自分に優しく
ごきげんよう。
ほっと一息ついている
しろひつじです。
noteを始めて2年がすぎてから、50日連続で投稿してみました。
その前の1年はまるまるブランクだったので、わたしにとっては結構珍しいことをしたのでした。
書き溜めていて出したかった分は、おおかた放出できました。
残っているのは、今の自分とはちょっと違うなと思う文で、下書きに置いたままにしています。
時代、というとおおげさでしょうか、
周りを取り囲む状況の変化が大きくて、前とは違った考えを持つようになっていることがあります。
と、いうことは
また数年も経たずに、今のわたしと違う考えを持つようになることもあるわけです。
うまく流れに沿って、緩やかに、良い方に変わっていきたいものです。
さて、これからは、書きたいことを思いついた時に、書いていこうと思います。
わたしのことですから、投稿頻度は格段にペースダウンすることが見込まれますね。
まぁ、それもいいでしょう。
わたしのnoteは、義務ではないのだから。何かに縛られて書くこともないでしょう。
年末にかけては、やることが増えて、なかなかに忙しいのです。
書かねばならないわけではない。
書きたい時に書けばよい。
やりたいようにやるが良い。
最近のわたしは、自分に鷹揚なのです。
それには訳があります。
気づいたのです。
「人徳があるなぁ」と感じる人は皆、
『自分を充分に愛せている』ようだ、ということに。
自分を充分に愛せていると、自然と他にも優しくできる。その溢れ出るエッセンスは、事態を好転させることもある。
ハッとしました。
また何かの真理に近付いた気がします。
この「自分を愛する」がどういうことかを、言葉で表すのが難しいのですが、甘やかすとは違うとキッパリ言えます。
本来の自分を認めてあげる…という感じでしょうか。
「愛する」とは、
赦し、認め、信じ、見守ることだと。今のわたしはそう思っているのです。
周りから押し付けられた規制の中で生活していると、本来の自分がよく見えなくなります。
ちょっと立ち止まって、目線を合わせて、ちゃんと聴いてあげる必要があります。
どうしたの?
それでいいの?
どうしたいの?
本来の自分の気持ちを汲み取る。
格好つけて、本来の自分とは違うフリをしたり、出来る自分を演出するために、全くやりたいとは思ってないことを我慢してしたり、とか
そんな心が歪(ひず)んでしまいそうなことは、なるべくしないでいいんだよ。
本当の自分のしたいことを、できるように導いてあげるのがいいかなぁ、と思うのです。
今はまだ、自分を愛することに初心者で、意識してやっているので、ちょっとぎこちないですが、いまにそれが当たり前で無意識に、自然にできるようになるでしょう。
自分に優しくすることが溢れて、他に優しくにつながる日が早く来るといいなぁ。たぶん、そう遠くもないでしょう。
今日はここまで。
読んでくださってありがとうございました。
皆さまも、本当のご自分がしたいこと、聴いてあげてくださいね。
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