同士が、悪い仕事ぶりをしている訳です。どんな指揮者がいるか名前を書きましょうか。まあやめておきましょう。ちなみにそんな指揮者は日本には約20人くらいいて35才から50才までの人で、全員が音楽事務所に所属していて、オーケストラを世界的レヴェルにする事も出来ませんが、マスコミやネット上でチヤホヤされています。音楽事務所のさしがねでしようね。皆さん外車を持っていらっしゃいますが、誰一人私の指揮者の条件である 、リヒャルトシュトラウスの薔薇の騎士を一週間以内で公演スタンバイ出来る人はおりません。これが現在の日本の指揮者、音楽マネージャーの実態です。10年後が考えられますか。無理ですよね。こんな事が至るところで起こっているんですよ。本気でやらなければ変わりません。どうぞ皆様方もご熟考下さい。お願いします。

最後に二人の音楽マネジャーの見本のような人がまだ日本にいることのお話です。お二人ともK音楽事務所の出身者で、一人目のS氏は、今やウィーンでも、兵庫でも活躍している指揮者、S君の育ての親です。バーンスタイン氏とコンタクトを取りS君とのコンタクトの橋渡しをし、とにかく彼を指揮者にする為の裏の努力は全てしたと言っても過言では無いと思います。彼が留学の時資金が無いとスポンサーを捜して必要な資金を工面し、彼に負担が掛からないようにして、つい最近までそのスポンサーの名前を明かさなかった程です。S氏と指揮者S君には本当の意味の絆を感じます。二人目はH氏といって、ある若手指揮者K君に最初から彼のキャリアに合わせた仕事を探して彼を育て、今でもこれから先のことを考えて仕事を作ってあげています。こんな昔気質の良いマネージャーもいるのですよ。尊敬します。二人の指揮者には、世界を目指して欲しいですね。

とにかく音楽家と音楽事務所の関係をもう一度根本から変えましょう。現在は音楽事務所が仕事を提供してその商品としての音楽家が存在している。要は音楽事務所が音楽家を雇っている関係にあるのです。これを逆の発想として音楽家が音楽事務所を雇う形にするのです。基本的に音楽家は直接に演奏団体と交渉をし、自分で処理できない部分を音楽事務所に委ねる方法です。そうする事によって、主従が逆になり、偉そうな音楽事務所も無くなり、それにへいこらする音楽家もいなくなり、コンクールや経歴ばかりで判断するシステムも無くなるのではないでしょうか。これも今回の大きな提案事項の一つなのです。この方がオーケストラ、演奏団体側も音楽家側も健全に良い音楽家を探したり目指したりする事に意欲を持って進められると思います。一番手短に出来る改革ではないでしょうか。

この他にもたくさんの提案はありますが、もう一つ大きな新しい役割は、音楽家の為の年金制度(後で丁寧に後述)の運営の中心的機構として活動をして欲しいのです。この事務的な仕事は音楽事務所の新たな仕事分野となり手数料の収入が必ず入ると思われます。

ある人たちの紹介

この文章を読み返してる上で、またふと皆様方、特に音楽マネージャーの方々へお話ししたい話があります。それはある二人の方の紹介です。一人はヴォルフガング・アルミンクさん。彼は皆様もご存知の新日フィルの前音楽監督のクリスチャン・アルミンクの父上で、私のご意見番で非常に尊敬できる方です。息子さんは私が最初から教えた生徒でしたが、とにかくよくホテルサッハーのカフェで色々なお話を聞いて下さり、その事を直ぐに実行に移してしまうのです。この頃彼はポリグラム社(ドイツグラモフォン、デッカ、フイリップスの親会社)のオーストリア社長で、ウィーン音楽界で彼の名を知らない人はいませんでした。ちなみに彼の引退記念パーティはウィーンのコンツェルトハウスの全てのホールを使い、ヨーロッパ中の著名な音楽家が集まりそれは壮大なものでした。私との話で、指揮者を育てるのにCDを使いたいけれど学校では予算が下りないと言うと、次の週にはCD約5000枚をただで送って下さいました。学校側がこれに対して図書館に寄贈の手続きをしなければならないとか、簡単に生徒には貸し出し出来ないとか面倒くさい事を言い出すと、これはYujiさんに寄付をするという事にして下さり、生徒達へ簡単に貸し出しが可能になりました。また私がオペラのレーザーデイスクを何とか何処かで放映出来ないかと提案すると翌年には、市庁舎の広場で夏の間オペラフィルムフェスティバルとして実行され、そこには露店もでき、夏の間のウィーンの一大行事となりました。またあるときには私がカラヤンさんの博物館を作ろうと話すと、次の週には、カラヤン未亡人とザルツブルク市長と話し、ザルツブルクでは良い場所が取れないということでその2年後にカラヤンセンターをウィーンの中心部に作ってしまいました。こんな行動力のある理解者は他に会ったことがありません。私はまたこのような方にお会いしたいし、自分もそうありたいと思っています。これも伝統の街ウィーンの産物だと思います。
もう一人の方は、田中路子さんという方ですす。彼女の経歴は波乱万丈で、最初ウィーンに声楽科の学生として留学し、その間ウィーンの最大閥であったコーヒー王、ユリウス・マインルに見染められ結婚をします。ウィーンでは大騒動となり在日本大使館は彼女を強制送還しようとしますが、オーストリア外務省がそれを助けます。その後彼女の方から別れ話が出て次のお相手は、その当時ドイツで一番有名であった俳優、デ・コーヴァ氏と再婚をします。私は若杉弘先生の紹介で何度かミュンヘンでお会いしていろいろなお話を聞きました。彼女に世話になった指揮者といえば、先ずは朝比奈隆さん、次に小澤征爾さん、パリ時代の最初重要な人達とのコンタクト音楽界に限らず政界、財界人との橋渡し、ブザンソンコンクール優勝の後のカラヤンとの関係も彼女からです。同じように、岩城宏之さん、ドイツデビューのお膳立て、若杉弘さん、日本の仕事がうまくいかなかった時のヨーロッパにおいてのサポート、数多くの音楽家、それに日本の政治家までその力は凄い、素晴らしいの一言です。私はとにかくお会いした時に沢山の時間をとって頂いたことが非常に記憶に残っています。おそらく死ぬ直前まで、日本とヨーロッパの繋がりの為に努力をなさっていたと思います。あの頃日本の音楽家がヨーロッパに羽ばたくきっかけをいつも考えていらしたのでしょう。特に音楽マネージャーの方は見習ってください。

また思い出した方が二人おります。
コンツェルトハウス元プレジデントのハエルテル博士、ムジークフェライン元館長グルーダ・グントラン女史。
お二人とも二十数年間の在務期間中ほぼ毎日演奏会を聴いていらした方です。これがウィーンの歴史です。日本の館長さんの中にこんな方は、どのホールにもいらっしゃらないでしょう。
ハエルテル博士は我が指揮科部会のVerein(非営利団体)の責任者としてよく御一緒させて頂き、色々とウィーンの音楽歴史のお話をして頂きました。
グルーダ・グントラン女史は、ムジークフェラインの名物館長としてウィーン音楽界で知らない方はいないほど、言わばムジークフェラインという名の老舗名女将と言ったところでしょう。彼女は舞台の袖の録音コード用の穴から指揮者の見えるところに椅子を置かれて毎日そこで演奏を聴いていらっしゃいました。指揮者、ソリストが演奏を終了すると一番先に会う、言わばステージマネージャーの様でその優しい演奏後の応対を私は今も明確に覚えております。舞台の袖のこの場所には、グルーダ・グントランのボックスと書いてムジークフェラインに残っています。ちなみにカラヤン、バーンスタイン両氏ともウィーン公演の時最初の練習の前に必ずグントラン館長さんに花束を持って行ったそうです。またこんな事もありました。まだコンピューターの導入前の話です。ウィーン芸術週間の前に、私の知人のある日本企業の支店長のS氏がチケット前売り日に出張で購入したい物が手に入らないのではないかと心配して、私に館長に訊いてくれないかと尋ねられました。館長は、企業の名前からS氏の名前をすぐに当てこの事をこころよく了解し、処置をすぐして下さいました。この頃ムジークフェラインの定期会員は少なくとも約4000人、カードによるデータ管理の時代、彼女は殆どの定期会員の名前を覚えていたのです。毎年変わっていく定期会員名をですよ。信じられない事です。でもこれが世界の中心ウィーンのムジークフェラインのクオリティです。敬服します。こんな事は日本だって現在何処だってありえない事です。見習いましょう。

思い出は切りなく浮かんでくるのですがこの位にしましょう。なんにせよ、この二人と知り合いであったために私は運良く長い間ムジークフェライン、コンツェルトハウスの演奏会を無料で聴かせて頂きました。

全米音楽監督報酬ベスト10

この文章を読み直しているうちに、次のような情報を得ました。

著名アナリストのドリュー・マクマヌスが毎年行っている2021年版音楽業界レポートが発表された。レポートは米国内の音楽界の経済情報を伝えており、全米の音楽監督の報酬ベスト10が明らかになった。発表によると、第1位はシカゴ交響楽団の音楽監督を務めるリッカルド・ムーティ。音楽監督の報酬の順位は以下の通りで、1位のムーティは3,420,804ドル(約3億7,611万9,186円)、10位のマリン・オールソップは756,911ドル(約8,322万2,760円)。
 リッカルド・ムーティ(シカゴ交響楽団音楽監督)3,420,804
 グスターボ・ドゥダメル(ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団)2,857,103
 マイケル・ティルソン・トーマス(サンフランシスコ交響楽団)2,139,720
 アンドリス・ネルソンズ(ボストン交響楽団)1,787,000
 ヤニック・ネゼ=セガン(フィラデルフィア交響楽団)1,672,167
 フランツ・ウェルザー=メスト(クリーブランド交響楽団)1,485,371
 オスモ・ヴァンスカ(ミネソタ管弦楽団)1,036,622
 ヤープ・ファン・ズヴェーデン(ダラス交響楽団)911,024
 ヤープ・ファン・ズヴェーデン(ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団)816,375
 マリン・オールソップ(ボルチモア交響楽団)756,911 

月刊音楽祭https://m-festival.biz/21807より一部抜粋


勿論この額は各指揮者の全収入ではありません。一楽団からの音楽監督への報酬額です。
ここに上がっている9人のうち、オーケストラを上手にする達人は、1人か2人です。あとは音楽事務所と楽団側が売りやすい、つまり仕事を作りやすい指揮者として選んだものです。しかしながら、それに対してこの莫大な報酬金を与えている。これが現在アメリカにおけるクラシック音楽界の衰退の原因の一つでもあります。このような売り方をしていたために、コロンビアアーティストは潰れたではありませんか。日本も真似をして、(ここまで酷いことはないでしょうが)、指揮者や音楽家に必要以上のギャラを払う必要はありません。それを決定するのは、音楽事務所であり、オーケストラの責任者たちです。自分で自分の世界の首を絞めない。
クラシックの音楽家は、プロサッカー、プロ野球選手ではありません。彼らは活動生命が非常に短い。指揮者は一生です。だから、一回のギャラをそんなに高くせず、大体満遍なく届くようにすべきだと思います。
ちなみに後年のカラヤン、バーンスタインはウィーン公演において、貰った報酬の全額を、Musikverein、Konzerthausに寄付していました。


オーケストラについて

オーケストラはクラシック音楽界にとっては一番中心的存在であり、オーケストラ界の発展はそのままクラシック音楽界全体の発展でもあるので、改革は慎重に行われなければなりません。

現代のオーケストラに対しての改革案

現代のオーケストラに対しての改革案をここに示します。ちょっと意外な事が多いかもしれませんが。

殆どが音楽事務所の項で書いた事と重複してしまいますが、

  1. オーケストラの第一経営方針はクラシック音楽は伝統継承文化である事。その事を無視したような演奏形態や興行をしないこと。

  2. 各演奏会は必ず演奏会目的がしっかりしている事。

  3. 各団員は伝統継承者である事、音楽芸術家である自覚を持つ事とし、勤勉に常により良い仕事環境を保つ事。やたらとお金稼ぎに走る音楽屋を絶対に作らない。

  4. 音楽家を商品のように売り出さない。

  5. 一人一人団員を生涯面倒をみる。老後の事まで。

  6. 事務所全体の職員の数を減らす。音楽家の数にあっただけの数に減らす。

  7. 無闇にコンサートを開かず回数を減らして一回一回の質の向上を目指す。このコロナ禍の時代でたくさんのコンサートが代役によって行われています。これによって日本人演奏家は仕事が増えたかもしれないが、その分演奏会の本来の目的、演奏の質の点では目標に達したでしょうか。妥協をしたのでは無いでしょうかか。潤った人もいる事でしょう。それまでして無理に沢山の演奏会を続けるべきでしょうか。この間の仕事は要はセカンドベストであるという事です。

  8. 例えばオーケストラの場合一か月に何回ぐらいコンサートを開いているでしょう。平均で10回ぐらいですか。その為のプロダクションの数も多過ぎるし、先ずは演奏上の品質アップの為に同じプロダクションでのコンサート回数を増やす(最低でも3-4回)。またどんな演奏会プロダクションでも練習は最低3日間、各コマ数を現在よりも15分づつ延ばし、その分練習の質の向上を図り曲目もそれなりの大曲にもっと挑む。楽員側から、練習時間の短縮要求なんてありえないことである。オーケストラの側からは、練習の出来ない指揮者でも良しとする風潮を根絶する。きちんとオーケストラ向上させる事の出来ない指揮者は日本のプロのオーケストラ音楽界から追放すべきである。

  9. ソリスト、指揮者に必要以上に高いギャラを払わない。とにかく経費を抑えて仕事にあった報酬額を要求して楽団員の給料とあまりに大きい格差を作らない。舞台上でのギャラの格差は良い演奏コミニケーションと結びつかない事がある。

  10. 指揮者、演奏家の決定はいつも楽団品質向上を第一目的とする。すなわちできる限り音楽監督、常任指揮者を使って楽団の基本部分の向上を図り、個々のオーケストラが適当に万能なオーケストラにならずに個性的な特徴あるオーケストラを目指す。

  11. 音楽事務所とは年間契約(フランチャイズ契約)を結び個別のマネージメント料を音楽事務所は演奏家からは貰わず、決められた予算のもとにそれに合った指揮者を音楽事務所から送られる。下手な指揮者を音楽事務所が送れば次年度からの年間契約に影響が出る。いつもピリピリとした状態で世界からの情報に明るくなければならない。

  12. 外人演奏家については、先ずオーケストラ側から最初に直接コンタクト取りその後の交渉を音楽事務所に委ねる。決して事務所からの売り込み演奏家とは簡単に契約をしない。

  13. 国や県市町村と公的機関からの補助金を第一に当てにしない。様々な意味で段々圧力をかけられるからである。

  14. 民間の大口援助者をオーケストラ業界全体の問題として探し、オーケストラ協議会全体で交渉しそれを区分する。

  15. 現在のオーケストラ公演の形態は、自主公演(定期)、スポンサー付き公演(名曲等)、売り公演、公共団体補助公演(音教等)に大きくわけられるが、このニーズに応じて、指揮者、演奏家、公演の質までがカテゴリー化されている。これはオーケストラ側の経営上の方針であり、オーケストラ品質向上には何の役にも立っていない。現在の大半のオーケストラの経営の最大の興味は現状維持であり、これをただ続けていては世間の誰もがクラシック音楽界に興味を持たなくなる。技術品質全ての面でトップを目指す事である。これは芸術家として最大の重要点である。
    こんな事、新たに言われなくても十分にやってますと言われるにちがいありません。よく解っています。私はもう一度根本から色々と考え直して頂きたいのです。特に現在の国、地方公共団体との関係がもう少し違った方法での援助がなされないかという事です。国、都道府県は御役所仕事、現状維持を好み、なんでも変更する事に異論を唱え自分達の仕事の合理化を勤めようとする団体です。

最後に厳しい事を言います。どうして日本のオーケストラが上手くならないか。先ずは前に掲げた問題で最も大事な音楽上の喋り方、つまり音楽語法の考え方の根本が楽団内でずれている事です。一つの楽団で考えてみましょう。同じ楽団でどれだけ違った音楽教育を受けた人達が集まっているでしょうか。音楽家というものは、受けた教育によって直ぐに意気投合することが出来ますが、あまりにも沢山の流派が存在すると、人は一瞬でどれに合わせて良いか判断できないものです。これがずうっと続くとそれがマンネリ化しその事に注意を払わなくなります。ましてや指揮者に統率力のない場合、この楽団内で出来る仕事は、音程やリズムを合わせる事、奏法の一致、それと見やすい棒で簡単に縦の線だけ合わせる演奏をする事、これをするだけの練習を、日本中のオーケストラでは40年近くも続けているのです。もういい加減に考え方を変えませんか。いいですか。日本だって良い時期は有ったんですよ。NHK交響楽団は1970年頃から1990年頃の間、名誉指揮者にサヴァリッシュ、スイトナー、マタチッチ、シュタイン等、独墺音楽に長けた同じ音楽語法を喋る指揮者を呼び徹底的に教育を行いました。この時期にN響は格段の進歩を遂げ現代に至っています。読響でさえ、チェリビダッケが来た二週間、スクロヴァチェフスキが常任であった良い時期、音楽語法のわかる厳しい指揮者の洗礼を受けて格段の進歩を遂げています。最近は、安定している日本人指揮者、あまりギャラの高くない外人指揮者、人気が高く比較的若い日本の指揮者を交互に使って、団員も聴衆も飽きないようにさせるのがオーケストラ事務局の手腕となっていませんか。日本のオーケストラは本当に今上手ではありませんよ。オーケストラを育てることができる指揮者は世界にも沢山はいません。世界中のオーケストラが日本と同じような事をやっているので、良い指導者を見つければ変わる可能性が沢山あり、世界でも有数なオーケストラになるチャンスもあります。忘れないでください。ここであるオーケストラの演奏部長さんがこのコロナ禍に於ける彼の楽団の政策のようなものを発表していました。指揮者のやり繰りに困って定期公演を中止にして、その分レパートリー曲を日本の指揮者を使って公演を作り、また、日頃なかなか登場出来ない若手指揮者を起用したという話でした。非常に苦労が見え気持ちもわかることですが、このオーケストラ団員の持っている実力と自尊心からすると、彼らの実力と同等かそれ以下の指揮者ばかりとの仕事で出来上がった演奏会を聴かされるのでしょう。オリンピックが終わるまでの間、このパターンが続くことでしょう。8月頃までの予定を見るとその光景が伺えます。オーケストラ側の言い訳に思えてなりません。この期間は、低いレベルの公演が続くのかと心配です。ちなみにこの公演指揮者は全て日本大手の音楽事務所さん所属の方達です。癒着感満載ですね。強い指揮者のいないオーケストラは、司令官のいない軍隊と同じです。少佐や中尉クラスに支配されている軍隊でなく、司令官のいる軍隊にしましょう。また聴衆は、いつも回転寿司やスーパーのお寿司でなく、舌の肥えた人は老舗のお寿司をいつも食べたいと思っている事をお忘れなく。ちょっと言い過ぎましたかね。

話を戻しますと、
いいですか、現在の国、都道府県の担当職員達は国民の為にといって上からの強い圧力に動かされている古いくさいコンピューターに過ぎないのです。プログラムを変えない限りは現状維持になってしまうのです。ですからコンピューターのプログラムを変えるか、そのプログラムを簡単に変更できる権限を持つ人間を納得させる事です。こう考えれば、自ずとアプローチする部分が狭まって来ると思います。いちオーケストラが独壇でやる事でなく、全てのオーケストラの為にオーケストラ協議会がこの仕事を必死に行う事が大事だと思います。

ウィーンフィルとベルリンフィルの例

少しここでウィーンフィルとベルリンフィルの例を出してみましょう。彼らの来日は世界的クオリティのある楽団が日本に来るということで、そのチケットはいとも簡単に売れて興行が成り立っています。これはなぜかというと、知名度だけでは無く、実力とその公演が人に影響与えると言うこと、必ず良いものにありつけると思うから、そこに多額のお金を払っても人が集まるのです。でもこのコンサートも必要以上の多額のお金が動いています。このチケットが安くなれば、むやみやたらに日本の オーケストラコンサートも高いチケットを売らなくなるでしょう。
ちなみに私のウィーン学生時代、国立歌劇場のカール・ベームのフィガロの結婚の公演をある手続きをして、たったの17円で見た覚えがあります。
何度も言うようですが、どこの国のオーケストラも世界一を目指しているところは少ないでしよう。現状維持と自分たちの生活の為が全面に出ています。これが現状ではないでしょうか。この点をオーケストラの側が本当に変えない限りはそれに対する本当の意味の大口のスポンサーも存在しないし誰もがその存続を必要なものとは考えず結局文化庁程度の出す微々たる補助金、それも何かを理由をつけた補助金にしがみついたりしていくしかないわけです。
札幌にバーンスタインを呼んで「PMF」というミュージックキャンプを作った人はS氏と言う音楽マネージャーでした。彼は本当に若者が世界中から集まってそこで世界一の指導が受けられると言うパターンをつくりあげました。(タングルウッドの日本版)。バーンスタインは亡くなりましたが、この後段々と大型スポンサー以外に札幌市がお金を出して口を挟むようになり、一番大事な部分が役人や政治家の力の下に変えられてしまったのです。この時点でS氏が札幌から離れて、世界一の音楽教育キャンプを目指すという当初の目標が見えなくなってしまいました。様は政治的な要因で、言うことをよく聞く音楽屋が中心となった音楽キャンプへと変わってしまったのです。バーンスタインがほぼノーギャラで始めたこのキャンプに、今や音楽監督には数千万円のギャラを払うようになり、その監督がたいした教育もしていない有様です。こんな市場にしてしまったのは日本の業界と音楽事務所ではないでしょうか。でもこの音楽キャンプを始めたおかげで、キタラホールと言う日本で一番音響の良いホールができたり、札幌の音楽文化の貢献にはなったと思います。しかしながら、現在の市民の関心度はかなり低いものとなっています。日本クラッシック音楽界の縮図と言えるでしょう。

アメリカ ボストンにおける良い例

小澤征爾さんの招待でタングルウッド音楽祭とボストン響を訪れた時の話です。ボストン響はアメリカの中で一番経済的に恵まれたオーケストラです。たいへ賢い経営をしていると感じました。先ずシーズンが9月に始まり3月までは基本的にボストン響としての仕事をします。4月から6月までは同じオーケストラがボストン・ポップスオーケストラの名前で仕事をします。この間3ヶ月間の収益で殆どボストン響全体分の収益をあげているとの事でした、そして7、8月はタングルウッドの音楽祭の収益で基本的にまかなっているそうです。ボストン・ポップスオーケストラの時はコンサートホールに椅子とテーブルを入れて、お酒を飲みながら演奏が聴けるそうです。現在もそうしているかは定かではないのですが、考え方は素敵ですよね。より一般に認められる様な気がします。日本のオーケストラも気取ってばかりでなく歌謡曲やポップスもやるべきだと思います。またタングルウッドでは素晴らしいスポンサーシップのシステムを見ました。それは日本の様に大型スポンサーのみで無く、参加者一人一人に対して2ヶ月間個人用のスポンサーが付くのです。フェスティバルの講習生からオーケストラの団員まで、例えば音楽監督の為のスポンサーとか、コンサートマスターの為とか第2フルートの為とか、という具合です。またこのスポンサーは世襲制で欠員が出ると公募する形だそうですが、なかなか欠員が出ないそうです。フェスティバル中スポンサーとそれを受ける側の食事会等も開かれています。これはスポンサー側にはたいへんステータスのある事でライオンズクラブみたいな物です。これがボストン響の中でも存在しているそうです。興味深いですね。お考え下さい。
またこれから先の将来の展望として、実業団的オーケストラは考えられないでしょうか、要はスポーツの実業団と同じく午後2時まで企業で就業し、それ以降を音楽に時間を充てる。やり方さえ考えれば出来ない相談ではないと思う。

日本の音楽界から追われた二人の指揮者

ここでタングルウッドの話をしたついでなんですが、先ずタングルウッドのセミナーは英語圏で一番権威あるセミナーです。このセミナーに参加出来るだけで相当な名誉であると同時に、アメリカ音楽界で音楽家として最も良いスタート地点に立てると言われていましたが、現在はどうでしょう。ここ数年の情報は定かでは無いので。
ここで私がお話ししたいのは二人の指揮者の事です。二人とも現在は日本の音楽界から見捨てられ、非常に厳しい音楽人生を歩んでいる様です。原因は己自身の問題から起こった事なのでその事についてあれこれ言うつもりはございません。ただもう反省はして、時間もある程度経っているので、オーケストラとマネージャーの皆さんを中心に、もう一度最後のチャンスをこの二人にあげて欲しいのです。また音楽ファンの方々も是非コンサートを聴いてあげて欲しいのです。実は二人とも私の関係者で、タングルウッドセミナーの参加者でもありました。そして二人とも指揮者コンクールの優勝者で、日本のオーケストラの音楽監督経験者です。一人は私の弟弟子にあたるものです。現在60歳近くになってしまいました。20代でコンクール優勝、タングルウッドでクーセヴィツキー大賞を受賞、殆どの日本のオーケストラを指揮、30代から40代の初めまでに3つのオーケストラの音楽監督を歴任して、殆どのオーケストラの定期公演を指揮し、その頃には一番忙しかった指揮者のひとりでした。それがいつの間にか、音楽事務所との問題、オーケストラとの問題により、あっという間にコンサートのチャンスが全く無くなってしまったのです。怖いですね、日本の音楽界は。彼はある意味で使い捨てられたと思います。若い時殆ど外国にも行かずに音楽事務所の提供する仕事を一生懸命にこなし、ゆっくり研鑽する時間も無く音楽家文化人としての気質を促進する事もなかったのですが、使い勝手が悪くなったらお払い箱っていう感じですかね。彼は今オーストリアの国籍を取得してウィーン人としての人生をはじめ、音楽の研修は毎日欠かさずしている様ですよ。なんとかチャンスをあげて下さい。お願いします。
もう一人は私の弟子です。タングルウッドのセミナー参加者で、指揮者コンクール優勝者、音楽監督経験者で、良いクオリテイのCDを作ったり精力的な活動をしていたのですが、彼の¥起こした金銭的トラブルによりこの業界から追放されてしまいました。彼も日本の業界でばかりで仕事をしていたのでヨーロッパではあまり通用しなく、現在では殆ど活動がありません。その事件から10年です。そろそろ最後のチャンスを与えてやって下さいませんか。彼ももう50歳代です。音楽事務所の方々、とにかく音楽家の使い捨てはやめましょう。話をもとに戻しましょう。

いいですか、世界にはお金はあります。ただしお金とはたくさん有るところに集まってくるものです。みてください。オリンピックもアメリカの放送局の放映権と政治的な勢いによって、健康を害しその不安と闘っても断固実現すると言う姿勢です。でもそれは何かといえばお金が動いちゃうからです。経済が成り立つからです。これはクラシック音楽の世界と同じで、こんな時期にオリンピックを実現するのに、たった10人くらいの人達によって決定させることができてしまうのです。本来なら人間的、人道的な考えがこのスポーツ精神の中に溶け込んで開催の良し悪しを決定しなければならないのに、政治的や経済的な理由で開催の決定をしようとしています。スポーツマン精神に反しますね。悲しいです。


クラシック音楽界のお金の話

クラシック界のお金のお話をしましょう。
お金はある所にはあるんです。日本のオーケストラが必要とする位の額は、集め方の考えを変えればいくらでも集まると言うことです。現代ではそれをするコーディネーターはいくらでもいます。後はそのコーディネーターとお金を出す側を納得させればいいだけです。この時に本当に文化の事を理解できる人を探すという事が大切です。そしてそういう人に、生涯にわたってのご理解とご支援をお願いするのです。私は、クラッシック音楽に携わる人達が私の提案している様な方向性で活動をするようになれば、必ず理解者が増え良い方向へ導かれると信じています。20人の人間によって現在の歪んだ音楽市場が出来たのだから、20人くらいの人の動きでこのクラシックの世界を変える事だって出来るという事です。頑張りましょう。
人生は一回しかないですからこういう改革に勇気を持って接して下さい。この様なクラッシック音楽発展の考えを私は日本から始めてウィーン、ヨーロッパ、アメリカと広めていきたい。これを行なう事が千葉生まれのウィーン人である私が、クラシック音楽という大きな文化の恩恵を頂いた音楽芸術家として、この文化に対してお返し出来る事と思っております。
様々な改革において思考的先進国は、中国、インドです。現在では日本、アメリカ、ヨーロッパは後進国です。
改革をするには、ワクチン、10万円給付、マスクの配布等でお解りの様に、国公共団体が絡むと全てが遅い。要するに団体として機能させなければならないからです。でも逆にオリンピック開催の為のように国家的圧力を掛けると急に動きが良くなりますね、ワクチンが良い例です。
こんな国家はあてにはせず、民間の力で即決の出来るトップの人間と交渉すべきです。トップの人間で行動力のある人を探しましょう。皆さんもフットワークの良い人間でいましょう。
オーケストラ協議会も幾つかの試みをなさって日本のオーケストラ全体の進展に力を注いでいると聞いていますが、マネージメント協議会とも協力をして欲しいものです。近いうちにテレビで、4人の現在トップの日本人指揮者の座談会でクラシック音楽界の将来について話し合われるそうですが、たいへん期待をしています。4人とも音楽監督であり、3人が指揮科教授でもあります。これから先もこの4人にオーケストラ協議会、マネージメント協会の代表を含めて3ヶ月おきにオーケストラの将来の事についての会議を開くべきだと思います。是非実現して下さい。希望は日本人指揮者、ソリスト、オーケストラのヨーロッパ有名な音楽祭への常時出演です。小澤征爾さん以来もう10年あまり誰も出演しておりません。要はヨーロッパの伝統音楽なんですから、ヨーロッパで認められなければ、本来ダメという事です。この点をお忘れなき様に。


日本に於ける音楽教育について

何度も繰り返す様ですが、そもそも日本に於ける音楽教育についてもう一度考えてみましょう。
大抵の場合はじめは音楽は習いごと程度と考えているのですが、段々とんでもないことになってしまうんですね。ですが、例えばヨーロッパの場合ではそんなに大きな問題はならないのです。日本やアメリカ、韓国の場合、音楽教育に多額のお金をかけたりしますが、ヨーロッパの中ではこんなにお金をかけることなく学ぶシステムがありますし、誰もが簡単に音楽教育をさせようとも思っていません。ここで大事な事は指揮の生徒達の勉強段階のところで言ったこととほぼ同じですが、とにかく勉強することです。この勉強とは伝統芸術ですから、ただピアノあるいは楽器を弾いていればいいということではありません。ヨーロッパにいればそれだけ文化と直接結びつくことができますし、環境さえ整えられれば伝統芸術を学ぶのに最適です。ところが、その伝統芸術を習おうとする人のほとんどが海外旅行と同じ位の心持ちでこちらで勉強して日本に帰っていきます。そんな風に日本に帰国した人に限って、自分はウィーンのことがよくわかるみたいな感じを出すから余計にタチが悪い。確かでない技術、確かでない知識をかざして、経済的に安定していてちょっとした演奏技術とコネのある人がプロの楽団に入るか、それに入れなかった人はいろいろな鑑賞団体とコンタクトを取り、他の同じような環境の人と小さな音楽会をあちらこちらでやらしてもらっているというのが現状でしょう。これを皆さん一生続けるんですか。どこかでこの方法を変えないと。ここ40年間、私が見た日本、韓国、台湾、アメリカ、実はヨーロッパでもこういうことが充満してきています。特に若い方々にこの事は解って頂き、あまり大きい声では言えませんが、歳をとってもこのままの方法でずっと続けていきたい方はそのままおやりになれば良いと思います(チャンスは、20代で3回、30代で2回、40代で1回)。若い人達がいまの方法を続けると言うことになるとただただマンネリ化するだけで、進歩が起こらない。もう一度考え直して欲しい部分は、クラシック音楽は今産まれたものではなく伝承芸術である事。日本で言えば歌舞伎、能と同じでですから伝承、継承していく事が重要なのです。

先生という言葉について

先生、人は尊敬の念を持ってこの敬称を使っていますが、どうもこの言葉には魔物が潜んでいます。そもそも先生と呼ばれる人達は、実際の公的機関の教授、教師、医者、弁護士、政治家とそれなりに地位のある方々で、こう呼ばれて気分の悪い人はいないと思います。あるひと時の優越感に浸れるのではないでしょうか。この敬称によって偉くもないのに偉そうな態度の人を作ってしまうことが恐ろしいことだと思います。私自身こうなる事を防ごうと教師なりたての頃はプロフェッサー、先生と呼ばせずに、ファーストネームか勇治さん、湯浅さんと呼んでもらっていたのですが、弟子の下野だけが固辞して先生と呼んだ為に、他のものが真似をして、だんだん私も許すようになってしまいました。慣れというものは恐ろしいものです。私もこの魔物に取り憑かれたと職を引退した後に感じます。65歳になりましたが、皆様方には是非先生とは呼ばないでいただきたいのです。お願いします。どうしてこういう事を書いたかというと、クラシック音楽の世界では無数の先生が存在し、別に地位があるわけでも資格があるわけでもないのに(他の職業の方は大抵国家的資格を持っている)平然とこれを使い、いい気でいる者も多い。クラシック音楽の世界では先生という敬称をやめて何か他のものを考えた方が良いと思います。センパイ(先輩)はどうでしょうか、まだこの方がしっくりとくる。カタカナで書いた方が良い感じがします。この方が親しみやすい感じがしますので。
ちなみに昔、CBS-SONYの本部長さんが私に言ったことがあります。“歌謡曲の世界では、CDを100万枚売ってようやく一人前と云われ、その10年後辺りで初めて先生と呼ばれる。でもクラシック音楽界の人は、CDを1000枚も売れば先生と呼ばれ肩で風を切っている”と。うわぁー、自尊心の塊みたいなお話でしょう。これが現実です。


録音について

現在はより自由な社会になりましたので、誰が録音しても誰がそれを商売としてもそんなに問題がないですよね。ただ、そのことによって、あまりにも簡単に録音出来て、その出来もデジタルのために、良し悪しを簡単に見分けられない状態になったんです。現在ではものが発達し過ぎて、面倒くさいので、そんな細かい作業をして質の向上を目指すようなことはしません。
ですからここ15年以上録音の技術は進歩していません。こんな細かい表現の出来ない録音媒介を使ったもので、音楽家達は自分の一生を決めるヴィデオやCD、履歴やデモテープを送り、大したことのない装置で聞き、審査をしている、という事をよく聞きます。挙げ句の果てにはこの程度のクオリティのネット配信をしてコンサート配信と称して沢山の人がお金を取っている。言語道断です。
もう少し個々のジャンルで品質向上の為のコントロールが必要です。
録音技術に長けた方、この『Wiener コアラの会』を通じて意見交換をし、新しい技術の発展につなげて下さい。


コンクールについて

コンクールにおける良い点

  1. 音楽学習者に対して、勉強目標を与えられる。

  2. コンクールの結果によってステータスが与えられたり、その結果肩書に近いネームバリューが出来る。経歴に匹敵する程影響力が強い。

  3. 現在、コンクールの数も無限に存在し自分のステータスを昔より簡単に上げられる。

  4. コンクールをきっかけに国際交流が始められる。

  5. 音楽マネージャー、音楽団体とのコンタクトができる。

  6. マスメディアに載せてもらえる。

コンクールに於ける悪い点

  1. コンクールに勝つ為の勉強をしてしまう。

  2. 自分の学習方針がコンクール入賞だけになる。この際芸術家を目指す勉強とはだんだんかけ離れてくる。特にウィーンでは、ヴァイオリン、ピアノ、声楽科にこんな日本人留学生が非常に多い。この人達に文化を吸収する気はまるで無い。

  3. 名声を上げる事だけを考えるので、コンクールに優勝するとすぐ完全帰国をし、日本の音楽マネージャーの下で文化に無縁な日本仕様の音楽屋になっていく。

  4. 生徒達の会話は殆どが、コンクールとデビューの事ばかり、日本人の優秀な生徒同士でネット上の繋がりのみ。ヨーロッパ人との交流が極単に少ない。

  5. 日本の音楽マネージャー、マスメディアの連中との交流ばかりを考えている。

  6. 音楽マネージャー達は自分自身で音楽家を見極めきれないので、コンクールの結果をたいへん重要視する。これではどうしても正しい芸術家を探し出せない。こんな事だから日本の音楽界の道は厳しい。誰もが適当な音楽マネージャーになれる事にも問題がある。音楽マネージャーにも厳選な国家試験を作るべきである。要は良い音楽家を育てる為には指揮者程度の知識は最低限必要である。

  7. 現在世界には1000以上のコンクールが存在する。今から40年前では150程度であった。これだけ沢山コンクールがあるので、どれに権威があるのか無いのか誰も判断出来ない。コンクール入賞は肩書の一つに過ぎない。

  8. 現在コンクールを主催して金儲けをする団体まで出る始末。コンクールを誰でも催せる時代なのである。これを一生を決める一つの選定基準にされたらたまらない。

  9. 今や学内コンクールもザラにある。

  10. コンクールの選抜方法にも問題があります。どうしても多数決の意見なので、よっぽどとてつもない才能がない限りは、殆どの場合中庸の才能しか見つからない。

  11. 自分もコンクール入賞者を50人以上世に出してきたが、その中で本物の指揮者になったのは半分くらい。私は色々と言いたい様に意見を言っていますが、全てが実際の経験からの意見です。

  12. 賞金や演奏会の副賞があったりしますが、全て援助が薄過ぎます。もしするのであるならば手厚くアフターケアをするべきです。

私が計画している指揮者コンクールの話

今ここで私が計画をしている指揮者コンクールのお話をしましょう。アジア全体からこの50年間、世界的な指揮者と言えば、小澤征爾とチョンミュンフンのみ、ヨーロッパに於いてザルツブルク、バイロイト音楽祭に出演出来る指揮者は、今のままでは一人も出てこないでしょう。こんな事にならない様にと考えました。

  • 開催は3年に一度

  • 場所は関西の何処かのオーケストラ(何でも東京第一にならない様に)

  • 練習使用語は英語

  • 参加者はアジア人35才まで

  • 書類審査、予備審査で50人に絞り込む

    1日目
    直接1次試験は、英文による音楽、文化に対する筆記試験、ソルフェージュ試験、課題オペラのピアノ弾き歌い
    ここで10人に絞り込む

    2日目
    30分の持ち時間で課題曲2曲を自分で時間配分をして指揮、練習しても通すだけでも構わない。

    3日目、4日目は同じ要領で 別の課題曲2曲

    5日目
    10曲の中から抽選で選ばれた序曲を30分づつ練習、夜にコンサート

  • 審査員は全員アジアでオーケストラを持っている音楽監督

  • 審査方法としては、各審査員が自分の入賞者を選ぶが、他の審査員の過半数の同意が必要。

  • 賞金は無し。

  • 入賞者は2年間、審査員の音楽監督、オーケストラの下で研鑽を積み、最低10回のコンサートを指揮する。その生活費等はスポンサー又は楽団が保証する。

  • 2年後に、日本とヨーロッパ(ウィーン)でデビューコンサート。この際、各有名楽団事務局長、音楽事務所長を招聘し直接契約交渉をする。


歌手について

次に歌手の方々の事はどうでしょうか。歌手の方々はどうしても自分の体を楽器にして演奏するのですから、他の音楽家より難しい部分があると思いますが、やはり他の音楽学生と同じ考え方で勉強、就職活動をしている感があります。先ずはコンクール入賞。
また、日本には残念ながらちゃんとした歌劇場と言うものがありませんので、歌手を本当の意味で育てていくための機関が非常に少ないと思われます。今存在するのが、新国、二期会、オペラ振興会、琵琶湖オペラ程度です。これらの団体は残念ながら歌手の方々に完全に安定した収入を与える職場では有りません。その会に入っていても日雇い状態でましてや出演が決まると今度はチケットのノルマが待っています。
歌手の人達にとって、日本には安心してゆとりを持って自分の芸術だけを突き詰めて仕事出来る環境が全くないと言っても過言ではないと思います。劇場が無いからソロ活動をしますよね、今日本で何人くらい人がソロ歌手として食べていけているでしょうか。20人もいないと思いますよ。音楽事務所も厄介なもので仕事作りが大変です。それに歌手生命は他の演奏家より短いし、本当にお先真っ暗ですよね。順を追って考える必要があると思います。歌手が一生やっていくためにどういう風な道を進んでいかなければならないかと言う事に対して、学生時代からきちんと進路について考えさせること、国やその他の団体等が歌手の就業方法を改めて考える事が本当に重要なことです。
現代の歌手達の道は、大学受験の頃に専攻を決め大学進学、3年次の頃に自分の声域、声質によって進路を決め、その頃から小さいコンサートに参加をし、オーディションにかたっぱしから申し込み、芽が出るまでそれを続ける。その間有りとあらゆる歌うことの出来るバイトを続け、生活の為に異種のバイトを始める。女子声楽学生の半分は普通の音楽学生と同じで裕福な家庭が多いが、残りの半分と殆どの男子学生は学生時より生活費に事欠く者も多く、7割程度の人がバイトを掛け持っています。この段階で就職出来る事などほぼない。それでもこの業界にはしぶとい奴が多いので(笑)、なんとか生き長られる者もいます。本当のところ、一番何とかしてやりたい人達です。大学卒業後裕福な学生達は、留学を考え、大抵はイタリア、ドイツ、ウィーンへ留学をしますが、基本的な声質、声量、語学能力がヨーロッパの劇場で働ける基準には到底及ばなく、殆どが退散して日本へ帰国します。また劇場では活動出来ないと思うと、特にお金のある方々はリート科、オラトリオ科に進み、簡単にディプロムだけを習得して帰国して大学の先生の仕事を探し、その間に結婚するというのが定番でしょう。
あまり将来が見えませんね。ちなみに日本留学生のヨーロッパでの就職状況は悲惨なものです。実はヨーロッパの主要歌劇場と音楽事務所は随時自分達の希望に合った歌手を探していますが、私の知っているリストには殆ど日本人の存在がありません。その理由はある意味で明らかだと思います。世界のクラシック音楽界で日本が一番遅れているのは指揮者と歌手の活躍です。悲しい事です。教育機関、演奏団体、国が本当に梃入れしない限り、明日は無いと思います。本当にお考え下さい。私には計画があります。でも今私が提案しても、現在お仕事をなさっている方はただ反対するだけで、現状の事しか考えないと思うので、なかなか改革には至らないと思います。

まあでもだし惜しみせずに少しだけはお話ししましよう。
最初の仕事は、次の人達から成り立つ委員会を作る事です。大事なのはこの時点で各ジャンルより、何でも直ぐに実行できる即戦力のある方を2人ずつ選出し、各ジャンルの代表が一人も欠けない事です。

オペラ団体の現音楽監督の指揮者、劇場事務方のトップ、オペラ団体のトップ、演出家、舞台監督、歌手、オーケストラ代表、オーケストラ団員、音楽事務所、文化庁文科省の役人、スポンサー団体、音楽ジャーナリストより選出された24名で構成。日本におけるオペラ活動の最終決定権を持つ。ゆくゆくは全ての綿密な計画を練る為のオペラ活動の本部となる。公演内容から演奏家のギャラまで全ての決定権を持つ。今まではごく一部の人達に委ねられ、結局大した発展をみていない。

目標:

  1. 現在プロの歌手で食べるに困らない日本人は20人もいない。あとの人は生きるのに精一杯である。とにかく職場作りから本格的にしなければならない。

  2. 歌う機会を作るということと日本中の人にオペラを知ってもらうこと、歌手のレパートリー作りのために、どのオペラ団体も年間に最低1プロダクションは日本中で同じオペラを公演する。例えば今年は魔笛、来年はヘンゼルとグレーテルという様に、日本中ありとあらゆる場所でこのオペラを上演するわけである。少なくとも日本中で市民オペラ、アマチュア団体を含めて約100団体が最低3公演ずつやったとしたら、日本中で曲が有名になり、ソリストも1パートずつ、最低100人がレパートリーを持つ事が出来る。この数を確実に増やしていけば日本のオペラ界の歌手の底辺が広がり、欧米の歌劇場デビューのきっかけともなろう。決して出来ない相談ではない。なおこの公演には、文化庁文科省が率先的に資金援助をすれば意義のある文化貢献となるに違いない。何となくダラダラと続いている音楽鑑賞教室よりも有意義ではないだろうか。
    ベートーヴェンの第9は1年間で200公演以上行っていて、オーケストラ、歌手にとっては稼ぎ頭である。似た様な事が起こると良いと思います。

いま頭に浮かんだ事ですが、あまりコンクールと考えずに、オペラのど自慢をNHKのEテレか何かで、開催出来ないでしょうかね。オペラを大衆化するのには良いことだと思います。大正時代日本もあの頃モダンな浅草オペラの繁栄がありました。音大の先生も生徒さんもバカにして相手にもしないと思いますが、実はあの頃の録音を聴いてみると、同じ時期の欧米の歌手の実力に損傷ないクオリティーですよ。現在演奏の格差の方がどんなに大きいことか、皆さん歴史を学びましょう。

さあ歌手の皆さん、正しい見識を持ち、世界を目指しましょう。そうする事によって、あなた方の将来も変わると思います。とにかく勉強と活動の場を拡げましょう。
少し良い事も聞きましたよ。有名な演出家を中心に魔笛のキャラバン公演を行うそうです。演出と歌手陣はほぼ同じで、地方によって、オーケストラ、指揮者が代わるという事です。地方にオペラが普及するという点ではOKですが、一部の歌手のみしか恩恵を受けられないみたいです。文化庁からお金が出たのですから、熟考してうまく先に続けて貰いたいものです。


再度、音楽教育について


次に音楽教育の事についてお話をしましょう。
まず、音楽教育には必ず全体を貫くひとつˋのポリシーが必要です。現在の日本の音楽教育には一番欠けているのはこのポリシーだと思います。音楽をひとつの技術習得の為のものと思っていることが、非常に多くの部分を占めているからです。      また、普通の義務教育の事ですが、明治の時代からほぼ変わらない音楽の指導要領と言うものに準拠し、明治の時代の教育者が考えた枠組みをいまだに無理矢理使い続けていること。これを大きく打破しているものは戦後の音楽教育の中でほとんど見られません。義務教育で求められている音楽教育における目標があまりにも低いために、これを行なっても誰も音楽が必要とも楽しいとも思わず、結局意味のない時間が過ぎてしまっているわけです。週1時間か多くても週2時間の間に何が教えられるのでしょうか。
私は芸術の分野を担当する教師が一番しなければならないのは、芸術の本質である、人間が頭脳を使ってそれぞれの分野から取り入れたものを頭の中で具現化する力(これは小説を読んで頭の中で具現化する事に似ている)を養い、それによって人間形成の上で必要な感性を豊かにする。これが芸術を使った授業の到達点ではないかと思われます。より想像力に富んだ人間形成を目的として、若ければ若いほど良いでしょう。
もう一つ、芸術を教える先生が今、日本の教育で一番欠けている躾、常識、礼儀、あるいは人間としての最低の生きるためのルールをうまく混ぜ合わして教えていくことが義務教育がすべきことのひとつではないかと思います。その事を考えると、文科省や文化庁等のやっている教育指導の補助等はお笑いぐさです。特に小学校中学校における移動音楽教室。これには多くの予算が組まれていますが、現在行われている方法は私が子供の時に学校で受けた昭和30年代、今から約50年前のものと全ての面であまり変わっていません。またそれに使われている予算もほとんど変わっていないのが実情です。こんな状態でしたら、やってもしょうがないです。やめてしまったほうがいいと思います。とにかく小中学校の段階の義務教育の音楽には、思いっきりテコ入れをしなければいけないでしょう。
次に習い事と伝統音楽、特にクラシック音楽の個人レッスンについてです。これも問題はほとんど変わらないと思いますが、現在一番欠けている事は、どういう風なものを最終的に求めているかと言うことです。
ちなみに非常に良い例で、かつて現在の桐朋学園を作った方たちが一番最初にした事は、戦後間もない荒廃した土地の中で、将来日本にクラシック音楽の世界を普及する事、あるいはその為の人材を作る事が、日本の文化向上、ひいては国力向上のために必要なものと考え、そのためにより良い音楽家を作るための基礎教育を幼児期から行う仕組みを作った事でした。音楽に関する理論と実践を並行して行うことを目指して、桐朋学園の子供のための音楽教室ができました。そしてその子たちが大きくなったときの為に中学校、高校を作り、最終的には短大、そして桐朋学園という学校を作っていったのです。そんなふうに、先の将来のことを考えながら音楽教育の場を作ってきました。凄く意欲的ですよね。こんな時代が日本にもあったのに、現在はその形だけで、その当時の先生方の意識とはかなりかけ離れていると思います。また、普通の私学、あるいは個人で教えていらっしゃる方々は、先生ご自身の経済的な糧を得るために教室を開いていると言うのが現実ではないでしょうか。まず何よりポリシーを持ちましょう。本来の意味での教育の精神が私の知る限りでは思いきり欠けています。
と言いますのも、私が30年間ウィーン国立音大で教えているときに日本からも世界中からもいろいろな生徒が来ましたが、その生徒たちの持っているポリシーに一番欠けている点は、実は、どうして音楽をするのか、その音楽が世間一般のどういうことに影響及ぼすか、また自分の人生の中で音楽がどういう位置づけにあるかと言うことです。ほとんどの生徒にとってそれらのことがあやふやです。彼らはまず名声を得ること、そしてそれによって音楽家として稼げるようになること、そのようなことをまず最初にしようとすることを小さい時から教育され、それを続けていました。
全てが全てこうだとはいいませんが、25才くらいの学生たちがこんな事ぐらいしか考えていないと思うととても悲しくなります。
この程度の音楽家達が演奏したり、色々と話をしたりしても、一般の方にはただ感覚的に受け入れられるかもしれません。でも、現在の一般人の方々は大抵、音楽をただ勉強してきた音楽バカと違って頭脳明晰は勿論の事、場合によっては音楽家以上に専門分野についても博学です。こういう聴衆を相手にコロナ禍の代役ばかりの演奏会や自分達の糧の為の何度も延期された演奏会を続けている音楽関係者は、ある意味でお笑い者です。今やられている低度のものでは、音楽芸術を浸透させる事も感銘を与えることもできません。この点もちゃんと理解させて教育をしないと、クラシック音楽界からそれなりの文化人は生まれません。文化人は文化のある環境(この環境作るのは難しいですね。)の中から生まれて、文化を通じて人々にいろいろな影響を与えることができるのです。それができた時に初めてひとりの音楽芸術家として勉強した人が文化人となるわけです。ですから、音楽家が最初に音楽を習い始めた時から、たとえ最終的に音楽家にならないとしても、躾けながら教育していく事は非常に大切な事だと私は思っています。

音楽教育団体について

私の知る限りでは、有名なところですと、ヤマハ音楽教室、カワイ音楽教室、桐朋子どものための音楽教室、ピティナ、鈴木鎮一ヴァイオリン教室、篠崎ヴァイオリン教室、その他大都市に必ず1つか2つ、地方でも有名な音楽教室が存在しています。それだけ日本の情操音楽教育は進んでいると思われますが、非常に注意が必要です。これらの団体は、元来創設者が非常に苦労をして、戦後すぐの日本に音楽文化を根ざそうというポリシーの下に築き上げたのです。しかし、何十年も経つ間にポリシーが大きく変わっていませんか。全てが大企業化してしまい、教育という名のビジネスに変わってしまったのです。講師を雇う上でもマニュアル通りの試験があり、教育方針もマニュアル通りを求めています。文科省と同じ方向ですね。文化教育とはかけ離れてしまいますね。ちょっと外食産業と似ていませんか。最初に作った1号店は味のことだけ考えますが、それが企業化すると、経営の事が中心となり、出来るだけ店舗毎に格差が無いように…などと考えます。日本人企業の大好きなパターンです。教育、文化はビジネスとしてやるものではないですよね。皆さんもお考えください。
私は特にこのジャンルで働いている方と、代表の方も含めてじっくりと話し合いがしたいですね。
ここでピティナの福田成康さんにエールを送りたいと思います。ご母堂の福田靖子さんの意思を継がれてこのピティナを牽引されています。殆どの表には出ずに縁の下の力持ちの様にでも彼の代で確実に大きくなったのは事実です。このピアノ指導者協会の動向が日本の将来のクラシック音楽界の鍵を握っていると思います。今までの福田さんの偉業に対し心から敬意を表しますす。ご苦労様でした。私は福田さんのような方に文化功労賞を授けるべきだと思います。一緒に頑張っていきましょう。
あ、そうそう将来指揮者になりそうな生徒を育てて下さいね、お願いします。まあコンクールの位置づけにはもう少し思案が必要だと思いますが。

音楽を伝統と伝承芸術としての考え沢山色々な話をしてしているうちに一番大事な事を忘れないように。
伝統芸術の筆頭にあるのは歌舞伎の世界ではないだろうか。歌舞伎の歴史は大体クラシック音楽と同じくらいで、ピークを江戸時代後期に迎え、その後それほど衰える事もなく、現在まで続いています。その要因の一つは、世襲制度です。子供の時から親族によって伝承された芸術は、書いたものでの暗記は許されず、もっぱら、頭と身体のみによって覚えこまされていくわけです。ですから基礎の部分に誤差がないのです。この鍛錬を300年もの間、変わること無く続けていくのです。ですから、有名な市川団十郎を襲名する頃には、全ての物が備わっているという事になります。素晴らしいですね。普通の人が到達し得ないもの、これも芸術なのです。ちなみにもっと一般に普及する為に歌舞伎を習うシステムを作ったとします。世界中でも広まり、変に亜流に進むと、ヨーロッパの歌劇場で、金髪の歌舞伎が上演されたりするんじゃないですか。この事は歌舞伎界の方々にとって自明のことであるかと思いますので、そういうことは起こらないでしょう。
では現在の日本のクラシック音楽界はどうでしょう。金髪歌舞伎状態ではないですか。私はこの状態に突入していると思います。もう少し例を挙げましょう。世襲制を守りながら一般庶民に拡げたものに華道と茶道があります。これらの方が音楽には近いですね。それは一般庶民に拡めるときに特に女性への子女教育、情操教育として用いた事にあります。明治になって、武家のたしなみとして継承されていたものが裕福な一般市民に普及し戦後はもっと庶民化をし沢山の流派ができて、ある意味で乱立状態です。
この状態に近いのが、今の日本のオーケストラです。色々な流派(ウィーン、パリ、ベルリン、ジュリアード、芸大、桐朋等)で修行した人間の集合体として週替わりの指揮者の中で2日ぐらいの練習で創りあげたコンサートを聴かされているのが、現状ではないですか。あるところまでの流派の統一がきちんと無ければ単なる乱立状態の上で基盤の統一性に欠けてしまうわけです。簡単な例を挙げると、音楽上の倚音があった場合色々な宗派によってその弾き方が違います。ドミナント、トニカの関係もまた微妙に違いますし、シンコペーションの弾き方も微妙に違います。音程の合わせ方も、音楽語法上のアクセントの位置、例をあげたらきりがないこの統一はアンサンブル上の最低基準です。日本のオーケストラは昔に比べると良く弾けるようになりましたが、語法の一致、アンサンブルの最低条件の徹底ということでは、非常に遅れています。
要するに音楽上の語法が一定でない状況で毎週のように違った指揮者で違った音楽をやっても乱立状態のオーケストラを見易い指揮で合わすことだけを取り繕うコンサートの仕上げ方になってしまうのではないでしょうか。皆さん方が思うほどこのオーケストラ内の統一の部分音楽上の基礎語法の一致は簡単ではありませんので、先ずはオーケストラの改革として絶対にやらなければならない事です。それが出来る指揮者を探してじっくりと実行する事が重要ですよ。本当に見違える様になりますよ。さてこのような理想のアンサンブルを作った人は、カラヤン・ベルリンフィル、ベーム・ウィーンフィル、チェリビダッケ・ミュンヘン・フィル、ムラヴィンスキー・レニングラードフィル、オーマンデイ・フィラデルフィア管、理想の音楽語法を持っていた人がフルトヴェングラー、クライバーというわけです。現存の指揮者では殆んどいません。これはオーケストラ事務局と音楽事務所が原因でもあります。昔、ペトレンコが、学生の時私の教官室に来てよく理想のオーケストラについて、カラヤン、チェリビダッケの理論と練習の仕方についてよく話し合ったりしたものです。彼は必ずベルリンフィルをカラヤンの黄金時代と匹敵するかそれ以上のものを創り出すと思います。彼のここが他の指揮者よりも卓越したところだと想います。ベルリンフィルが彼を選んだ一番の理由でしょう。久しぶりに電話をしてみようと想います。
さっきの歌舞伎役者の話ですが、世襲制から生まれた揺るぎない基礎能力、ここが一般映画に出演しても他の俳優とは一段も二段も違うところです。同じ世襲制度に近い事を頑なに守っていたのがウィーンクラシック音楽界でしたが、今は非常に現代化され一部崩れかかっています。その修復もかねて『Wiener コアラの会』の発足です。
基本的な音楽語法の一致を形に示したのはチェリビダッケです。彼は当時経営難に陥っていたドイツ総合ランクで68位だったミュンヘン・フィルを僅か3年で、総合ランク3位まで持ち上げた人でした。行った事は、オーケストラ楽員の、基礎音楽語法の統一、音程訓練、文化知識感の改革、とにかくあらゆる芸術上の改革を徹底的に行いました。一回のコンサートに対しての練習時間は最低でも18時間、今の日本のオーケストラで考えられますか。出来ないと言って何もしないんじゃないですか。改造はここからですよ。
日本人の指揮者の皆さん、閉じられた国でお金稼ぎばかりしていないで、佐渡君のように、世界の檜舞台でお仕事しましょうよ。期待していますよ。


マスメディア、CD会社、放送局、音楽出版社の方々へ

先ずマスコミの方々へ

一番の問題点はあなた方の活動の消極化と実際の記事の真表性、それに事実報道なのか意見なのか、要は全て曖昧なところで物事が動いていて、実際に皆様方の仕事ぶり、意義を一般の人に理解を受けていない事です。クラシック音楽界の発展の為に世論を動かせるのはあなた達の行動如何だと思います。先ず一般大手マスメディアの中で、文化が人間社会をより良くする為にどれだけの要因であるか。とか文化啓蒙活動の奨励とか、やる気になれば幾らでもできる分野となり得ると思います。本来私がやろうとする事はあなた達の力で行うべきものなのです。儲けの仕事探しばかりに走らないで下さい。

ついでに、批評家の方々へ

現代の批評の大半は先ずは何でも良いこと探してそれから欠点を少しだけ探すなど、あたりきたりの評論が多い世の中、そんなにあなた方が評価している程、日本の演奏家は素晴らしいですか。PTAに責められている新米教師では無いのですから、もっと威厳を持って厳しく判断をして下さい。あなた方の軟弱な態度がクラシック音楽界を堕落させてしまった要因の一つでもある訳です。今のままでは、今後日本からサルツブルグ、バイロイトの音楽祭へ招聘される指揮者、演奏家なんてあり得ませんよ。でもあなた方の書かれた批評文を読むと素晴らしい演奏ばかりという事になってしまうのです。今や二流、三流の演奏会が日本で見られます。もう一度皆さん毎日音楽文化の勉強なさって日本のクラシック音楽界を牽引する文化人となって下さい。今や一般聴衆の中に批評家の方よりも文化見識に関して優れている方がいらっしゃいますよ。日本のクラシック音楽界は至るところ問題だらけですよね。

この批評家の方々へ提案です。
国選批評家という名で2年毎に厳選な試験の基で3人を選び出してあらゆるコンサートの批評を依頼する。彼等の報酬は1回の批評料が10万円、年間200回のコンサートをこなす事(年収2000万円)を義務とし、それをマスコミは、批評家からの依頼には100パーセントの全文掲載をする。こうすれば、国選批評家の記事はことごとく掲載されるしその批評も手厳しい本音の物となるであろう。とにかく国選でない場合は今までのように柔らかい批評を書いていれば良いのであります。報酬の額はあまりにも違うので皆さんこぞってこの職に就こうとすると思います。それにはクオリティが必要となりそれによる競争も起こるので、批評家の質全体の向上も図れると思います。私は13歳から65歳の現在まで、音楽の友、レコード藝術、音楽現代、音楽芸術(現在は廃刊)を欠かさずに日本から取り寄せて購読をしています。ですから批評の変化、日本の情報は場合によっては日本の人より正確に把握しているつもりです。

CD会社、放送局の方々へ

ネットによる安易な無料配信、放映の為に、メディアの世界ではある意味での無法地帯となっています。この事はCD会社、放送局の利益侵害にもなり、それ以上の問題点としてあまりにも自由に質の悪いソースが世界中に溢れており、聴衆の耳をも悪くしてしまっているのです。今や人はネットデジタル程度の音で慣れてしまいそれ以上のクオリティを求めなくなってしまっています。先ず何かの方法でこれに打ち勝つ方法を考えなければなりません。著作権法とか何かでこの状態を変えなければなりません。要は何でも簡単に無料で手に入る事を変えないとこれらの業界にとっては死活問題になってしまいます。また新しい再生技術、システムの発明も視野に入れて下さい。私も良案を考えて見ます。CD、オーディオファンの方もお考えください。
この著作権法ももう一度偏りのないクラシック音楽界発展の為に良い方向へと改革すべきだと思います。
趣味音楽鑑賞家、一般聴衆、音楽愛好家、アマチュア音楽家、CD愛好家、オーディオマニア、小さなアマチュア音楽会を企画なさる方
これまで長い間音楽の専門家とその候補生を中心に話を進めていましたが、ここから少しここに掲げた方達へのお願いについてお話しします。
実は皆様方が一番このクラシック界の発展の為の鍵を握っている方々だと思っています。
というのは、実際に音楽家の道に進んでしまっている方にとって、恐らく、彼らの中で新しい試みに関して気持ちを向けて変化させていくことは、容易では無いと思われます。ですから、皆様方が第三者の立場からより良い方向に導いて頂けないかという事です。私も趣味が講じて音楽を専門とする職業音楽家に成ってしまいましたが、職業とした者には何らかの簡単にはいかない問題がある様です。そこで、このわだかまりの無い方々に、この音楽家達に対して率直な意見、御鞭撻を思った通りに伝えて欲しいのです。但し無記名でなく、記名、職名付きで。そしてまた専門家より詳しく勉強なさって欲しいのです。その交流の場所として、wienerコアラの会を活用して頂きたいのです。まだまだ構想中ですが、会員は音楽家から、聴衆者まで、年齢職業に関係なく募集をし、交流が出来る様にするつもりです。ですから単なるファンの集いの様な事にならない様にと思っています。むしろ世間知らずの音楽家が色々交流を通じて社会勉強が出来たり、要するに彼等に沢山の影響を与えて文化人にして欲しいのです。ですから会員同士では原則としてお互い交流拒否が出来ないようにするつもりです。
ここでの交流が本当にこれからのクラシック界改革の原点になる事を望みます。趣味人(びと)こそ、本当にこの文化の鍵を握っているのです。

ここで各々の趣味人の方々へ個別なお願い

  1. 趣味音楽鑑賞家の方々へ
    鑑賞団体のブログ等を拝見すると音楽家に対して非常に美辞麗句が多く、あれでは音楽家の成長には何の意味もありません。何も非難だけをしろという訳ではありませんが、もっと音楽家の成長を考えた上での批評を正確に相手の音楽家に伝えて欲しいのです。よくTwitterに載っている様なものではなくて。最近プロの批評家達の手ぬるい事、此れが今の日本の音楽家を堕落、二、三流にしてしまった原因でもあるんですよね。政治形態といい、教育現場といい、現代のクラシック音楽界といいみんな同じ問題から始まっていると思われます。
    本当に重要な部分なんです、宜しく。とはいうものの皆様方のご尽力が一番大事なのです。
    あとはご自分なりの音楽評論日記をつけて欲しい事。そして半年毎にあなたの選んだ生涯一番のCD名盤一枚選んで下さい。この結果をこちらに送って下さい。締切は12月31日と6月20日(私の誕生日)です。いつも同じものを選んでも違うものを選んでも結構です。全会員の結果が判ったら大変興味深いと思います。是非実行なさって下さい。

  2. 一般聴衆の方々へ
    1. で挙げた、先ずは生涯ー枚名盤の選択、そして聴いた演奏会を、“大感動”、“中感動”、“小感動”、“×”、の評価を考えてこちらに送って下さい。これは聴衆による演奏家、音楽会評価として、後述するこの会が発行する「新基軸の演奏家情報名刺」(経歴と最新の演奏のDVD)という、世界中の有りとあらゆる音楽団体、音楽マネージャー、その他に送られるものの中での聴衆評価となります。要は食べログのクラシック音楽版です。とても厳しいものです。世界的普及を目指すつもりでおります。
    ですから私は、聴衆の皆様がこの世界をより良くする要素であると信じるのです。この評価に意味がある様にするには、一般聴衆の質も向上させなければなりません。そのために聴衆の皆様も勉強なさって下さい。それを勉強できる機関もこれから作ろうと思っています。ご期待ください。さて、亡くなった指揮者のカール・ベーム氏は、日本の聴衆が世界一であると絶賛してしていましたが、本当にそうある為には、文化とはそこに居合わせるものすべてに影響を及ぼす力のある事であり、それには一人一人の頭脳の中で出来上がる各々の現象、此れが即ち文化の力の産物であるということを再確認しなくてはなりません。これからは、過去のウィーン人が伝統の名の下に受け継いで行ったクラシック文化を、日本においても日本独自のものではなく、正統的な伝統文化が繁栄する場所として形成しようではありませんか。

  3. 音楽愛好家の方々へ
    1.、2.、の項で言った事は言うに及ばず、皆様方は特に音楽が好きで好きでたまらないとい方々で、私もこの部類に入る思います。CD、DVD、レコード、楽譜、録音等予算の続く限り集め続け、要するに収集癖なのです。沢山所有している事とそれを自慢する事と知ったか振りをする事がしたくてしたくてしようがない人、クラシックファンの男性にに多いですね。(クラヲタ)

    ちなみに私事(自慢話)ですが、私の音楽関連の所有物は、
    CD 約15000枚、オペラDVD 約300枚、レコード 約12000枚、中学1年の時より始めたFM Air Check(現在も続いている)カセットテープ 約80000本、オープンリールテープ 約1000本、2012年よりmp3にて録音 約100TB、オーストリア放送、ラジオシュテファン、バイエルン4、NHK-FM、New York、BostonのFM局のクラシック番組をまだ毎日録音をしています。音楽楽書 約1000冊、オーケストラのスコア 約7000冊。私の家は倉庫のようなものです。
    どうですか。本当に度を越えているでしょう。

    この私と同類の方々も非常に大事な人材です。何故ならば私を含めて彼等は大抵しぶとく、根気強い。彼等にこの聴衆、愛好家の人達とうまく交流し合えば、この聴衆団体は、物凄く大きな存在となるでしょう。但しもっと正しい知識を付けて欲しいですね。

  4. アマチュア音楽家の方々
    この方々は大変多くて、元来音大を卒業したにも関わらず、訳あってアマチュア音楽家になってしまった方、過去現在部活やアマチュア団体に所属している方、個人演奏家、オーケストラ、吹奏楽団、合唱団、オペラグループ、その他アンサンブル。とにかく日本のアマチュア音楽活動は世界一です。
    さあ、この方々にも私はもう一度世界に羽ばたく音楽芸術家と同じアプローチをして頂きたいのです。別に演奏家になる事だけではありません。何か、クラシック音楽文化持続の為の努力をして頂きたいのです。アマチュアの方から凄い研究者が出たり、プロの人達がタジタジになってしまうほどの知識や演奏能力があったり、文化人はここからも生まれるチャンスがある訳です。

  5. オーディオマニアの方
    えてして職業音楽家の人達はオーディオ関連の事に疎く、その程度の知識でネット配信をしたり録音をしたりしています。こういう人達にオーディオに於ける可能性や、素晴らしいオーディオ装置で聞いた時の演奏の印象の違いを教えてあげて欲しいのです。良いオーディオ装置で聴く音の良さを何とか伝えて欲しいのです。

  6. 小さなアマチュア音楽会を企画なさる方、その演奏会を聴いたり支援をなさる方々へ
    皆様方の啓蒙的活動、特に若い音楽家の為なかなか簡単に出来ないコンサートの企画運営をなさっている方に、敬意を評します。但し非常に注意をして欲しいのです。と言うのはこの演奏会に出演させて頂いている者がなかなか味を占め、何回も同じ様なコンサートをして発展性が無い、というような事をよく聞きます。特に女性では他にコンサートの可能性も無くこういうコンサートを何回かやっているうちに自分の限界を感じ、その先の研鑽をやめ、次の生活保護者(結婚)を見つけた後その安定感の中で小さなコンサートを続けている、という事をよく目にします。若手を本当に育てるおつもりならば、あまり安易に演奏会を与えないで下さい。結構これは日本の音楽界発展に反する事になりかねないと思います。特に若い女の子には、年配の方が優しく手を差し伸べてしまう傾向があります。音楽界発展の為に厳しくご指導下さい。お願いします。

何度も言うようですが、このジャンルの方々の御理解がこの改革の是非を左右します。


再度 音楽家の生活について

最後にもう一度音楽家の生活のことを色々と考えてみましょう。私が今一番提案したい事ですが、前にも言いましたように、音楽家が勉強する為に親は1500万から2500万円のお金をあなたにつぎ込んでいます。このお金をどれだけの人が自分の人生のうちに返せるでしょうか。99%の人は無理だと私は思います。私自身もそのお金の全てを親に返すことができませんでした。これを踏み倒さずにお金を出していただいた両親のことも考え、自分の将来のことも、また自分の子孫のためのことも考え、どういう風に生活生計を成り立てていくかと言うことのお話をしましょう。
これはいくつかの問題を分けて考えなければいけないと思います。まず音楽家を目指すほとんどの学生、95%以上の人は、要するに裕福な家ですくすくとに育っていたんです。ですから親はそれをまるで苦労のないように見せかけて心配をさせずにあなた方にお金をつぎ込んで行ったんですね。

音楽家年金について

さあこれがどこまで続くか続かないか、場合よってはその途中で皆さんが、音楽を研鑽する事を断念するとします。それをいとも簡単に続けるためには女性であれば同じように裕福な人との結婚をして経済的な助けを受ける手があります。これによって続けている方はだいたい半分以上じゃないですか。あとの方は何かの方法で音楽家の仕事をしながら生きています。さぁどうしましょうかね。
私はまず皆さん方の将来、老後の事を考えてみました。年金の事です。私はヨーロッパにいて、良い年金のシステムがあるため、そのおかげで生きるにほとんど困らない年金をいただいています。それに引き換え日本の場合ではどうでしょうか。今皆さん方音楽家の入れる年金と言うと国民年金ですよね。国民年金は毎月に1万6000円程度それを40年払い続けた場合そうすると60歳までにそれを完了し65歳から月々50,000円程度のお金が出るんですが、これもこのまま何年か経つと、満額出るかどうか判りません。それでは今のままでいった場合に月々50000円の年金で生活のできる人はどのくらいいるでしょうか。誰もいないと思います。国民年金はこれに補う形の国民年金基金という余計に積み立てる方法がありますが、自営業の人用で音楽家にはあまり実用的ではないと思います。普通のサラリーマンの方は厚生年金と退職金受け取ると言うのが現状のようですね。音楽家の中でもオーケストラの団員、大学の先生達は、一般のサラリーマンの方と同じ年金のシステムが適用されます。
平均で厚生年金の場合で平均で月15万円程度、納金負担は給料全体の約18%を雇い主と個人が半分づつ負担です。これ以外今のところ音楽家にあった年金はありません。自営業の方々が加入する年金はありますが、月毎の同額の掛け金は音楽家にとっては負担が大きいと思います。
そこで私が今考えた年金は、個人的なiDeCoの応用型で、年金の積立方法は、演奏会の出演料の一部を積み立てるという方法です。
例ですが、
出演料が 3万円以下なら 2000円
     5万円まで   5000円
     10万円まで  10000円
     20万円まで  20000円
     30万円まで  30000円
     50万円まで  50000円
     50万円以上  70000円
を一回毎に納める。
年金なので原則として65歳まで交付されない。
家庭の不幸等不慮の事故の場合に限り、金利なしで払い戻しが出来る。
大体の目安として25歳から65歳まで40年間で普通に演奏活動をしていたら約1500万円位になる計算である。これを一括で貰うか、月15万円を100ヶ月、国民年金と共に貰うかである。これは単純計算なのでこれに資産運用やその他諸々の特典がつくと思われるので決して損はしないと思います。また本人死亡の場合は遺族に直ぐに現金が届くようなシステムとしようと思っています。かなり現実感を持って実現できると思います。ちなみにこの業務の代行は音楽事務所と大手保険会社に委託する予定でいます。


この文章を書いた理由

ここに掲げた全部、色々なジャンルの方々を含めて皆様方に、10年15年先のクラシック音楽界の将来を考えて頂きたくこの文章を作りました。私はこの考え方を理解し実行、共有できる方々とともに音楽人生を送っていきたいと思っています。
音楽を専門的に勉強をし始めた方、音楽大学に既に在籍している方、現在海外に留学されている方、大学卒業後日本の中で音楽活動始めている方、既にプロの音楽家として日本の音楽団体に所属をしてその中で活動している方(これはフリーで音楽事務所に所属している方も含みます。)、そしてその音楽事務所に従事なさっている方、交響楽団を始めとする音楽団体に従事なさっている方、公文協を含めた日本のホール、その他音楽図書館等で働いている方、音楽大学高校で教えていらっしゃる方、一般の小中高校で専科で音楽を教えている方、音楽教室の講師先生、個人で教えていらっしゃる方、これに加え一番話を聞いて頂きたい聴衆の方、ファンの方、音楽趣味の気狂いな人、アマチュア音楽家、音楽ジャーナリストの方、音楽雑誌等の編集者の方、音楽書籍の出版社の方、また放送局を始めとするマスメディアの方、CD、DVDの制作に携わっている方、違うジャンルにいてクラシック音楽を使ってお金儲けをしようとする方、クラシック音楽界に昔の大富豪のように多額の寄付をしようとする方、このようなたくさんの人達によって現在の日本のクラシック音楽界は(まぁ世界的にも同じですが)、成り立っているのです。この方々一人一人に1日に15分だけ10年後15年後のクラシック音楽界のあるべき姿を考える時間を作っていただきたいのです。また研鑽と言う意味では音楽に携わっている方は最低1日3時間精進して頂きたいのです。私はこの事を行おうとする方々、協力者たちと、私のこれからの人生のパートナーとして交流を持ちたいと思っています。ご協力ください。
さてもう一つお願いは、私の考えを皆様方の手で沢山の方々に伝えていただき、仲間を増やして頂きたいのです。とにかく拡散のお手伝いをお願いしたいのです。それに加え、私と同じように第一線をリタイアなされた方にも同じように色々考え、沢山意見をして御尽力頂きたいのです。

これらのことを賛同できる方々を新たに集めて、その方達と一緒に私の掲げたいろいろな音楽活動をしていきたいと思います。まずはそのためのホームページのようなものを作って、そこに参加してご理解いただける方々を集め、その方々には私はどんな努力も惜しまずに私のあらゆる知識を提供しようと思っています。とにかく今年の6月末頃にはこのシステムを作り上げようと思っています。まずは日本の方から次にウィーンを中心に全ヨーロッパの方々、そしてアメリカの方々最後に韓国中国を含むアジアの方々と南米の方々にこの考えを広めて世界的になものとしていこうと思っています。この会の名称は私のあだ名であるコアラから、『Wiener コアラの会』としたいのです。1年から2年後には世界中に広まるように何とかその輪を広げるつもりです。広がる上で私1人では何もできないので、そういうことお手伝いしていただく人も必要です。どうぞ宜しく。

皆様方へのお願い

何度も繰り返す様ですが、毎日15分、10年後のクラシック音楽界のビジョンというものを考える時間を皆様ご自身で作って頂きたい。この中から新たな良きアイデアが生まれる様な気がします。その際は御一報下さい。

そうそう大事な事を言い忘れていました。それは、音楽家の第一モットーは、常にたくさんの方々へ夢を提供する事です。仕事に疲れた後、それでもコンサートへ足を運んで下さった方へ心の癒しと、ほんのちょっと現実から離れ、幸福になる時間を提供し、音楽文化の偉大さを共有する時間を持つ事です。この事を毎回絶対に裏切らないクオリティーが必要なのです。とにかく我々は夢を与える事を忘れてはいかんのです。
最後の最後に65歳の自分の誕生日にこんな文章をお披露目できることはたいへん光栄に思います。
長々とお付き合いいただいて誠に有難うございました。


『Wiener コアラの会』 立ち上げについて

 私の今までお話いていた事を実行に移す為の機関として『Wiener コアラの会』を立ち上げようと思います。日本とウィーンほぼ同時に8月中旬を目処に始めようと準備をしています。先ずは専用Webサイトを作成し、そこでのやり取りを中心に情報交換をしながら、会の運営をしていこうと思っています。会員制を採り、会員内で活動交流は自由とし、ウィーンを中心としたクラシック音楽の発展を目指す団体としての活動がメインとなります。是非ご参加下さい。

申し込み方法:

Webサイト上の申し込み書に記入をして、所定の方法で会費を納めて頂くと直ちにWebサイト使用許可が下り活動が開始できます。

世界共通の音楽家名刺とは

最後にここで皆様方に提案です。特に演奏活動に従事されている方、音楽教育者、音楽家候補生、音大生の方に向けて、簡潔に必要事項だけを記載した世界共通の履歴書(音楽家名刺)を作ろうと考えています。現存する履歴書、ビデオ等は、あまりにも規格が違いすぎるため、音楽事務所、オーケストラ等現在の雇い主側が欲しい情報としては不充分です。音楽家にとって必要な部分の情報が少ない割に、自分を聴衆に売り込もうとする広告宣伝部分が多すぎて、あまり専門的には通用しません。この規格がある程度一定であれば、仕事を提供したり人材を探すのに、より有効な判断材料となるでしょう。企画側も正しい判断で適切な人材を探す事ができると思います。これによって埋もれた才能を探そうということです。さあ皆さん、世界にはばたくチャンスですよ。とにかくまずは世界的に普及させる事です。内容はまだ思案中ではありますが、だいたい下記のようになると思います。音楽家以外の方も出来るだけこの世界共通音楽家名刺にご参加下さい。

世界共通音楽家名刺

  • 同じ内容のもので母国語版と英語版を作る。

  • 職業選択欄として、
    一般音楽家でフリー、または所属機関のある方(音楽事務所、オーケストラ等の団体)
    教育関係の方
    音楽関係の仕事に従事されている方
    音楽一般愛好家、音楽を趣味に持っている方
    有能な若手音楽家の個人マネージャー志望の方
    音楽へのスポンサー、またその希望者
    音楽家志望の学生、音大生、卒業生
    アマチュア音楽サークルに参加している方等
    過去にウィーン留学、居住経験者
    ウィーン愛好家

  • 演奏投稿欄

  • VideoかAudioを15分間掲載(YouTubeのURLを貼り付け)、最初の3分は必ずモーツァルトを録音する(音楽スタイル確認の為)。その後12分間の構成は各自判断。

  • 写真は5枚まで掲載可

  • 履歴書の部分は必要事項を枠内に記入。ダラダラとした文章形式はとらない。記入項目は約50箇所。非常に綿密に記入。記入拒否項目もOK、明らかな虚偽が発覚した場合は、直ちに掲載から外される。全てが信用の下で行なわれる。過去の演奏動画や写真、現存の履歴等の添付は可能。

  • 記入項目例:
    [全員に]
    名前、性別、生年月日、専攻楽器名
    身長、体重
    現在の職業(出来るだけ詳しく)、所属団体
    過去5年間の職業
    最終学歴
    可能言語 ABCでランクを添えて
    自己紹介   400字くらいまで
    自己アピール 400字くらいまで
    性格自己判断

    [音楽家関係の方]
    今現在、自分の得意な曲を5曲(この内の1曲を音源に提出すると良い)
    レパートリー表(歌手の場合、オペラ名と役柄名を記入、公演経験の有無を必ず記入) 500曲以内
    一日の平均練習時間
    ウィーン留学経験者へ

    『Wiener コアラの会』ですので
    過去ウィーンでの滞在期間、目的
    過去ウィーンでの演奏会記録
    過去ウィーン留学の場合、専攻科目、留学期間、師事した教授名、Diplomの有無、当時交流のあった学友の名前、出来るだけ多く

    [全員に]
    現在興味のある作曲家 3人
    現在興味のある演奏家 3人
    あなたをこの会へ推薦した方

    [音楽家、学生へ]
    1日の平均練習時間
    過去3年間の演奏会内容(所属団体も含めて)出来るだけ詳しく、これから3年間の本番予定内容(所属団体も含めて)正確に
    今後の自身のコンサートに対する展望、クラシック音楽界に対する要望(詳しく)
    コンクール入賞歴 3つまで
    出身校 3校まで、専攻科目、師事教師名 3人まで、
    本人の尊敬する音楽家(故人を含めて) 3人まで
    自分の活動したい地域 日本(地域的),日本全国、ヨーロッパ、全世界
    自分の活動したい分野、現在の所属団体、連絡先
    自身で出版した書物、録音したCD、DVD

    [全員に]
    深い交流のある音楽家 5人
    湯浅氏との関係 師弟関係、友人関係、知人関係、他人を通して関係、名前程度、未だ無関係
    自分の判断で、生で聴いた名演奏 3つまで、CD、ヴィデオ、放送等での名演奏 3つまで、感銘を受けた音楽書 3冊、感銘を受けたその他一般書物 3冊まで
    音楽以外の趣味 3つまで、CDの所有数、音楽以外での得意分野

  • 掲載内容は随時変更可能

  • 原則としてこの音楽家名刺はコアラの会メンバー同士のみ閲覧可能です。お互いの信用関係の下で公開をする。また本人の希望で本人情報を送って貰いたい団体が有れば可能な限りコアラの会より送ります。

  • また記入箇所については義務では無く自由ですので出来る限り記入して頂ければ結構です。ただ、虚偽の記入だけはおやめ下さい。お互いの信頼関係を壊すことになりますので。

『Wiener コアラの会』

  • 運営:私と、私の身体の不自由を手助けしてくれてドイツ語、英語、日本語が堪能でありコンピューターに詳しい音楽家である人、独語圏担当、英語圏担当の協力者の基本4人で運営し、活動内容によって人員を増加する。

  • オーストリアでVerein、非営利団体で承認済み(ヨーロッパでの活動権確保)

  • Vereinの役員(原案)
    湯浅勇治 『Wiener コアラの会』会長
    ミヒャエル・シュナイダー 副会長(ウィーン国立音大指揮科助教授)
    月尾摩美 事務局長 日本語、独語、英語、事務局全般担当
    モーリッツ・ラウラー 書記、ドイツ語圏担当
    ゲオルグ・ゾンライトナー 会計、ウィーン音楽家担当(ウィーン交響楽団)
    メイスン・ルーベルト 英語圏担当
    ペーター・ベヒーニエ 会計監査(税理士)
    で構成される。

  • 運営費用:会員からの年会費、賛同して下さる大口賛助会員からの助成金によって運営しますが、最初に思ったよりもお金がかかるという事が解り、とにかく、お金を集めなければならないことを理解しました。年会費は上限が無いので、いくらでも寄付の形でご援助を頂ければと思います。
    運営費使用途;人件費、事務所維持費、通信費、コンタクトに必要な経費等

  • 会員募集:

    1、音楽家、音楽学生であり、『Wiener コアラの会』の主旨に賛同できる方。申し込み後世界的音楽家名刺を作って頂きます。
    2、『Wiener コアラの会』主催の催しに参加したい方。
    3、音楽家ではないが、『Wiener コアラの会』の主旨に賛同して主催の催しに参加したい方。
    4、現在、過去に問わずウィーンで音楽の勉強をなさった事のある方(ウィーン同窓会部)。
    5、現在指揮者か、指揮科学生か、将来指揮者を目指している方(国際指揮者部)。
    6、過去にウィーンに住んだり、行ったり、とにかくウィーンの街が大好きな方(ウィーン愛好部)。
    とこれらの方々を募っています。

  • 正会員:音楽家名刺の掲載料含み、1年間1口EUR60〜(1ヶ月あたりEUR5、美味しいコーヒ一1杯分) 、何口でも結構なので、お支払いいただきます。だいたいEUR60は日本円で7,500円位になります。
    こんな少額から会費を集めようとした理由は、長い間会員になって頂きたいため、また、学生の特に若い方、これからクラシック音楽界を背負っていける可能性のある方々に参加して頂きたいからです。また、私の学生時代の経験から、特に東欧圏からの方々のために、西側の貨幣、ユーロで会費を払うことがあまり負担にならない様にと考えました。とにかく出来る限り世界中から会員を集めたいのです。

  • 団体会員:2人以上のグループでの参加を希望なさる方は、まず一人ずつ申し込みをして頂き、その後に団体用の音楽家名刺を作って頂き登録して頂きます。

  • 大口会員:大口に助成をなさって頂ける方。

  • 特別会員:会員で『コアラの会』の発展の為に会員増加に貢献なされた方、新会員の推薦人として、100人以上の新規会員募集に貢献した方を特別会員とする。入会時に必ず推薦人を記入します。

  • Yujiの友:私(湯浅勇治)と過去交流のあった方、とにかく何はともあれ、私に助成、賛同して協力をしてくださる方。

  • 会費とは別に、一年に何度でもいくらでも寄付として御助成頂ければ幸いです。

  • 世界のクラシック音楽界の発展の為に『Wiener コアラの会』へのご参加、ご意見とご尽力をあらゆる分野の方からお待ちしています。いい加減にネット上で批判したり邪魔をしたりする人を防止する意味でも、少ない金額ですけれども会費を徴集して真面目にこの事に取り組んで頂ける人と交流をしたいと思っています。

  • 『Wiener コアラの会』への申し込み方法
    ネット上で申し込み用紙を記入をして会費1口60ユーロ(何口でも可)を所定の方法で送金して頂ければ完了です。入会後世界共通音楽家名刺を作って頂きます。これは何度も変更が可能ですから最初から完璧に作成する必要はありません。

  • 『Wiener コアラの会』の旗揚げは、この会の主旨の一つ、年金の事にちなんで、6月20日、私の65歳の誕生日、日本の私の国民年金の受給開始日としたいと思っていますが、どうもVereinの設立申請に時間がかかっているので、実際には8月中のスタートになりそうです。

最後にもう一度、この文章を読んで怒りを覚えた方もいられると思いますが、誹謗中傷の為に書いた訳では決してなく、日頃からの歯に絹を着せない口調で書いた文章なのでお許しください。私の意見は忠実に書いたつもりです。御熟考下さい。
また再三再四のお願いですが、今まで現役で活躍されてリタイアされた方のお力が必要なのです。この先細りにある前途多難な日本の、いや世界のクラシック音楽界、発展の為には皆様方の頭脳、ノウハウが必要です。また、若い音楽家を目指す方には、必ず生涯音楽家で居る事を決心して頂きたいのです。
あとはこの文章を多くの方に読んで頂きたいので有りとあらゆる方法で出来るだけ拡散をお願いします。

2021年6月20日 ウィーンの自宅にて
  湯浅勇治


追記

最後に余談になりますが、私は一年半ほど前までは、PCゲーム「指揮者への道」作りに心血を注いでおりました。このクラシック音楽界の事を考える様になってからその方面の活動は一切休止しています。早くこちらのめどをつけ、またゲーム制作をしたいと思います。完成の暁には、発売できるかもしれません。その時は是非ご購入の上お試し下さい。これによっては、お金儲けをしたいと思っています。どうぞ宜しく。
私は貧乏人の為活動資金がありません。0からのスタートです。その為にクラウドファウンデングのお世話にもなるかと思います。募集は会設立から先ずは2か月間を予定しています。
この文章では日本の事ばかりを書いてしまいましたが、私のもう一つの狙いに、音楽文化継承を、音楽の都、ウィーンより広めたいという気持ちがあります。その為にこの会の名前を、『Wiener コアラの会』といたしました。
この会の会員募集に次の方々もお誘いしたいのです。

1、音楽を通じて、ウィーンを愛している人
2、ウィーンへ行った事のある人、これから行きたいと思っている人
3、ウィーンに住んでいる人、過去に住んでいた人
4、ウィーンで音楽の勉強をした人(大学、音楽学校、個人レッスン、短期間セミナーを問わず)
5、ウィーンで演奏をした事のある人
6、なによりもウィーンの職業音楽家の方々

この方々も仲間に入って頂き、ウィーン人との交流、世界的にウィーンを愛する人々へと輪を広げたいと思っています。会員の方々同士の交流が目に浮かぶ様ですね。
最後の文章は一部重複していますが、とても大事であるという事です。


追記の追記

ウィーンに於ける『Wiener コアラの会』の設立準備手続きをしている状態で、準備でき次第この文章を皆様方に読んで頂きたいと、結局旗上げがどんどん遅れてしまいましたが、丁度この間に皆様にお伝えしたい事が出来ました。

あるテレビ番組について

まず、先日TV番組で指揮者の皆さんの座談会で将来のクラシック音楽界の事についての話がありました。あのような場を作った事にはたいへん意義があると思いましたが、お話の内容等は残念ながら確信には触れていなかったと思います。その中ではO氏の発言には学びうるところがあった様に思います。皆さん現立場上での意見で、将来の職業音楽家の事を考えた発言が多かったように想います。私はもっともっと事は深刻になると思いますけれど、少なくとも、現在の職業音楽家だけの事ではなく、音楽に関わる人全体に提唱する様な事をこの立場の人がすべきではないでしょうか。次回があるならば、もっと突っ込んだ話をすべきだと思います。皆さんこのままクラシック音楽は続いて行けるという前提で話をしていましたが全然危機感がないですね。文化は放っていても自然と続くものではありません。ちゃんと見ていないとあらぬ方向へ行ってしまうと思います。考え方がちょっと甘かったと思います。何かコロナ禍を理由に規模の小さいあまり意味のないイベントが至る所で開催されている様ですが、関係者の方々はもう少し先を見据えて実行なさって下さい。敢えてどの団体がとは申しませんが。

ある哲学者について

この間一人良い事を提唱している哲学者がいらっしゃました。あるインタビューを見たのですが、マルクス・ガブリエル氏といって、倫理道徳資本主義を唱えていらっしゃいます。将来の政治、経済の在り方を説いた方で、現在では世界有数企業のアドバイザーをなさっていらっしゃいます。要はただ金儲けばかりをせずに倫理感、道徳感を踏まえて資本主義社会を構築すべきだと言っています。この方の経済的理念にのって、クラシック音楽界の将来を考えることは非常に興味深い事です。彼の偉業はここに書きませんので皆様方ご自分でお読み下さい。何度も何度も言う様ですが、ありとあらゆるジャンルの音楽関係の方々の一人一人の努力がない限りこの世界の10年、20年後は考えられません。今がチャンスです。伝統の継続と新しい探究、それに一人一人の向上心、日本から本場ヨーロッパに沢山の世界に通用する音楽家を送り出しましょう。その為の『Wiener コアラの会』なのです。

日本へ帰国した留学生

また、ついこの前こんな事がありました。私の側でウィーン留学をしていた子が日本へ帰国して2年が経ちました。残念ながらもうウィーン時代に習った事の7割ぐらい忘れてしまって日本仕様の音楽になってしまっていたのです。ウィーン留学は殆ど意味をなさないという訳です。残念です。これくらい環境によって左右されてしまうのです。

資金について

最近近しい方にこの会を立ち上げるのにどの位に資金があるの、と聞かれ全くのゼロから始めると言ったら信じられないと言われました。私は実力と信念を持ち続ける事が輪を広げたり理解者を増やす事だと信じています。この信念を一生続けるつもりで居ます。この事が私のクラシック音楽界から得た財産への恩返しだと思っています。

ペトレンコについて

先日、ペトレンコが、最後のバイエルン歌劇場の仕事のシリーズとしてサロメを指揮し、私は健康上の都合で行かれなかったのですが、弟子の平塚が観て参りました。その感動を一生懸命私に伝えようとした時、彼は、ペトレンコが日頃私がレッスン中に言っている事と同じ様にそのまま指揮をして(オペラを指揮をする時は、右手でオーケストラ、左手で歌手を指揮をしてコントロールをする。歌手へのアインザッツは出来うる限り全てを行い、100パーセント歌手をコントロールする。これはオペラを指揮する際の基本中の基本であると私は自分の生徒全員に教えているのですが)それを確実にこなしオペラ全体を手中に納めていて、こんな完璧な指揮者と公演は見た事がないと言っておりました。ペトレンコはとにかく基本を外す事のない指揮者で、平塚は自分の今までの日本での勉強の曖昧さを反省をし、新たに世界的な指揮者になろうと私に誓いを立てました。私にとっては弟子が弟子に多大な影響を与えたと言う事で教師冥利に尽きるという事を味わらせて頂きました。
実はこれは環境と伝統と勤勉さが成せる技だと思います。今の日本ではこの様な環境が色々な面で揃わないと思います。こういう環境作りをしましょう。そしてクラシック音楽界の発展に導いて行きましょう。最後に私の日本の弟子の方々へ、私は本来なら、弟子の方々に今回私がやろうとしているような仕事を率先してやって欲しかったのですが、皆殆どが音楽を理想と現実との天秤にかけて、日本では現実の中でどう活動するかという選択肢をとった者が多い様です。結果として生きるに精一杯で他人に夢を売るなど殆どが出来ていない状態です。この中で成功をした者は20年前からあるやり方をして既存の音楽事務所に認めてもらってそこから仕事を頂くという形を続けています。これをこのままいくら続けても体制は絶対に変わらないし、この事は音楽界全般に言えます。

弟子の皆様方へ

弟子の皆様方も30代、40代、50代と人生で一番活動せねばならない時にたいした大望もせずにこれから後の人生同じ様に過ごすのですか。同じ方法をやっても体制は変わりませんよ。それでも現実の状態を維持する事を選ぶのですか。私の弟子であるのなら死ぬまで理想を忘れず追い続けるべきです。この事は、日本音楽界全体に言える事です。今が改革をするチャンスなのです。皆様方の即日からの行動力に期待します。音楽家は一般の方に夢を売れなければ市民権は永久に無いのです。

私の本音

Verein『Wiener コアラの会』のオーストリアに於ける認可待ちで、それまではこの文章を公にしないつもりですので、待っている間に皆様方にもう一つお話しておこうと思います。
それは私の本音です。
私は日本に於ける問題をあからさまに書きましたが、実はこの問題は、ウィーンでも世界でも同じなのです。音楽界を牛耳っているマネージャーとそれに加担をしている人により犯されていて、伝統も伝授もあったもんじゃない。とにかく今のクラシック音楽経営者陣はあってはならない方向にクラシック音楽業界全体を導いています。ウィーンでさえそうですよ。国立歌劇場、ウィーンフィル、ウィーン芸術週間、ウィーン音大、これにザルツブルグを始め殆どの音楽祭、歌劇場、オーケストラでこの問題が起こっています。これを良い状態にするには、今の経営陣を刷新するか、考え方を昔ながらの方向に戻すしか無いのです。彼等は経営のノウハウはよく知っていても芸術、伝統は二の次、とにかく採算第一、それにあわよくば余裕があれば文化、芸術の事を考えると言った感じなんです。

2021年のザルツブルク音楽祭

今週の始めにザルツブルグ音楽祭で100周年記念の公演としてモーツァルトのドンジョヴァンニの公演がありました。はっきり言いますともう世も末ですね。クラシック音楽界の牽引者であるべきのザルツブルグ音楽祭でこの様な公演を当たり前の様にやられたら、本当に末期症状としかいえません。演出、演奏共にクラシック音楽界250年の歴史を一瞬でぶち壊してしまう程の酷さです。時代考証全く無し、演出家と指揮者による自己満足の世界、オーケストラの汚い音、モラル、道徳、文化何も感じる事は出来ませんでした。30年前のカラヤン、ベームの時代にザルツブルグの音楽祭を観る事が出来た私は幸せ者でした。この公演を最初に観た方は二度と高いお金を払ってサルツブルグには行かないと思うでしょう。皆様方も是非ご覧下さい。皆様方の現在の文化度を自己判断するのに良い材料だと思います。
この様にヨーロッパ全体の8割以上の職業音楽家は、音楽界を牛耳っているマネージャーとそれに加担をしている人間達の下でだいぶ理想の形とは変わってしまった音楽をやっているという現状の部分もあるわけです。

日本で『Wiener コアラの会』を立ち上げる意味

この様な事情の打開策として『Wiener コアラの会』を立ち上げようとしているのですが、私の一番の狙いは、この運動を日本より始める事です。というのは、過去どの時代も、クラシック音楽に限らずどのジャンルにおいても、ヨーロッパ、アメリカが中心で、日本、アジアがそれを追うという考えなのです。どうせ日本人、アジア人には文化など解るわけがない。とぐらいにしか考えていません。ウィーン、ヨーロッパでは自国のクラシック人口が大幅に減少しているのです。ですから国家の援助も大きく減少しているのが実態です。ちょっと頭のいいマネージャー達が彼等の利益ばかりを追う様に全体が動いていってしまうのです。
黄色い豚 という言葉をご存知ですか。これはヨーロッパ人から見たアジア人の事で要は奴隷の様に蔑んで使う言葉です。私はヨーロッパで何度も嫌な思いをしてきましたし、それと闘う意味でアジア人中心に指揮者コンクールに入賞させ、日本の斎藤小澤指揮テクニックをウィーン、ヨーロッパに拡めたりしました。一時期ヨーロッパで指揮のテクニックを習うならウィーンのユウジに習えとまで云われるようになりました。並大抵の努力ではなかなか出来るものでもありません。
要は、今日本に於いて、正しくクラシック音楽の文化、伝統を保存しつつ発展させる事を、今クラシック音楽に携わっている人達が将来の音楽界に対する理想的な運動として始めるならば、日本人の勤勉さ、国力を持ってすれば、次世代にはウィーン伝統の音楽を日本人の力で正しく伝統文化を受け継ぐ事ができ、クラシック音楽の歴史の中でその偉業(日本人の大きな参加と援助)が残り、単なるヨソモノで無くなり、ウィーン、ザルツブルグをはじめとする音楽祭へ音楽家を定期的に送る事というようなことも達成できると思います。これらの事を実現したく皆様方一人一人の援助と努力をお願いするものであります。単なる黄色い豚ではなく、ヨーロッパ人が稼ぐ為だけの日本ではなく、クラシック音楽界の伝統文化をヨーロッパ人よりも正しく伝えていく歴史上重要な役割として、日本の存在を刻みたいのです。それを始めるのに今が一番良いタイミングだと思います。


『Wiener コアラの会』の活動

残念ながらシステム上の事でもう少し時間がかかるそうで完成は9月中頃になるそうです。また出鼻をくじかれてしまいましたが、また開始まで時間ができましたので、『Wiener コアラの会』としての活動を幾つか考えてみました。

大前提

まず大変大事な事ですが、当会は非常に真面目な会でクラシック音楽界の将来の発展を最大の目的にしていますので、この目標に則った上での意見交換は大いに結構です。ただし、ネット上での誹謗中傷はもってのほかです。意見を載せる際は必ず実名で、反対意見などを言う場合にもその理由をはっきりと書いて頂きたいのです。とにかくどのジャンルの話でも議論は大いにでも結構です。月毎に討論をするテーマを決めてその意見を出し合う事やズームによる討論会などもゆくゆくは企画しようと思います。

実名発言

先だってNフィルの演奏会後に指揮者の事でTwitter上で、聴衆者、演奏家、それにその賛成者、反対者、楽団を含めたトラブルがあった様ですが、意見を交わすこと自体は大いに結構ですが、それを必要以上に他人へ広めたり実際の問題とはかけ離れた事で問題を大きくしてしまった様です。ですから私は意見をする方ははっきりと実名で自分の身分を証し責任を持って自分の言葉で意見を言って欲しいのです。これがこの『Wiener コアラの会』での掟です。入会の際に誓約書にサインして頂きます。

研究発表

次に皆様方の研究発表の場を作ろうと思います。子供騙しの様な物でなく歴史に残る様な出典を希望します。またこの機会に、ウィーンのクラシック音楽を知る上で忘れてはいけない名著、ハンス・スワロフスキー教授の指揮者の為の本(ウィーン音大指揮科でバイブル的存在の本で、これによって、アバド、メータ、ヤンソンス、ペトレンコ、(私)が育てられた。)の日本語版を『Wiener コアラの会』の企画の一つとして、来年中には出版致します。

寄付のお手伝い

また、特にご年配のクラシックファンの方でクラシック音楽界へ何らかの寄贈を考えている方へのお手伝いをします。(先ずは『Wiener コアラの会』へ寄付して頂けると嬉しいのですが(笑))
例:個人的なスポンサー、出版事業等、留学生の渡航費用 等

交換欄

また交換欄を設け、売りたし、買いたし、探し物、質問、困った事等の掲示をします。

音楽家紹介

海外、国内の市場への新しい方法での音楽家紹介。

とにかくいろいろな事の出来る団体作りをします。

オーストリアはなんと仕事や手続きが遅いのでしょう。何をするにも日本の10倍ほどの時間がかかります。計画がどんどん遅れます。イライラしない、イライラしないと毎日自分に言い聞かせておりますが今日はもう9月25日です。発表までもう少しお待ちください。

またまた次のアイディアが浮かびました。

文化遺産である音楽資料の保存について

たまたま昨年日本に帰国した際にネットオークションで中古のCDを多量に買ったのですが、最初は自分の自分の収集癖の為と、それから自分の指揮者の弟子の為にと考えていたのですが、量が多くなって約3900枚程になってしまい、自宅にも置ききれなくなって、これを地域の文化向上の為に使えないかと考え、千葉市の稲毛という町の中で地域にクラシック音楽を普及しようと頑張って私設の稲毛音楽堂という小さなホールでコンサートを催していらっしゃる吉岡さんという方にこのCDを寄贈し、地域の特にご年配の方、これからクラシック音楽に興味を持って貰えそうな小中高校生達のために、私設CD図書館を開設しようということになりました。題して『稲毛・ウィーン コアラの会 CD図書館』です。CDを地域住民の方に貸し出して、その返却時にCDケース中にその曲の演奏コメントを書き残すシステムにしようと思っています。(実は図書館の開設を次回来日時にすぐ実現するつもりでいたのですが、ついこの前集中豪雨(台風10号)で家に保管をしていたCDの一部が水に浸かってしまい急遽移転させたり大変でした。家の方も被害甚大で改築部分の茶の間、台所、風呂場、階段、物置部分が壊滅的です。その上母家部分の屋根総張り替えという事になってしまいました。こういった惨事にもめげずに私設CD図書館や『Wiener コアラの会』実現に向けて努力を続けるつもりでおりますので応援して下さい。お願いします。

私はこの事を考えているうちに、次の様な不安な気持ちに襲われてしまいました。私の死後私の膨大な音楽資料はどうなってしまうのだろうかと。何も遺言を残していなければ、適当にブックオフの様な中古量販店に二足三文の値段をつけられ後は処分されてしまうのではないかと。実際私が去年中古で購入したCDは、3900枚全部で150万円程でした。一枚あたり384円となります。
私が言いたいのは、その昔一生懸命にお金を貯めて買ったCDやレコード(当時2300円)が今やその1割5分の値段で買えてしまうのです。中古買い取り業者の価格ですと100円以下の価値にしかならないのです。同様にウィーンでも中古レコードが1枚あたり1ユーロ(130円)で購入出来ます。一瞬嬉しいですがフルトウェングラーの名盤の価値が130円の価値しかないと思うと複雑な気持ちになってしまいます。著作権法の問題も含めてクラシックCDレコードをダメにしたのがこの価格破壊の大きな要因であると思います。何らかの方法でこの業界の復帰、或いはYouTubeを含めた新たな録音媒体に対する料金システムを考えるなどしなければなりません。変に無料化したり、意味もない団体に著作権料を払わされたりするのではなく、根本のシステムを整え、無尽蔵な料金ではなく正しい価値に適した共通の支払いシステムを作ることがこの分野の発展を導くと思います。
また年配の方で私の様に貴重な音楽的資料財産(CD、レコード、楽譜、楽書、FM録音、テレビ録音等)をお持ちの方、また大量に処分をなさりたい方へのご提案なのですが、私が今回地元のクラシック音楽界の底上げ運動に協力したく考えた事ですが、私にはまだまだウィーンにも日本にも膨大な資料があります。私はこの資料が私の死後無駄なものとして簡単に処分されるのを恐れ、『Wiener コアラの会』の中で後世に残したいと考えています。そのための良いシステムをこれから考えていきますので、皆様方も大切な音楽資料を後世に遺す事をお考えください。中古屋へ安く売り捌くほど愚かな事はないと思います。この音楽資料を大切に後世のクラシック音楽界のために貢献させる事も、音楽界発展の為の要素であると信じています。必ずウィーンコアラの会で良い方法を考えますので安易なご処置はおやめください。お願いします。これを世界的に拡げるつもりでおります。

前述の文章を書いた2日後ですが、アイディアの一つが浮かびました。先ず、重要な音楽資料を集めるのに高校のクラブ活動を利用するのです。野球部や吹奏楽部の様に「クラシック音楽部」というものを作ります。顧問には音楽専科の教師が担当をし、クラシック音楽を聴きディスカッションをするクラブですが、先に述べた歴史的音楽資料を寄贈という条件で一般の方々から集めて整理をして保存をし、学内、ゆくゆくは地域住民の為に貸し出し、音楽資料図書館の機能を持たせ、クラシック音楽の普及と地域社会への文化貢献として貴重な音楽資料の収集と保存に努める。先ずは私立の校長、理事長の理解を得て、彼らの力によって、教育委員会、公立高校へと輪を拡げる。立派な地域文化活動となると思います。

やや衰退したウィーン芸術週間のクラシック音楽演奏会の復活運動

実は2017年以降ウィーン芸術週間では毎年5月、6月の2ヶ月間芸術週間主催のクラシック演奏会が毎日のように開催されていたのですが、現在は全く様相を変えこの主催形式がほぼ消滅してしまいました。私はこの実情を調べまた古き良き時代のような芸術週間の復活の運動をしようと思っています。

皆様の私的音楽アドバイザー

これはまだまだ思案中ですので確実に実現するするかどうかわからないのですが、要は音楽家をはじめとする『Wiener コアラの会』の会員の方のみの個人的音楽アドバイザーに私がなるということです。内容と言いますと 

  1. 将来の相談。大学、留学、職業、研究、コンサート、活動方法、教育方針、勉強方法とありとあらゆる音楽に関する相談を、永年のあらゆる分野との繋がりと経験を持ってじっくりと受けさせていただきます。

  2. 『Wiener コアラの会』の一つの目標である新機軸のミュージック・エージェント構築の為に才能ある世界に通用する若手演奏家の発掘と教育の為に、音楽家名刺なるものを考案し、その存在を世界的に公表します。先ずはその才能を探し出し、ネット上で出来うる限りですが、ヨーロッパで通用する音楽家になるためのアドバイスをします。

  3. その為に必要であるならば、音楽レッスンと音楽家としての今後についてアドバイスをします。私の健康状態の関係で多くは出来ませんが、効果が上がるだけの事はしようと思います。なおどんな方にでも時間が許す限りは実行するつもりでいます。1、2、の事は原則としてMessengerを使い直接電話、或いはFacetimeやZoomにて行う予定です。レッスン代は会費1口分を『Wiener コアラの会』の運用資金として余分にお納め頂ければ結構です。

今日は既に10月29日ですが、怠慢な銀行員の態度で手続きが遅くなり、まだ銀行口座の開設が準備出来ていません。銀行を替えて急いで開設をし、『Wiener コアラの会』を始めようと思います。もう少しお待ち下さい。


追記の追記のまたまた追記

今日はもう12月12日

明日にようやっとWebサイトを作る会議と作業が始まります。結局難儀した銀行口座の開設がこの度なされましたので、次の段階の仕事に入ります。この半月の間にも色々と新しくシステムをより良くするアイデアが浮かんできたのでその内容をお知らせします。

世界共通の演奏家名刺について

個人データベースとして所定の用紙に記入して頂くところは全く同じですが、それとは別に、専門家やマネージャー業界の為に、補足として一般に出回っている様なフライヤーや、履歴書+広告の様なものの添付、他のWebサイトへのアクセスも簡単に出来る様にし、この掲載の為のアドバイザーも常時設置します。お気軽にご相談下さい。現在では翻訳プログラムも非常に進歩しています。うまく使って世界的なコミニケーションへ参加してください。

経済面について

今回色々な問題から会を未だ公には始められていませんが、8月中旬より試験的に会の運営を始めてみた結果、思ったより運営活動金がかかる事がわかりました。12月までに私の準備予備金(約400万円)の殆どを使ってしまうほどでした。という事は、1年間に換算すると諸経費人件費を考えると年間で最低でも約1500万円位の予算が必要です。当初の予定では、なるべく会費と当会の主旨に賛同してくださる大口会員の方の力だけでの集金を考えていたのですが、それだけでは無理そうです。ちなみに会費のみの運営だと、年間で最低でも3500人の会員が必要です。結構経営が大変だという事を思い知らされてしまいました。皆様方もたくさん同志を集める事にご協力下さい。皆様方にご提案ですが、まず会費を払って頂いた後、この『Wiener コアラの会』を通じて良い繋がりや恩恵を得た時に、寄付金という形で皆様方の判断で寄付をお願いしたいのです。宜しくお願い申し上げます。


『Wiener コアラの会』発足にあたり最後の一言

2022年元旦、明けましておめでとうございます。
この年末年始に起こったことをお話ししましょう。

今年はウィーンに居りますので、テレビからですが、大晦日のこうもりとウィーンフィルのニューイヤーコンサートを聴きました。毎年恒例の行事なのですが、本音でお話しします。

大晦日のこうもり

まずはこうもり、毎年のメンバーからすると歌唱、演技、アドリブ、全ての面で水準以下。オーケストラの演奏面でも、どうも女性がコンマスをした様で?? 演奏に粋さを感じ得ず、指揮者も真面目さは出ているものの、コロナ禍で観客の大半がオーストリア人であるはずなのに、喜歌劇であるにも関わらず会場から笑いが出ない。演出の基本は昔のシェンクのものなのですが、本人が演出を行っていない為にありきたりとなっていました。とにかく手を抜いているか、劇場側の手配の悪さを非常に強く感じた公演でした。私が聴きに行っていたならば、間違いなく途中で帰っていたでしょう。主催者側としてあってはならないことです。ドイツのBクラス劇場の出来と言うところです。ウィーンであるまじき一夜でした。内部関係者によると、根本の問題は、新任の、演奏家、スタッフの人事権を持つ、日本でいう演奏部長(事務局長)の采配で、もう半年以上問題ばかりということです。いくらオーケストラ、合唱団が練習してもこの方法では良い結果は生まれないというのです。最高峰であるべきウィーンでも、日本と同じ様な有様です。
この文章の中に書いてある様に、世界中の20人くらいの音楽マネージャーが自分達の利権によって演奏家を牛耳っていて、其れを真似した良い例ですね。世界中でこの問題が起きているのです。だから私が改善のための提唱をしているのです。

元日のニューイヤーコンサート

さて、元日は恒例のニューイヤーコンサートでした。今年はバレンボイムの指揮で開催され、良い感じで始まったのですが、段々と活気の無いコンサートになってしまって残念に思いました。皆さんお聴きになってどう思われましたか。これにも原因があります。まずバレンボイムは、高齢80歳での参加でした。彼の場合、指揮者としての技術の根本が高齢によって残念ながら正しく機能していないこと。人は歳をとるものです。彼は最高の音楽家ですよ。でも老齢の為にオーケストラコントロールの基本が既に出来なくなっているのです。残念で仕方がありません。高齢者運転免許返上の時期なのです。他の曲目ではまだまだいける可能性があると思いますが。
しかし、今回はオーケストラの側にも問題があります。ここから先は専門的なものの為に音楽家の皆様方注意をしなくてはならないところです。
ウィーンフィルはこの所楽団員の構成が大きく変わりました。楽団の演奏伝統維持を第一としていた昔のようにウィーン人男性のみではなくなり、ウィーンで勉強したオーストリア人→旧オーストリア帝国の出身者→ヨーロッパ全土→世界中→女性も含む、というように技術第一主としてこの30年間でどんどん変化してしまったのです。現在では全楽員の3割以上が外国人であったり女性であったりするのです。要は普通の他のオーケストラと差が無くなってきているということです。音楽上の根本の部分は楽団に入ってから仕込まれるのです。血統が純粋ではなく、混血状態なのです。色々な事を伝承するという意味では随分昔と意味合いが変わって来ました。ウィーンの伝統を知っている人にとってはちょっと悲しいことです。特に謙虚に現れることは、伝統のウィーン風ワルツの3拍子についてです。非常に微妙な部分ですが、既にウィーンフィルも外国のオーケストラ化しています。あの絶妙なタイミングでは無いのです。私はウィーン音大指揮科の生徒にウィーンのワルツの基本を教えていましたから、このことについてはハッキリと断言出来ます。
ボスコフスキーの時代までは、指揮をする人、コンサートマスター、団員達、全ての人間がウィーンで育って勉強していたので、変なワルツのリズムになる筈がありません。現在では新旧の楽員達がが入り混ざっていて(因みにボスコフスキーの時代からの団員はもう居ません)、殆ど一年間で今の時期しかワルツの演奏もせず、ニューイヤーコンサートに出演する指揮者のほとんどが外国人というのが実情です。本当に伝統を持ち続けることは大変難しく、伝統を止める事は簡単なのです。
一つ良い事は来年のニューイヤーコンサートはオーストリア人のウェルザー・メストの指揮であることです。彼はウィーンの伝統を継承できる唯一の指揮者です。これを機に国立歌劇場音楽監督への復帰を期待します。

この日本での実況中継のゲストとして弟子の反田恭平が出演したのですが、彼は本番の2時間ほど前に私に電話をかけて来て、ニューイヤーコンサート、ウィーンフィル、ウィーンの町の歴史などについて尋ねてきました。日本で得た事前の情報だけでなく、最後の最後まで情報収集をしようとする研究熱心さはアッパレです。彼の音楽文化への姿勢が感じとれてとても嬉しく、また電話の最中に宿題としてある音楽理論書の読書を要求したところ、話している間に即購入してしまう程の実行力の速さに、私は良い弟子を持ったとなあと思いました。

以前ニューイヤーコンサートの同じく日本実況中継にゲストして出演した人に羽部真紀子さんという人が居ります。彼女は現在ウィーンの由緒あるダンス学校エールマイヤーで、オーストリア人相手にウィーンの伝統的なワルツを中心とした公式舞踏会に生徒達が出場出来る様、ダンスだけでなく身のこなしやマナー、歴史、文化との関係等全般の教鞭をとっています。本年度中には、アジア人では初となるTanzmeister (昔でいう親方)という名誉ある称号をオーストリア国家から授与される予定です。そうなると彼女はヨーロッパで自分の舞踏学校を作ったり自分の舞踏会を催したり出来るのです。凄くありませんか。実は彼女は私の弟子で、女流指揮者です。東京藝大指揮科卒で、ウィーン国立音大留学中に舞踏の道へと進みました。今後は舞踏、指揮の両方を生かしてウィーンのワルツの伝統を護り続けて欲しいですね。日本で鹿鳴館時代を思わせる舞踏演奏会を催して貰いたいです。期待しています。

YouTubeの話

また良い事として、YouTube上の激選クラシックチャンネルを配信しているナコさんの行跡を知りました。クラシック音楽の普及に対する努力や、企画、台本、撮影、編集を一人でやっていること、配信している内容に対する勉強の度合いを見て、大変良いことだと思いました。あなたもこれからは文化を継承していく人なのです。クラシック音楽の発展の為に責任を持って今後も活動を続けて下さい。アマチュアだと言って責任逃れはだめですよ。また著作権の問題で日本コロンビアとの良い関係を作り、クラシック音楽の発展にブレーキをかける現在の悪法、著作権法の改定の為の第一歩として アッパレです。現在の一般公共放送でのクラッシック音楽番組の程度の低さ、内容の無さに比べるとアマチュアのあなたが行なっている事の方がずっとクラシック音楽の将来の為になっていると思います。是非是非コンタクト取りたいと思います。
さて他にもYouTube上で何人かの方のチャンネルを観ました。色々工夫をなさっていると思いますが。皆様方次のことをお考え下さい。公の場面に物事を表出するということには、責任があります。現在のYouTube上では、表現に対する規制がないほぼ無法地帯となっております。いいですか、文化に関する問題は、責任を持って掛からないと曲がった方向へ人々を導いてしまう恐れがあります。メディアがクラシック音楽に興味を持っているこの時期こそ、皆様方のYouTubeがこれからのクラシック音楽会の発展に与える影響は大きいのです。ご注意ください。お願いします。

最後に嫌な話

最後に嫌な話です。毎年2月に、東京で都民芸術フェスティバルという伝統的なイベントが開催されます。元来は、この期間中は安価に在京のオーケストラのある程度の格式のある演奏会が聴けて、指揮者も定期公演常連組が担当しているという、良いクオリティーのイベントでした。殆ど都の財政で賄わられるため、チケットが大変安価でクラシック初心者でも気軽に購入できました。唯一東響だけが若手の為の登竜門としてチャンスを与え、練習時間も3日間と定期公演並みの待遇で臨んでいました。

ところが、今年はどうでしょう。定期公演クラスの指揮者が1人、名曲クラスが1人、他全員がまだ名も無い若手ばかりです。都からの予算はそれ程多く無い筈ですから、安易にコスト削減の為の策を打ったと言うわけでしょうか。しかも、練習は殆どが1日だそうです。オーケストラ事務局の皆さん。聴衆をあまり馬鹿にしないで下さい。甘く見ると、クラシック音楽ファンがまた減ってしまいますよ。こんな杜撰な企画をするならば、知人を介して都知事に進言をして予算を止めて貰いますよ。これは脅しではありません。二度とこんなことが起こらないように真面目にお考え下さい。
この様に、どうも現実問題として世界中至る所でクラシック文化向上の為の行動に問題がある様です。こんな事が起こらない様に活動するのが、『Wiener コアラの会』なのです。

是非ご協力下さい。

追記

この『Wiener コアラの会』が実際に活動が始まって一段落してコロナの状態が落ち着いた場合、久しぶりに一時帰国をして、台風で損壊した自宅の整理と湯浅指揮セミナーを千葉市の稲毛で開催しようと思います。現在指揮者の方、指揮者になりたい方、指揮の活動をなさっている方は是非ご参加下さい。今後の活動方法、勉強方法など個別に徹底的に助言させて頂きます。興味のある方の聴講も歓迎いたしますが、会場が小さいので実際に聴講できる方には日程的に制限があるかも知れません。その節はまた発表させて頂きます。
また、現在二人の愛弟子と最終調整をしているのですが、その最中、一人の弟子がある音源を提供してくれました。それは、ガーシュウィンのラプソディインブルーの録音で、大正13年にガーシュウィン自身がピアノを弾いているという、ものすごく古い録音です。これともうひとつ、一番最新のもの、日本の某有名楽団と、最近頭角を表し始めた若手指揮者と、皆さん方がご存知の才能ある若手ピアニストによる演奏です。これを皆様方にも聴いて頂きたいと思いました。皆様方がご自身で判断されたとき、多分私が文章上書けないことを皆様にもう一度考えていただける最後のチャンスなのではと思います。

2022年1月18日 ウィーンの自宅にて
湯浅勇治

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