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新版・タツナミソウ 【ショートショート 1692文字】

ホーキンスの茶色の靴先が、まだ濡れている。
僕は、ゆっくりと靴紐を結び直し、車内では滅多に飲まないビールの空缶を、右手でぐにゃりと潰す。
雨走る窓の外に、富士山は見えない。

僕は、まだ鞄に仕舞いかねている封筒の質感を、中指と親指で確かめる。
「これ、優しいよな」


差出人の名は、山本雪子。
消印は、僕の誕生日の5年ほど前の4月だ。
僕は幾度となく開いた封筒から、また便箋を取り出す。

丁寧に三つ折りされたニ枚綴りの便箋には、淑やかな文字が並び、そして色あせ千切れそうな小さな花が、ひと房挟まっている。

拝啓  
今朝 病室の窓の外に燕の姿を見つけました
今年は 例年にもまして春の訪れが早いようです 
ここから見上げる小さな空が 抜けるように青く 
その枠のなかに飛び込んできた燕が 私に勇気を与えてくれました

もうあなたへの連絡は絶とう と心に決めたていたのですが 
その誓いは 
あなたの隣で あのとき見た あの波のように 
私のなかで 寄せては引くの繰り返しなのです 

私はやはり このまま あの空に昇るのはいやです
ですから 今日 筆をとりました
燕が 筆を届けてくれたのです

もう二度と 私は あなたにお会いできないことを知っています
あなたのお帰りを 私は お待ちすることができない
なので あのとき あなたと一緒に摘んだ花を送ります

そして、立浪草の花言葉をあなたに
 
健一様
                雪子

     
     ・・・・・

ちょうど一年前の今日、母さんが電話で言った。
「父さん、あんたに会いたいんだって」

仕事を急いで切り上げて向かった病室で、二人きりになった僅かな間に父さんは言った。
「悪いが、ここを訪ねてみてくれないか」と。
父さんは、僕に一通の手紙を手渡した。 
そして、その日、父さんは死んだ。

その頃の僕は、仕事が軌道に乗り始めた矢先で、その手紙を気にしつつも時間がとれず、一年たって漸く新幹線に乗ることができた。

新大阪で降り、紀勢線特急「くろしお」に乗り換える。

僕は、再びビールの缶を指でなぞりながら、窓の外を眺める。
土砂降りだった景色は変わり、窓には青空が広がっている。
ああ、靴もほとんど乾いたなと気づき、同時に、またうつむいている自分にも気づく。

なによりも家族を大切にしていた父さん。
そんな父さんにも、秘めた想いがあったんだね?
そのことを母さんは知っていたの?
あのとき、電話をくれた母さん。
僕が来たら、そっと席を外した母さん。

僕の頭のなかの渦は止まらない。


串本駅で降りバスに乗り、停留所「黒潮」で下車。
ここが目的地、潮岬。

バスを降りたとたんに、目の前に海が広がった。
これほどまでに大きな海を、僕は今まで見たことはない。
ただただ、呆然と立ち尽くす。
遠くを幾艘かの船がゆっくりと横に動く。
右奥には白い灯台。
風が鳴る。


ふと、人声が聴こえ振り返ると、そこには釣り人がふたり車の荷台に釣り道具を載せていた。

思い出した。
まだ僕が小さいときに、父さんが
「こんなに大きな石鯛を釣ったことがあるんだよ」と自慢したことを。

車の奥には、もう閉ざされた民宿が1軒あり、その朽ちて色あせた玄関の表札には「山本」の文字があった。
すでに住み人はいない。

かつて、父はここで石鯛を?
ああ、きっとそうなのだ。

ここは父さんの海だったのだ。


岬に向かってゆっくりと歩く。
芝で整えられた公園は美しく、そこで僕は、列車の中で調べた紫の小花を見つけた。
これが立浪草か。

父さん。

立浪草の花言葉を知った父さんは、何を思った?
どうしたかった?

再び風が鳴った。
燕が空を横切った。

あ、燕だ。


僕は立浪草に歩み寄り、そのひと房を丁寧に抜いた。
そして、手紙のなかの色あせた立浪草と一緒にし、便箋をもとどおりに折り畳み封筒に戻した。

もう数メートル海に向かって歩く。
そこにあるのは「本州最南端・潮岬の碑」。
その海側の足元の土を少しだけ掘って、僕は手紙を埋めた。


父さん、遅くなってごめん。
僕は父さんの代わりになれたかな?

母さん、知っていたんだね。
僕は父さんの代わりを果たせたかな?

     ・・・・・

立浪草の花言葉。「私の命捧げます」。

陽の光に立浪草が輝いた。



     ・・・・・

以前書いた、800字ショートショート「タツナミソウ」を書き替えました。

今回は、まずは文字数には拘らず書きたいことを優先でもできるだけ少ない文字数で、を目標にしました。
これは「タツナミソウ」を添削してくださったみょーさんのご意見でもありました。


多くの方に読んで頂き、「すまスパ」でピリカさんに朗読もしていただいた「タツナミソウ」。
今回は、前回の800字という制限で「描ききれなかったこと」「ぼやかしたこと」「読み手の方の想像に任せたこと」をはっきりとさせた感じです。

もしかしたら「想像に任せた」ほうがよかったかもしれません

とりあえず、これで謎が晴れた?という感じでしょうか(笑)

もしご意見ありましたら、ぜひぜひ伺いたいと思います!
コメント宜しくお願いいたします。

     ・・・・・

さて、ショートショートとなりますと。
☟こちら!!!!!

ぜひぜひご参加ください!
投稿お待ちしております!

(今回の「新版・タツナミソウ」の文字数は本文1692文字です。「ピリカ☆グランプリ」の1000文字には692文字オーバー。応募を希望されている方は、参考になさってください)

    ・・・・・ end ・・・・・

タイトル画像:和歌山県串本町・潮岬からの海とタツナミソウ。

いただいたサポートは、次回「ピリカグランプリ」に充当させていただきます。宜しくお願いいたします。