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忘れないうちに、好きだったゲームの話をしようと思う

 これを読んでいるあなたは、はじめに手に取ったゲーム機のことを覚えているだろうか。

 当時、友達の間ではポケモンが流行っていて、私も親にねだってピカチュウ版とゲームボーイカラーを買ってもらった。レジまで向かう父親の背中を追いながら、通路の棚いっぱいに並ぶほどゲームソフトがあるということに衝撃を受けた記憶がある。

 もちろん待ちきれずに車の中で説明書を読んで吐きそうになったし、帰ってすぐにピカチュウに会いに行ったりしたことは言うまでもない。

 時間をかけてストーリーを進め、ピカチュウとの旅を終えた時にぼんやり浮かんで来たのは、お店の棚に整然と並ぶゲームだった。「まだまだ知らないゲームが、棚いっぱいに並んで私を待っている」、そう思った。

 それから今まで、本当に沢山のゲームをした。放課後に友達の家に集合して熱中したゲームや、昔のゲームを親に攻略法を訊きながら進めたこともあった。布団をかぶって黙々とやり進めたゲームも、勝つために真剣に研究したゲームもあった。

 ピカチュウと出会って20年近く経ち、私も大人になった。ゲームは変わらずお店の棚いっぱいに並んでいるけれど、昔ほど手に取ることはなくなった。社会人になってプレイする時間が減ったからかもしれないし、集中力がなくなって、以前ほどゲームに没頭できなくなった自分に気付いてしまったからかもしれない。

 それでもどこか縋り付くように、ゲームを手放すことはなかった。段ボールにいっぱいのソフトと、起動されずに鎮座する本体を手放してしまったら、二度と戻ってこられない気がしていた。あれは確かに、形を持った青春だったのだと思う。

 そんなゲームを手放すきっかけは、プロポーズだった。文字通り”全てを捧げられるくらいに愛している人”に婚約指輪を送ると決心した時、ふと「青春を捧げたゲームを指輪に変えることが、私にとっての愛の証明であり、覚悟だ」と思った。

 段ボール数箱分のゲームは一枚の長いレシートに代わり、そして指輪になった。結婚した今も、婚約指輪の向こうを覗けばあの頃熱中していたゲームのキャラクターたちが見える気がしている。

 だから忘れないうちに、好きだったゲームの話をしようと思う。私にとって、何より好きだったゲームの話をすることは、それを手離させてくれたパートナーへの愛の証明に他ならない。

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