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繋がり繋げて、梵字!

「あいうえおnote」の「つ」は「繋ぐ」。

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かつて私は、「走っていれば幸せ!」というような運動好きな子どもだった。
鬼ごっことかけっこが大好き。小学生になってからの運動会では、徒競走とリレーが楽しみすぎて、数日前からよく眠れない日々を過ごすほどだった。

中学生になってからは、当然陸上をする気満々だったけれど、残念ながら陸上部がなく、バスケ部に入った。決め手は、サッカーを除く運動部で一番走るから!
バスケに没頭する毎日だった。

だがその後、鬼母からの厳格な約束「バスケは中学卒業まで」を守らざるを得ぬ状況になり、高校では基本帰宅部に。(正確には、高校2年から週1回活動の華道部には所属してはいた)
ついでに、1年の夏休みに体調をひどく崩し、とても走る体力を持続できずに、私の「走っていれば幸せ!」な人生は終わった。

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走りの人生を終えた私だったけれど、中学3年の終わり頃から、走ること以外に「描く」ことも好きだと気付き始めていたため、体調を崩した夏休みに、将来は美大に進みたいと密かな決心をした。
高校の美術の先生は、そんな私に放課後デッサンを指導してくださった。

水彩も油もいいけれど、本当に興味があったのはデザイン。文化祭のポスターの校内コンテストに応募したのがキッカケだった。
思い浮かんだものや、目の前の物体を自分なりにデフォルメし、めちゃくちゃ簡素化させて線を描き、ポスターカラーでマットに塗るあの工程がたまらなくよかった。

そしてもうひとつ、文字のレタリングにも心ときめいた。
レタリングとは、デザイン、特にポスターには欠かせない、ひとつのツールだ。

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このような文字を、エンピツとものさしで丁寧にキッチリと描き、はみ出さないように塗る、その集中過程が最高だった。
(画像は武蔵野美大のHPからおかりした)

もしも私が美術大学に進学できたら、このような創作の世界に没頭でき、日々絵筆とものさしと格闘できるのか! 
御茶ノ水の駅にある「画翠レモン」や、新宿の「世界堂」にあるような数々の多彩な絵の具をじっくり選んで、画用紙に塗りまくることができるのか!と意気揚々とした。

ただ、美大はお金が半端なくかかる。希望できるとしたら、かの最高峰の国立美大だけ。美術の先生に母には内緒で相談すると、「キミなら努力したら可能な道ではある。できる限りの指導はする。」とおっしゃってくださった。

だけれども、鬼母に「おまえは美大に行ってどうする?ヒッピーにでもなるのか?」と言われ(母の口からまさかのヒッピー。私が生まれた1962年、家族でアメリカにいた影響か?ヒッピーって美大生?なわけはないよね。。)敢え無く、美大生の夢も終わった。美術の先生には申し訳なかった。

ああ、懐かしの、青春真っただ中の失望。

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そんななか、私には、ひとつだけ許されていたお稽古があった。
それは書道。

週一回の書道教室は、六義園の近くの閑静な住宅街にある日本家屋で、確か家から30分ほど歩いた場所だったと記憶している。
その道のりが私は大好きだった。
大通りから六義園の横の道に入ったとたん、喧騒から別世界に変わる。四季折々の眺めと香りがあり、鬼母との窮屈な日常から抜け出せる穏やかなひとときだった。
そんな風情のある道を歩くという時間と空間は、私に、硯で墨を磨り、文鎮で半紙を押さえ、筆をもつという書道の一連の所作をするための心構えを自然に整えさせてくれた。

日本家屋の隣に作られた教室の家。
そのお玄関で「こんにちは!」と挨拶をする私を「はいはい、いらっしゃい!」と出迎えてくださる先生は、最高に素敵なおばさまで、ああ、こんな方が母親だったらなぁなどとついうっかりと涙ぐんでしまうほどで。
そして、その先生のおおらかな、力強い、でも細部まで拘りのある文字はあまりに素晴らしく、どうにか少しでも近づきたいと、時間が過ぎるのを忘れて何時間も書いていた。
うまく書けない自分と向き合い、悔しがり、なにくそと再び頑張り、その挙句にまあこんなもんか、これが自分なんだ、仕方ないなと諦める。
そんな私に先生は「頑張ったわねぇ」と声をかけてくださる。
最高に嬉しいひとときだった。

「文字に憧れる・恋をする」って本当にある。それも知った。

書道は、やりたかったデザインやレタリングとは別ものだったけれども、共通点もあった。
どちらにも必要なのは、集中力と、細部を気にしつつの全体を見る力だ。

デザインや文字を描くこと、そして書道にに集中することは、恐らくその当時の私を救っていたのだろうと今は思う。
家にいるときの、鬼母の四六時中の不平不満の声。狭い家のなか、その声から逃れられず暮らす毎日。
でも、それらは画用紙に向かい、エンピツ・ものさし・絵筆・ポスターカラーを持っているとき、あるいは筆をもって半紙に向かっているときは少しだけ止んだ。
そして、いずれ母は呆れて床につき、「しめた!」と思った私は、もう何のじゃまもなく、夜中まで自分の世界に浸ることができた。

その時間のおかげで、今の私がいるのかもしれない。

結局、書道は、就職をするまでの7年間続けた。
途中から仮名文字の領域にも入り、短歌なども書いたけれど、やはり私が好きだったのは漢字で、なかでも行書体が一番好きだった。

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(行書体は左から2番目。画像はネットからおかりした)
まあ、7年続けたといっても書道の世界ではまだまだ入門レベルだっわけで。
でも、母に「おまえは文字はきれいだな」と言われたから、ふふふっと思った。

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さて、ずいぶんと前置きが長くなってしまった。

もともと私は、神社仏閣には興味がない。(すみません)
だけれども、この春、夫の勧めで初めて高野山に行った。
とあるお寺に宿坊させていただき、阿字観を体験。それから、弘法大師さまが眠られている奥の院を夜と朝の2回歩き、朝のおつとめと、護摩焚きも見学。

それらの体験は、私にとって生まれて初めての非常に意味のあるものとなった。
私のなかで何かが変わった。
密教というものを少しだけ理解し、感じることができた。

そして、高野山奥之院に奉納していただける写経をした。

本物の筆ではなく、筆ペンであったけれど、どうしても書きたいという衝動に駆られて書いた。
お寺からいただいた写経の紙は、裏にお手本の文字が印刷されていて、白い下敷きの上にその紙を置くと、お手本の文字が透けて見える。
そのお手本をなぞるわけなのだけれど、ついつい「なぞろう」という気持ちが先行してしまう。キチンと般若心経を覚えていないからなおさら、お手本の文字に頼ってしまうのだ。
(ちなみに夫は、あるときに般若心経を覚え、正式に唱えられる。仕事が超多忙だったときなのに、大したものだと尊敬している。私は、いまだに達成できていない。)

そして何十年ぶりに私が筆を持って書いた文字は、乱れていた。
でもその時は、乱れても下手でも、納得がいかなくてもいいと思った。
途中から無心に文字を追っていた。筆のインクがかすれ出したことに気づきつつも、止めることをしなない私がそこにいた。

書いてよかった、と心から思えた。

帰りがけ、お寺の一室に住職さんが書かれた写経のお手本の実物を見つけ、その文字が、透けて見える文字とは違う、住職さんらしい文字であったことに感銘した。なので、家に帰ってから、今度は自分らしい文字で書いてみたいと思った。

昨日の午後、家でもう一枚を書いてみた。

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写真の上下の順序が逆になってしまったけれど、下が宿坊で書いたもので、上が家で書いたものだ。
下のものは、確かに途中から文字が薄くなっている。インクが切れつつあったのだ。なんとも不揃いな文字の羅列。でも、心は満足だった。

自分なりには、上の家で書いたもののほうが少しだけまし、と期待していた。
でも、こうやって上下で並べてみると、自分で想像していたほどの大差はない。
自己というのは、自分が意識しているよりももっと根本的なところに由来しているのだろう。

そろそろ59歳の誕生日を迎えるのだけれど、まだまだだなぁ。
少しはわかった気になっているけれど、奢っているのだなぁ、と思う。

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高野山の宿坊のお寺をあとにした私たちは、その後、高野山金剛峰寺を訪れた。

そこではたまたま、高野山書道展というものが開かれていた。

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その展示のなかで、私は鳥肌が立つほどに興味をそそられたものがあった。
それが、タイトルが画像でもあるこれである。

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梵字・サンスクリット語の作品である。

何が書かれているのかは、全くわからない。
でも、なんて美しいのであろう。

書道であるのだけれど、書道ではない。
日本字ではないのだけれども、だからといってアラビア文字とも違う、日本の心がそこに宿っているような。

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なんて、なんて美しいのだろう!!
これを毛筆で書けるのか?
あああああ!
書いてみたい!!!
と心が叫んだ。

美しいものへの価値観がかなり似通っている夫も「いいねぇ」と言ってくれ、売られていた梵字の入門書を購入した。

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バスケができなくなって意気消沈した私が出会った、デザインとレタリング。
それもらもまた我が意志を通せず、次に出会った書道。
好きになった行書体。

私の人生の前半で、バスケとデザイン・レタリングが繋がり、そして書道とも繋がった。
書道の行書体は、写経と繋がり、そして、今私はそれを梵字と繋げた。

繋がり繋げ、である。

梵字を書いてみたい、学んでみたいと思ったのは、今、このときの私のはっきりとした意志である。
かつてのような、他の道が閉ざされたからの結果ではない。

そのような、自由な意思をもてるようになった私に、万歳だ!


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梵字には、一応、あいうえおがある。
まだ、おぼつかない字ではあるが、「ア」と「アー」、「イ」と「イー」の梵字の文字の違いは、最後のひと筆を止める・はらうが、すっと伸ばすになるというところ。
基本の文字が習得できると、その先にはさまざまな展開がある。

この春出会えた、あたらしい梵字の世界。
過去の私にはさよならしたいけれど、培った経験は生かしてこのあたらしい梵字を地道にコツコツと、そして、ウキウキしながら学んでいきたい。

そうしたら、走り切れなかった私、美大を目指さなかった私も、もう一度さらっと乗り越えられる。
そして、きっと私は、いつの日か爽やかな最期を迎えられると思うのだ。

     ・・・・・ end ・・・・・

タイトル画像:高野山金剛峰寺で開催された「高野山書道展」の作品のひとつ。

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