青くて痛くて脆い

先ほど公開して約1ヶ月遅れにはなったが、「青くて痛くて脆い」を映画館にて鑑賞してきた。この映画を見終わった時に思ったことは【理想の追求とこじれた恋愛観】についてであった。

話のスジとしては、人付き合いが苦手で、
常に人と距離をとろうとする大学生・田端楓と
空気の読めない発言ばかりで
周囲から浮きまくっている秋好寿乃。

ひとりぼっち同士の2人は
磁石のように惹かれ合い
秘密結社サークル【モアイ】を作る。

モアイは「世界を変える」という
大それた目標を掲げ
ボランティアやフリースクールなどの
慈善活動をしていた。
周りからは理想論と馬鹿にされながらも、
モアイは楓と秋好にとっての
“大切な居場所”となっていた。
しかし秋好は“この世界”から、
いなくなってしまった…。

秋好の存在亡き後
モアイは社会人とのコネ作りや
企業への媚売りを目的とした
意識高い系の
就活サークルに成り下がってしまう。

変わり果てた世界。
取り残されてしまった楓の怒り、憎しみ、
すべての歪んだ感情が暴走していく……。
アイツらをぶっ潰す。
秋好を奪ったモアイをぶっ壊す。
どんな手を使ってでも……。

楓は、秋好が叶えたかった夢を取り戻すために
親友や後輩と手を組み
【モアイ奪還計画】を企む。
青春最後の革命が、いま始まる―― 。というものである(青くて痛くて脆い公式HP引用)


前者は、端的に言い表すならば吉沢亮が演じる主人公である田端楓(以下田端)が羨望を込めた理想の存在である杉咲花演じる秋好寿乃(以下秋好)の立場が入れ替わってしまったことである。

冒頭では平和について叶う筈もない理想ばかり語る秋好を現実的な観点から見下したような素振りを取っていた。しかし、終盤の秋好が会長を務める「就活サークルモアイ」の謝罪会見の不祥事に対する謝罪会見を行う前に二人は必然的に会うこととなる。そこでのやりとりが以前の二人のものと真逆だったのだ。内容は秋好は「私は理想を唱えるが、現実的なやり方で世界を変えていきたい。」というものに対して、田端は「以前のように机上の空論のようなやり方で世界を変えるんじゃなかったのか。」というものだった。これに対して私が思ったのは秋好はサークルの会長として様々な方法で理想の叶え方を模索したのに対し、田端は過去の秋好の理想像に惹かれていたからやるせない気持ちになっていたのだと思う。だから田端は秋好の事を【今はもう亡くなった人物】という扱いにしているのだろうと思う。

自分の中での秋好像が崩れたから自分の中では亡くなったも同然の扱いをしているのだと思う。

こじれた恋愛観についてだが、田端がモアイの不祥事を暴露した時にこれを思った。そもそも「秘密結社モアイ」は田端と秋好の共同で立ち上げたサークルである。そこに大学院で社会福祉を学んでいる片桐という男がサークルに介入したことによって田端曰く「下品に大きくなったサークル」になった。

恐らくではあるが、田端は秋好のことが初めは気になっていたのだが、彼女が片桐と付き合ったことによって田端の中での秋好像が徐々に崩れ去っていったのだと思った。彼女の存在を殺しながら生きてきた大学生活ではあったが、結局忘れることなど出来ずにモアイ嫌いの親友とモアイ奪還計画を遂行する。その計画を実行しながら傍で心のどこかで過去の理想の秋好を取り戻したいという一心で行動していたのだと思う。恋は暴走すると歯止めが効かないというがまさにこの映画ではそれが物凄く鮮明に表現されていた。


ps.文章が拙くて申し訳ない。


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