自分はどんな因子で出来ているのか?

世の中で生きている人は、国や憲法、社会ルール、経済状況、学校教育、親兄弟の教え、友人、・・・・などなど様々な事象や人から影響を受けて、自分というものが形作られている。

また、人には遺伝子が持って生まれたものとして備わっており、その遺伝子だけで相当数(というか、生まれてきた人の分だけ?)の種類があり、国や憲法、社会ルール・・・などの影響因子が、そこに掛け算で乗っかってくる。

そう考えると、今の自分は、飛んでもない数の因子に左右されて形作られていると言える(と思う)。

?? 何が言いたいの??

となると思いますが、自分なるものを、科学的に、客観的に因子なるものを定義づけてカテゴライズしようとすると、無限大の種類が存在することになり、それはほぼ無理で、どうしようもないことなのだろうということ。

だけど、これを少し抽象化して、ある程度のレベルでカテゴライズして、自分なるものをそれなりに整理が出来たりすると、自分に対する客観的な見立てが裏付けを持って得られることになり、得意なことや、苦手なこと、本当に好きだと思うこと、どうでもいいこと、・・・などなどが、ある程度の精度を持って知ることができるんだろうなあ、と思う次第。

脳科学や行動特性、社会人文学や精神医学、文章やアンケートの分析・・・様々な見地から、人というものを理解しようとしていますが、それぞれが個別に存在していて、偏った結果しか得られないように感じられてしまうことが多く、何かもっと、超メタ的にあらゆる因子から認知できないものかと思ったりするのです。

そのことを認知できた方が、もっと合理的な判断のもと、新たな取り組みができたり、自信を持って取り組めたりするんだろうなあ、、などと妄想していました。

ほんとに、自分を理解することというのは難しいですね。

常に疑うことができる要素がそこにあるが故に「どうとでも考えられる」と思ってしまい、誰から何を言われても、納得感が得られず、話を流すこともある。

逆に自分が何をしたいのか、と問われても、「”自分に向いてる”ことをやりたいけど、本当に向いてることってわからない」と思うこともある。

「”悩むことは無駄、とにかく行動!”」という考え方が結構トレンドになっているかなと思いますが、納得して一歩を踏み出したい自分にとって、その考え方はあまりフィットせず、つらつら書いてきたようなことを、つい思ってしまうんですね。

高度成長ではない、何でもやろうと思えばできる、機会も生み出せる、VUCAなんて言われる今の世の中だからこそ、大きく引いた目線(メタ的に)を持って、自分を理解しながら、進んでいけたらなあと思うのは、私だけでしょうか・・・と思いながら、生きている今日この頃です。





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