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「箱」と「沼」を求める姫たち 書評『トラディション』(鈴木涼美・講談社)

2023年は、ホストクラブの売掛に始まり、ホストクラブの売掛に終わった一年間だった。

私が理事長を務めるNPO法人風テラスでは、ホストクラブで作った高額の売掛を返済できずに困っている女性たちから、一年間で200件を超える相談を受けた。

そして国内外のメディアから「悪質なホストクラブの被害に遭った女性を紹介して下さい」という依頼が数多く届いた。

なぜ彼女たちは、一晩で数十万円、場合によっては数百万円といった常軌を逸した金額を、担当のホストに注ぎ込むのか。「被害者の女性/加害者のホスト」という二元論だけでは、この問いを解くことはできない。

鈴木涼美の新刊小説『トラディション』は、この問題を考える重要な補助線になる。

歌舞伎町のホストクラブの受付で働く「私」と、ホストにハマって転落していく幼馴染の「祥子」との関係を描いた本作では、随所でホストクラブに通う女性たちの複雑で矛盾した心情が、客観的かつ細やかに描かれている。

彼女たちは、この街の中では、可哀想な「被害者」でも「多重債務者」でも「売春婦」でもない。男たちから敬われ、寿がれ、かしづかれる「姫」なのだ。

ホストクラブの店内には、窓と鏡がない。それは非日常を演出する工夫であると同時に、担当のホストが、姫たちにとっての窓であり鏡である、ということを意味している。

担当のために、いかに金を用意するかいう視点=「窓」から生活のすべてを見るようになり、自分にとって都合の良い物語を投影するための「鏡」にする。

もちろん、どれだけ担当のために金と時間を費やしても、姫たちの不足や渇望が埋まることはない。夜の世界は、金さえ払えば、誰もが誰かにとって特別な存在になれる場所である。お互いがいつでも入れ替え可能であるがゆえの解放感と虚無感が同居する世界だ。

彼女たちの中には、「不安になっていないと不安」「幸福に耐えられない」「自分に不足を与えてくれる男じゃないと、満足できない」という矛盾した感情がある。金づるだと思われたら深く傷つくが、お金を使わないではいられない。

そして、多かれ少なかれ、生まれや育ちなどの「過去」に関する傷跡、そして「未来」に対する不安を抱えている。不寛容な他者のまなざしから逃れて夜の世界にたどり着いたはずが、他者のまなざし以外の判断基準を持たない。それゆえに、どこにいても・何をしていても不安が消えない。

「過去」を忘れ、「未来」に目をつむりながら、「今日」の売掛を払い続けること、売掛を払い続けることができる自分であることによって得られる安心感・優越感・満足感こそが、常に不安に追われている姫たちの生きる支えになっており、そのための舞台を用意して、どんなときも何も言わずに見守ってくれる歓楽街こそが、姫たちの「生き場所」になる。

ホストの側にも、姫たちのそうした複雑な欲望や都合の良い物語を受け入れる「箱」、課金を続けるための「沼」として、姫たちに一定の充足感と、それ以上の不足感を与え続ける存在になることが求められる。

担当に渡す紙幣を得るために、自分が売ったものは何なのか。
担当に紙幣を渡したことで、自分は何を得たのか。
担当に渡した紙幣はどこに行くのか。

そうした問いを忘れさせる力がホストの側にあれば、虚構の名前と数字をまとった姫たちは、窓と鏡のない空間の中で、過去に悩まず、未来を忘れて、今だけを生きることができる。

もちろん、こうした状況は、文学的に美化して称賛、あるいは容認して済む類のものではまったくない。一連の報道で明らかになったように、女性自身やその家族、場合によっては相手のホストに対しても、命に関わる深刻な被害や事件を引き起こすリスクを孕んでいる。

姫たちがホストクラブにお金を使う理由と、男性がキャバクラでお金を使う理由は、似ているようで全く異なる。そのため、ホストの売掛を巡る問題は、(特に男性中心の大手メディアにおいては)ほとんど理解も共感もされず、「被害者の女性/加害者のホスト」という二元論に回収されてしまいがちだ。

本作で描かれているような、「箱」と「沼」を求める姫たち、それをめぐって巻き起こされる有象無象の事件は、夜の街のトラディション=伝統として、これまでも、そしてこれからも、変わずに存在し続けるだろう。

ホスト売掛問題の複雑怪奇な構造を把握し、現場の被害や不幸を減らすためには、メディアやNPOの側にも、「被害者」でも「多重債務者」でも「売春婦」でもない、「姫」としての側面から、彼女たちの言動を理解していくことが求められる。本作は、そのための重要なテキストになるはずだ。

<トークイベントのご案内>

鈴木涼美さんをゲストにお招きした「夜職サミット」、1月14日(日)に新宿・歌舞伎町で開催いたします。会場でサイン会も実施予定ですので、ふるってご参加下さい。


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