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紫乃賞・六句


1👑 今日もまたメナモミまみれのかくれんぼ

2👑 カレンダアをちぎるその音が悲しい

3👑 秋涼し花はしづかに咲き誇る

4👑 流れ星君にもたれてストローを咬む

5👑 渡り鳥イデオロギーを越える頃

6👑 蓑虫の百夜を吊るす一糸かな



《選句理由&講評》

今日もまたメナモミまみれのかくれんぼ

季語:メナモミ(雌ナモミ)
メナモミとは「ひっつき虫」の俗称の、衣服につく種子をもつ植物。ひっつき虫のなかでも、これは粘液をだしてつくネバネバ作戦の種だそうだ。

ところで、多くの方はがこの「メナモミ」という名前をご存知ないだろう。
ならば「メナモミ」を知らなければ、この句が理解できないであろうか?
ノンノン!
「今日もまた○○まみれのかくれんぼ」であったとしても、あ~、きっと「アレ」だって想像できると思う。だって、みんな幼いころに、かくれんぼしたり、遊びまわったりして「アレにまみれて」靴下や服が大変なことがきっとあるに違いないから。
この句の最大の魅力は、読み手それぞれに、幼いころの体験を「ああ!あったあった!」と思い起こさせてくれるところだ。

今日もまモミまみれのかくれんぼ
ま×2 み×1 め×1 も×2
この「ま行がたくさん」がこの句の醍醐味のひとつ。
加えて、ひらがな+カタカナ+圧倒のひらがな攻め。
ここまでやっちゃう?な、印象深さと楽しい見た目。

一方、この句には、実は「中八問題」が潜んでいる。
「メナモミまみれの」が一音多い中八。ならば、そこを中七に収めて
「今日もまたメナモミまみれかくれんぼ」
としたらどうかと?
私は反対!!三段切れのぶちぶち感が浮上し、せっかくの最高に「やっほ~い♪」な流れがぶっ飛ぶから。

声に出して読むと、早口ことばの要素をも持ち、つっかえずに言えてしまうとなんとも言えない幸福感に包まれる。
ほら、声にだして言ってみようよ!

幼稚園くらいの子どもらが、大きな声で、
きょうもまたぁ~めなもみまみれのかくれんぼぉ~~~!!!
って叫びながら、原っぱをスキップしている姿が私には目に浮かぶ。
これほどまでに可愛らしい句が、他にあっただろうか?

私にとっては、最高にかわいらしい、愛くるしい句である。
詠んでくださってありがとう!って叫びたい!


カレンダアをちぎるその音が悲しい

季語:なし

今回の「白杯」の募集要項には「秋っぽい俳句で」「季語がなくてもOK」とあった。その「季語なし&秋っぽい」を最も満たしたのが、私にとってはこの句だ。

カレンダーは季語ではない。
だけれども9月になったとたん、本屋や文房具やには翌年のカレンダーやダイアリーが一斉に並ぶ。ああ、秋だ。
そして「ちぎる」「悲しい」それらの単語からもまた、さみしさの秋が浮かぶ。
その上で「ちぎるその音が悲しい」とくる。

ほら、聞こえてくるよ、その音が。秋の音が。
どんな気持ちで、ちぎるのだろう。どんな悲しみなのだろう。
哀しみではなく、敢えての悲しみ。無機質感・金属感さえ漂う。
まさか、ちぎるは契る、じゃないよね?
え? 契る、そのことも悲しいの?

そして冒頭の「カレンダア」表記。
出だしで、一気にノスタルジックまっしぐら。大成功!!!
カレンダー、だったら私は惹きつけられなかったと思う。
巧みだ。

今回の516句の中で、最も鳥肌が立ち、心を鷲掴みにされた句である。


秋涼し花はしづかに咲き誇る

季語:秋涼し

季語「秋涼し」が持つ、暑さからの解放感とすっとする爽やかさ。
句の冒頭で用意されたその舞台の上で「花はしづかに」「咲き誇る」のである。

そう、それだけ、ただそれだけなのだ。
でもこの花に、私は、凛とした意志を感じる。気高い気位をも感じる。
私は負けない。自分には負けない。どんなことがあっても、私はここでしづかに咲く。
控え目である行動。でもそこには、まるで「咲き誇っている」かのように感じられる強さがある。
なんて、なんて素敵なのだろう。

一見、さっと詠んだようにも見える句であるが、「しづかに」の表記に、決してそうではない意図が見えた。
花を詠んでいる。でも、その奥の「ひと」をも詠んでもいる。
そのように強く感じた。

そして私は、この句の花のような女性になりたい。人になりたい。
そして、作者には、これからもこのように、しづかに強い澄んだ美しい句を詠んでいっていただきたい。


流れ星君にもたれてストローを咬む

季語:流れ星

あなたがストローをかむときは、どんな時?
カフェなどで、なんとなくつまらない時、時間をもて余している時、既に残りの少なくなったアイスコーヒーのストローを口で弄びながら、軽く噛んだりすることも?
歯と歯で軽く噛む、そんな感じ。

でもここではこのストロー、咬まれている
「噛む」は歯を強く合わせる動作。
「咬む」は相手を傷つけて攻撃すること。

流れ星が流れるような満天の星空のした、彼女は彼にもたれている。
その手には飲み物。そしてストロー。所在なさげにストローを咬む。
少なくとも彼女は、最高に幸せって状態ではない
原因は彼にあるのか、はたまた、彼女自身にあるのか。
それとも、二人の間柄のことではない、何か他のところに問題があるのか。
私の小さな妄想は止まらない。
ストーリーさえも書けてしまいそう。
(どなたか書いてください)

甘えられる仲、そのなかに見え隠れする彼女の心の強い動き。
甘さと切なさと、その他多くの想いが想像できる句。
洗練されている。やるなあ!


渡り鳥イデオロギーを越える頃

季語:渡り鳥

この句は、もう細かい説明の必要はない!
冬を前に北方から(多分ロシア)から渡って来る鳥たち。
そう、まさにイデオロギーを越えて日本にやって来る。
「頃」としているので「ああ、今頃はそろそろあの辺を越えている頃なんだろうな~」と渡り鳥に慣れ親しんだ地元住民は思うのだろう。

以前、私は、北海道で「屈斜路湖の白鳥」が大空をまさに渡って来たその時を見上げていたことがあった。
大きな声をあげての、まるでブルーインパルスのように整列した見事な渡りであった。
そう、あれこそが、イデオロギーを越えて来た白鳥たちであったのだ。

そして、もう一丁!
人間のなんだかんだのややこしい問題。思想の違い。
そんなイデオロギーなんて関係ない!あの大空を行き来する渡り鳥にとっては、そんなことはちっぽけなこと。そういうこと!

この句を見たとたん、作者がどなたなのか90%の自信でわかった。
外れなかった。
ガツンとノックダウンをくらった。さすがです。
note の世界で、ちっぽけなイデオロギーなんて飛び越えて、ますますのご活躍を期待する。


蓑虫の百夜を吊るす一糸かな

季語:蓑虫

この句を見たとたん「キタっ!」って思った。なぜなら「俳句の才能」に満ち溢れているから。
一音たりとも、無駄もなければ、不足もない。
そして「百」と「一」の対比。かな、の余韻。
字面もよいし、音もよい。
蓑虫の健気さを表し、生き物への敬愛もある。
その敬愛の奥には、コツコツと努力をし耐え忍ぶ人物象も見え隠れする。
この句の作者は、優しいのだ。慈愛に満ちているのだ。

そして、とても重要な点は、わかりやすいこと。
どれほど高尚なことを含んでも、どれほど技巧を駆使しても、読み人に伝わらなかったら意味がない。
俳句には「人を思う気持ち」がないといけないのだと、私はこの白杯でよくわかった。
この句の作者は、そのことをしっかりと肝に銘じているに違いない。

ならなんで「一等賞じゃないんだぁ」っていう作者の声が聞こえてきそう(笑)すみません、本当に。

それは、「吊るす一糸」の謎。
蓑虫の糸については、かなりの研究がされていて、その強度は世界最強と言われている蜘蛛の糸を越える強さとのこと。
その糸一本で蓑虫はぶら下がっている、のだけれど、実際には、蓑虫はその糸を器用に操ってクルクルにし、しっかりと枝などに固定させ、場合によっては口と前足でつかまる。よく絵や写真ににあるようなブラブラ状態がずっと、というわけではないのだ。
なので、私の意識の蓑虫は、結構固定状態の印象が強い。もちろん、それでも繋がっている一糸であるには変わらないのだけれども。
なので「吊るす」というところの映像が、私の脳内では少し弱いのである。

そういう理由で、六位となった。
それでも圧倒的に素晴らしい句であり、大好きな句であることに変わりはない。


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(本日、事情によりコメントへの返信が遅れます。申し訳ありません)

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