見出し画像

原爆忌


紅葉手もみじてを合はす嬰児みどりこ原爆忌


紺碧へ市ヶ谷鉄塔原爆忌



季語:原爆の日(晩秋)

子季語:原爆忌、広島忌、長崎忌、浦上忌、平和祭、爆心地

第二次世界大戦の末期の昭和二〇年(一九四五年)八月六日、広島市に、続いて、九日、長崎市にアメリカ軍により原子爆弾が投下された。
史上初めての人類に対する核兵器の使用であり、一般市民を含めた無差別の大量殺戮さつりくであった。
現在でも被爆者や被爆二世、被爆三世と呼ばれる子孫が放射能の後遺症や健康被害に悩まされている。
毎年当日には、犠牲者の御霊みたまを慰め、核廃絶を願い訴える式典や催しが、二市をはじめ全国各地で執り行われる。
なお、暦の上では、原爆投下の日は広島は夏、長崎は秋となるが、立項としては夏に統一した。

新版・角川大歳時記「夏」P.360


     ・・・・・

今回の「俳句ポスト365」の兼題「原爆忌」。
私はまだ未投稿。
これらの句は、多分出さないとは思う。

二句目の、市ヶ谷鉄塔、とは、防衛省の通信塔のこと。
あの辺は高台でもあり、非常に空も広く、そこに立つあの姿はなかなかの迫力である。

兼題でもあることを考え、この句に関しては、コメントは差し控えてくださるとありがたい。


私自身、人の死、については、個人的にかなりあれこれあったので、自分の心を守るために、これまで、できるだけさらっと通り越そうとしてきた。
そして、この兼題についても、投句を諦めようかとも思った。
だけれども、年齢的にそう逃げてもいられないし、ちょっと別の角度から詠むことも可能かもと、挑戦することにした。

「原爆忌」については、夫が長年、仕事の関係で広島に深い繋がりを持っていたことと、出身が北九州小倉であること、から今回少し話をした。

とても印象に残ったのは、原爆が落とされた日、落とされた場所は「晴れだったこと」(雲がなかったこと)。
北九州市は、本来、その土地柄から原爆投下の目標地であったけれど、その日、空には雲があった。そして空の晴れていた、長崎に投下されたと。
小倉の人々は、そのことに深い思いを持っているとのことだった。

原爆忌を青空で詠む句は多いと思うけれど、単なる青空ではないのだなあと、夫の話を聞いてますます思いを深くした。



いただいたサポートは、次回「ピリカグランプリ」に充当させていただきます。宜しくお願いいたします。