祖母と新幹線で二泊三日の東北旅行に行った。 半日かけて 会津若松編
春休みの一大イベントはそう、これだ。一週間前に乗車券や新幹線諸々を入手し、万全のプランを組み祖母宅で前泊をさせてもらいカンペキなコンディション!!のはずが、妹が学校で流行している風邪で発熱してしまった。前日。だいたい我が家では妹が感染症にかかると一週間くらいぐずぐずと体調を崩してしまうのが常なのである。いけないことが決まったわけではないとなんとかなりますようにと祈りながらなんとか眠りについた。目を覚ます。身体中が異常なくらいに痛かった。頭痛と寒気で体温を測る。、、38°C台だ。 祖母にはこれが最後の二人での遠出の旅行だねと言われていたので私にとっては受験のように重要な旅行なのだ。負けるわけにはならないと朝日と共に出発した。駅近くのパーキングに車を停める。
手元には、
________________________
名古屋市内➡️ 会津若松
________________________ の切符を持って。
私のミスで駅と駅の区間の購入日限りの乗車券を一週間前の時に購入してしまっていたのだが駅員さんの柔軟な対応をしてもらい無事新幹線に間に合いました。もうしないように気をつけます、駅員さん、
東京でのぞみから、郡山行きのなすのに乗り換える。郡山から会津若松までは磐越西線で1時間ほどだ。ワンマン2両編成に乗り換えた。それにしても今日の電車は全部終点まで乗っていくなあ。
雪は少し残っているくらいで気温も厚手のダウンがあれば不快感なく過ごせるくらいの暖かさだった。
会津若松観光
下調べの時点で、会津若松はかなり交通網や観光客の観光受け入れがかなり制度として整えられているように感じた。利用したのは、東山温泉宿泊者の荷物預かり(宿泊施設まで400円で配送をしてくれる←手ぶらで観光できて、良い)、観光周遊バスフリーきっぷ(右回り左回りのバス600円のフリーきっぷ)だ。これまで京都や奈良でも路線バスを観光地巡りに利用したことがあるが、一般の利用者と土地勘のない観光目的の利用者でごちゃごちゃのバスでは多数の遅延が起きてしまっていた。観光地をガイドのように自動音声のお姉さんが見所案内をしてくれている観光バスのような面白さと利用客の分離でトラブルの軽減に成功させているのは模範になることだと思った。
・鶴ヶ城
城下町らしい街を歩いてみると、すごい大きな商家、隣にラブホがあったのがなんか異様だった。石垣は今まで見たことがないくらい苔が生えていて湿気が関係しているのかなあとか考えてみた。
・福島県立博物館
徒歩5分くらい、お城を出てすぐの博物館に行った。立派な一階建ての大きな博物館らしく、バスが来る1時間後までに回りきれないだろうなと不安を抱えていたがとりあえず向かう。 平屋づくりで荘厳だった。
申し訳ありません、、本日防火設備の故障により企画展示棟のみの見学になります。、、
え?
衝撃の事実を受け、かなりの計画狂わせであったがゆっくりとバスの予定時刻まで見ることができて満足である。なんとかなりました。リベンジするぞ!
・さざえ堂
市の観光サイトを見て一目惚れした江戸時代建立の、名前の通りサザエの貝のような螺旋状のお堂である。酷な参道の階段隣に観光エスカレーターが設置されていたのでそれを利用して歩くこと約5分。
西国三十三観音の絵が螺旋状の通路沿いに安置されている。つまりここをお参りすれば関東の人も西国のお参りが済んだことになるそうだ。昔の人、合理的過ぎる。 実際に一人で参拝したのだが、当たり前のように誰ともすれ違わない。不思議な迷路に迷っているような気分であっという間に頂上へ来たようだ。
まあこんな感じで一人ではしゃいでしまっていた。全くバリアフリーではないので祖母には待機してもらっていた。ごめんありがとね。 飯盛山は他にも城跡や白虎隊ゆかりの地などがありまたゆっくり散策したいところになった。
バスで本日の宿泊旅館へ移動する。
・東山温泉 向瀧
この旅館はXの旅館界隈で見かけたことがあり、50年くらい前の温泉旅館雑誌にも全く同じ、変わらない勇壮さの写真を見たので宿泊を決めた。東山温泉駅でバスを下車、風情ある旅館案内所をすぐ。
個人的にここの旅館のすごいと思ったところが、全てが自社ホームページで他社ECじゃないところだ。1996年から運営でこのクオリティに大量のメディア管理、社長さんどこのプログラマーなんだ??すごすぎる
夕食
ここからはめちゃうま和食会席料理の食レポです
部屋のこたつで食べました。初めて鯉を頂いた。鰹みたいな締まった身の硬さに鮭のような脂身でとろけた。鰊も初めて頂いた。保存食に向いているような均等な身で美味しい。たまりの味付けによって白米っ!献立によると最後まで出てこないみたいだけどもはやイマジナリーライスで食べれる。鯉の頭の煮付けもイマジナリーライスが現れそうになった。鍋には紅鱒が入っていた。鮭すぎる。やさしすぎる。お腹に優しく残る満腹感が天才の仕業だ。ありがとう。
こじんまりとした旅館だからか、3つの浴場で他の宿泊客と会うことはなく貸切でゆっくりさせてもらえた。もはや廊下でも誰ともすれ違うことはなかったので私のこれらの記憶がただのイマジナリーだったと言われても信じてしまうかもしれない。廊下がありえないくらい輝いていて光を発しているかと思うくらいだった。昔の固定電話もありえないくらい輝いていた。中庭、池にいた鯉たち死んでいないか心配になったけど時間が空いてからのぞいてみると活動はしているようで安心した。
私が温泉旅行を好んでいるのはやはり時の流れに身を任せることができるところだ。ご飯を出してもらう時間を決め、ご飯をいただき、片付けてもらって布団を敷いてもらう。そしてお風呂巡りを済ました午後九時。もう何の存在にも急かされることなく過ごすことの赦しを頂いたように感じる。私と祖母はこたつに入っている。緑茶を淹れてくれた。祖母が小さなテレビを付ける。 家のテレビでも見たことあるタレントが喋っている。
祖母は布団に入った。
浴衣に半纏を纏った私は学校の図書館で借りてきた本を持って、広縁の椅子に座った。フッカフカじゃないか、、中庭に面している部屋にしてもらったので、中庭の小さな滝の音だけが谺している。これが静寂でなければなんなんだろうと感じた。24時。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?