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俳句の鑑賞㊱


どの実にも色ゆきみちて実むらさき

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.71

季語:実むらさき(晩秋・植物)

実むらさき=紫式部。私の一番好きな植物であります。

今の季節、葉は全て落ちてしまっていますが、もう少し暖かくなってくると、たくさんの葉が芽吹き始め、夏になれば、ごく小さな少し紫がかった薄桃色の花を可憐に咲かせ、秋までにその花が実を結びます。
その実の色は、最初は白ですが、日々色づき、いずれは見事な紫色に。しかも、多くの枝一本一本にたくさんの実がなるために、全ての実が色づくのには時間差も起こります。
そして、その色の変化こそが、この植物の醍醐味でもある、と私は兼ねがね思っていました。

そして、この御句に出逢えた昨年の春、鳥肌が立ちました。
「どの実にも色ゆきみちて」は、まさに、私が知っている実むらさき、そのものであるのです。
句集「遅日の岸」で、私の最も好きな御句です。

昨年の秋、イラストレーターのミムコさんにお願いをして、実むらさきのイラストをあしらった名刺を作っていただいたのですが、その名刺を一番先に村上主宰に手渡しできたことは、忘れられない想い出となりました。


雪降るや本棚にゐる本の神

村上鞆彦句集「遅日の岸」P.72

季語:雪(三冬・天文)

読書が大好きな人にとっては、個人の本棚は神聖な場所であり、そこに並べられている書物一冊一冊にはその人の精魂が込められている、ともいえるように思います。
また、図書館や書店などの公の本棚にもまた、別の意味、例えば本の作者、制作に携わった人、その本を読んだ読者などの魂があるようにも、私は感じることがあります。
創作や執筆がお好きな noterさんには、「本棚にゐる本の神」の措辞に共感なさるも多くいらっしゃるのではないでしょうか。

窓の外で降っている雪が、また趣を添えています。


遠くから象舎のにほふ厄日かな

津川絵理子句集「夜の水平線」P.88

季語:厄日(仲秋・時候)

季語・厄日、立春から数えて二百二十日目。
象舎からの匂いは、象が健康に生きている限りは、日々匂ってくるもの。
ただ、季節によって、或いは、風の向きによって、その強弱はかなりあるかもしれません。

二百二十日の日に、作者は(恐らく、象好き)、遠くからの象舎の匂いに、象が健やかに生きていることを感じ、また、願っているのでしょう。
心優しき御句と思います。


かなかなや内より壊す一軒家

津川絵理子句集「夜の水平線」P.88

季語:かなかな(初秋・動物)

木造一軒家の解体作業は、足場の設置などのあと、多くの場合は、家の内部から始まります。
足場や養生で、家は見え隠れしていますが、それでもまだしっかりと家はそこにあります。ですが、その内部は日に日に壊されていくのです。
思い入れのある家だったとしたら、まるで、自分の内部、とくに心が壊されていくように思えるかもしれません。

聴こえてくるかなかなの声も、耳に心に木霊するようであります。

津川顧問の、鳥渡る足場の中にわが家ありの御句も思い出されます。


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「南風」村上主宰と津川顧問句集の「俳句鑑賞」の経緯はこちらの記事に。
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