スーパーネットストーカー 第一章 悪魔のマジック 6

 その当時、私は自宅ではNTTの光回線を使用してインターネットを行っていた。ADSLからブロードバンドに乗り換えて光プレミアムというコースを使っていたのだが、そのときはONU(回線終端装置)、ルーター、CPUという三つの装置がごちゃごちゃしたコードの束でパソコンにつながっていた。

 ルータとはネットワーク同士の橋渡し役をする装置である。NTTのルーターはポート単位で接続設定することもできないなど機能としてはなはだ不十分なものだった。それでもログという外部からのアクセス履歴を取ることはできた。

 不正アクセスを受け始めたときはまだこの三台を使っていたが、新機種が出てきて、いま使用している三台が一台に統一できてスピードも速くなるというNTTの勧誘を受けて、その新しい装置に変えた。
 ルーターにもまたウイルスが感染する。この時期それが気にかかっていて、ルータの初期化だけではウイルスが消えないのではないかという疑念に駆られていたこともあり、パソコンを買い換えたのに合わせて取り替えることは好都合でもあった。

 しかし新装置ではログが取れなくなった。市販のルーターを買って取り付けることもできたが、それをしなかったのは、ログを取ること自体にあまり意味がなかったことと、企業が使うような高機能なものでなければ指令サーバとの通信の発見や遮断は難しいこと。そして三番目にいま述べたように、ルーターにもまたウイルスが感染することだ。

 ウイルス感染した場合はパソコンの情報が外部に送信されたり、パソコンに膨大なデータを送りつけ、その機能を麻痺させてしまうような、パソコンと変わらぬ攻撃が可能となる。また同様にこのウイルスを発見することは困難だ。

 このボットネットという手法で攻撃されていれば、ログを見ても攻撃してくるハッカーのIPアドレスというインターネット上の住所を特定することは難しい。その理由は既に述べたが、もちろんアクセスしてきたログを取れば、PCに侵入してきたハッカーの司令塔に仕立て上げられているサーバのIPアドレスは特定できる可能性はある。

 通信をすべて洗い出すのは大変な作業だが、仮にそれで指令サーバーを特定できたならば、その指令サーバ自体を切り離してしまうことも考えられる。ボットが指令サーバに接続できなければ、攻撃者の指令を受けることが出来なくなるので頭がもがれたと同然だ。

 しかし一口に切り離すと言っても、それは多くの組織がチームを組んで行う大変大掛かりなプロジェクトになり、何年もかかることもある。だからそんな対策が可能なのは、非常に広範囲に悪質な被害を与えているボットネットにのみ限られる。それは標的をしぼって攻撃してくるタイプのボットネットには使えない。まして名も無い一個人のために行えるものではないのだ。

 小野村がボットネットを含めて私の言い分をすべて信じていたとすれば、そしてたとえ私に仕掛けられているボットネットが非常に規模が大きく、悪質であっても、ただひとりの個人のための捜査は難しく、またたとえ着手されたとしても犯人の特定や検挙には結びつかないことが多い。そういうことを彼があのとき説明していればそれは誠意のある態度で、たとえ捜査が行われなかったとしてもそれは順当な処置だと言えるだろう。

 ただ彼は最後までそれをボットネットとは認めなかった。認めていたかもしれないが、それを口に出しては言わなかった。認めていれば、すべてではないが、多くの現象は説明できた。そしてお互いの会話も歯車が噛み合って、少しは生産的な方向へ帰結していたかもしれない。

 この原稿を書いている時点で、ボットネットは現在サイバー犯罪の中でも最も危険なものの筆頭にあげられている。そして今後ネット社会全体に計り知れない影響を与えるものと懸念されている。しかしそれは防衛する側にとって、宇宙空間でエイリアンに挑む戦いを髣髴させるような、勝ち目のない、ほぼ絶望的な戦いに酷似している。映画においては常に人間の一時的な勝利で幕を閉じるが、この現実世界における戦いの結末は誰にも予測できないだろう。
 
 翌日の朝に自転車で市立図書館に向かい、ほとんど開館すると同時に入って再びエアアジアのサイトを開く。すると最初の出発と到着空港を入力するいつものボックスがすべて真っ黒になっていて入力する箇所がまったくない。しばらく待ってみたが状況はかわらないのでエアアジアはあきらめ、別の航空会社を探した。

 東京の旅行代理店が売り出しているもので、同じ日のバンコク行き片道航空券があった。タイの航空会社のようで、エアアジアより二千円ほど高くなるが、こちらの券を買うことにした。しかし申し込みフォームに個人情報を入れようとしてまたしても躊躇した。
もしここでまた妨害が入ってきたらどうなるだろうか。そうなればもはやチケットを買うすべがなくなってしまうのではないか。

 旅行代理店を通せば買うことが出来るだろう。もちろん彼らのパソコンも同様にボットネットに組み込まれている可能性もあるが、それでも外部からのハッカーの操作を受け入れるための、バックドアと呼ばれる恒常的に侵入するための経路がいまだ仕掛けられていないだろうし、そのネット上のPCは完全な侵入攻撃のコントロール下におかれていないだろう。しかし旅行代理店を使って買えば、航空券の値段は比較にならないくらい高くなる。はなからそんなところで買う気は無い。今日の新聞に目を通してから外に出た。

 車で隣接するS市の図書館に行った。A市内からは車で四十分程度で行ける場所で、非常に小さな図書館だが、ネットの検索のためのノートパソコンが一台置かれている。本を借りたついでにパソコンでメールを確認してみた。
 もちろんウイルスは入っているだろうが、A市内のように、外部からのハッカーの操作を受け入れるためのバックドアが仕掛けられているかどうかはわからない。ただ同じ県内の図書館だから使用しているサーバーは同じかもしれない。もしサーバに侵入されていれば、このパソコンに不正侵入を行うための侵入経路も確保されているだろう。

 つまるところ市内と危険度に変わりはない。それでも普段使っているエリアから距離的に離れているので、心持安心感があったのだが、これが間違いだったことはすぐにわかった。

 バンコクの安宿をネットでチェックしたかったが、それは控えることにした。メールのチェックをせねばならなかったし、可能ならここで航空券を購入したかった。バンコクに行こうとしていることはハッカーが既に承知している。この関連の情報を検索すればこのパソコンが特定されてしまいかねない。

 もはやタイでインドビザを取得することに決めていたので必要なくなったが、マレーシアのビザセンターに、インドビザを取るときに往復航空券の提示が必要かどうかという問い合わせのメールを打っておいたので、その返事が来ているはずだった。
 まずGメール、takeoy92@gmail.com を開いてみると新規メールはなにもない。A市立図書館のPCで、この問い合わせのメールを送ったのは四日前だった。インドのオフィスのやることなので返事が来るかどうかも期待できない。ただひとつひっかかった。

 二日前にこのメールアカウントを開いたときメールボックスにあるメールを整理し、そのすべてを削除したような気がしたが、メールボックスにはインドの薬草販売の会社から来たダイレクトメールが一通残っている。あらためてこの一通を見ていると、これだけ残したような気もしてきて、記憶はあやふやだ。ただなにか引っかかるものがあった。正確に言えば気持ちの奥の方ですでに侵入されていることが確信されているということだ。
 
 Gメールをログアウトして、新たにヤフーメールをつくった。そしてヤフー知恵袋で、フラッシュメモリーのフォーマットによるウイルス除去について質問するために、新しいEメールのログインボタンをクリックしようとしたとき、決定的なことが起きた。

 いつの間にかGメールが勝手にログインしていたのだ。しかもよく見ると先ほど使用していたGメールではない。何ヶ月も前に新規に作って一度しか使わずに捨ててしまったメールアドレスだ。私ではなくハッカーがログインしたのだ。このパソコンは既に完全にハイジャックされている。

 使い始めておよそ数分の出来事だった。

 誰もこれをシステムエラーや通信状態のために起こったことだとは言えないだろう。パソコンにリモートアクセスしているハッカーの手によって為されたものという以外、他にどんな理由も考えられない。
 それ自体は予想できたというか当然のこととして受け止めたが、予想外だったのはハッカーに私が利用しているということを探知されるキーワードを外していたにもかかわらず、非常に短時間にキャッチされてしまったことである。

 ヤフーメールなどのフリーメールを新たに作成しようとするとその新規作成のページ自体がボットネットの中でハッカーに自動的にキャッチされる。そしてどのPCによってそれが作成されたかが瞬時に判明し、打ち込まれたメールアドレス、パスワードなどの情報がハッカーの手に渡ってしまう。
PCが乗っ取られていれば、そのような仕組みになっているはずで、ここでもそれはいつものとうりだが、それはあまりにも早すぎた。
いずれにせよtakeoy92@gmail.com というかなりの期間(といっても三週間程度だが)無事に使用していた、そのメールがやられてしまったことに間違いない。

 市役所のパソコンはフリーメールを使用できないようにしてあるので、探知されたきっかけは市立図書館のパソコンか、あるいは医大の付属図書館のカウンターの横のパソコンのどちらかである。両方ともに確かにGメールを開いた。そしてそのとき同時にインドのある薬草の検索を行っていた。

 あのような場所でこんな検索をする人間はいないし、薬草関係は私がしばしば利用するキーワードだからそれによって、私が検索していると確定されたのだろう。そして同時にこのGメールが私のものだということが関連づけられてしまったのだ。開いたタブを逆戻りすると、ヤフージャパンのトップページを開いていたはずなのに、いつの間にかニフティのホームページに変わっていた。
 
図書館を出て国道をS市からY市に入り、空港を過ぎると左手に線路が見えてくる。その向こう側に私の家の墓と菩提寺がある。あたりは戦前は養蚕が盛んで賑わったというが、現在は寂れ果てて往時の面影は何ひとつ残っていない。

 父の亡骸を埋葬したときは鉛色の空から小雨が降り注いでいた。

 父の癌がかなり進行していた頃、私は南インドで個人的に或るボランティア活動に関わっていた。そのとき地元の新聞が、私の写真つきでこの関連の記事を報じたことがあった。現地の言葉で書かれたその小さな記事を持って帰ると、うれしそうに何度も眺めていた。夢破れて帰郷した息子が、故郷に身を落ち着けることも無く、独り身のまま人生の中でしかるべき場所に身を置くでもなく勝手気ままに暮らしていることに、しかし面と向かって非難めいたことは最後まで何ひとつ口にすることは無かった。

 病院のベットの上で、モルヒネの影響でせん妄が生じていたときに、私の先行きを気にかけて言葉をかけてきた。海外での生活が年の半分くらい続いていたので、この街には相談したり親しく言葉を交わす友達もいなかった。そうしたことも心配しているようだった。そのとき私はいまコンピューターに記述する言葉を勉強していて、そうした関連で新しい商売ややるつもりだと答えた。

 父は、お前は頭はいいが運が無いから運気が高まるまであせらずに待て、と言った。そしてもうろれつが回らなくなったときに、私の耳元に口を寄せて何事かささやいた。私にはその音声の連続が「がんばれ、がんばれ」と聞こえた。

 運気はいまだ高まりを見せていなかったのだろう。しかし父の死後四十九日も空けぬうちに私はその新しい商売のためにハノイに飛んだ。

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