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私らしいはたらき方。

こんにちは。Siroです。

今回は、note の企画にある "私らしいはたらき方" について書いてみようと思います。


わたしは、ひとの光の粒(オーラのようなもの)が見えます。

ただ、日頃はほとんど見ることはなく、普通に医師として働いています。


本当は、光を見ながら診察できるのが理想的ですが、どうすればうまくできるのか模索中というところです。


さて、そもそもわたしは生まれつき光の粒が見えていたわけではなく、あることをきっかけに見えるようになりました。


光の粒が見えるようになった当時は、その美しさに夢中になり、ゆくゆくはそれを生かして仕事をできればと考えていました。

でも、夢中になればなるほど、それだけを扱うことになんだか現実離れするような危うさを感じていきました。

誰にも証明できないことに(将来的には証明できるのかもしれませんが)のめり込むことに危うさを感じました。


そこから現実的な言葉で説明できるようになりたいと思うようになりました。


そこから発展して、医学の細かい部分についても勉強するようになりましたが、そうしているときも、なんだか現実離れしていくような気がしました。

机上の空論というか、それを知っていてもただの自己満足というか、現実に生かせないようなこともたくさんあると感じるようになりました。


患者さんと接しているときが一番ちょうど良いです。
現実的なところに基準を戻してもらえるような気がします。


雲のようにつかめない世界ではなく、医学の細かすぎる世界でもなく、現実に目を向けられることがなんだか心地良いです。


とはいえ、それだけでは味気ない気がするのも正直なところです。


わたしにとっては、それぞれがバランスよくあることが一番良い気がします。


あるとき、ふと光の世界に触れているときは右脳を使い、医学的な考えのときは左脳を使っているのではないかと考えたことがありました。


今回は、それについて光の存在に尋ねてみることにしました。


早速、メッセージを送ってみると、


"光の視点では、右脳 左脳 という区分はありませんよ"


と、こたえが返ってきました。そして、


"どこにアンテナを向けているか という違いだけです"


と続けられました。

それはどういうことでしょうかと尋ねると、


"地球上では、頭は思考の中枢と考えられていますが、

 光の視点では、頭はアンテナの役割として捉えられています"


と、続けられました。


そのとき、以前見たイメージが湧いてきました。

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*ある知識につながったときのイメージでした。



"あなたのいう 右脳を使っているときは…"


という言葉とともに、次のイメージが湧いてきました。

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頭のてっぺんから後ろ側にかけて色鮮やかな光が放たれ、真っ直ぐ光が伸びているようなイメージでした。

それは、光の世界につながっている感覚と一緒でした。


"そうです。そこにつながっています"


と、光の存在の声が響いてきました。


"そこにいると、どのような感じがしますか?"


と尋ねられ、その言葉とともに次々にいろんな感覚が湧いてきました。


美しく、軽やかで、光に包まれている安心感。

そこにいるだけで幸せな感覚。

でも、それだけでは少し物足りないような感覚。


"そうです。

それが光の世界にいるときの感覚です。 

光の世界から地球に生まれてこようと思うのは、それ以上に面白い世界を味わいたいと思うからです"


と続けられました。


"では、次に 左脳 を使っているときは、どのような感覚でしょうか?"


と尋ねられ、論理的に考えているときの感覚が思い出されました。

その感覚とともに、次のイメージが広がっていきました。

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頭から斜め前方に光が伸びていくようなイメージでした。


"そうです。

その先には何がありますか?"


と尋ねられ、その先に意識を集中させると、ひとに向いているような感じがしました。

誰かに何かを説明しようとしたり、コミュニケーションを取ろうとしている感じがしました。


"そうです。

その感覚にもう少し意識を集中させて見ましょうか"


と言われて、その通りにしてみました。

すると、患者さんに説明しているときの様子が見えてきました。



例えば、脂肪肝について説明をしているところが見えてきました。


甘いものを取りすぎると糖が脂に変わって肝に蓄えられること。

その脂が中性脂肪であること。

それがたまると脂肪肝になること。

それを改善させるためには、そもそも脂をためないようにすること。

つまり余分な糖分や脂を摂らないこと。
そして、運動によって糖や脂を燃焼させるのが大事であること。

それを説明していたときの様子でした。


それまで半分耳を閉ざしていた患者さんは、何かがカチッとハマった表情になり、目の焦点が定まっていきました。

「やはり、食事と運動ですね」と患者さん自身がおっしゃり、血糖値も中性脂肪もみるみるうちに良くなっていきました。


そのときのことを思い出しながら、コミュニケーションを取ることが、わたしはどうやら好きなんだと感じました。


それでは、光の世界に触れながら、医師として働くことでバランス良く感じる理由は何なのでしょうかと尋ねると、


頭上にまっすぐに伸びた光と、斜め前方に向かう光の両方が現れました。

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斜め前方に向かう光は対流しており、まるで対流しながらバランスをとっているように見えました。


"あなたの感じているとおり、誰かとコミュニケーションを取ることが、とても向いているようです。


でも、それだけでは足りないのです。


もう一度、あの光に意識を向けてみてください"


と促されました。

言われるままに、頭上に真っ直ぐに伸びる光に意識を向けてみました。

それは、右脳を使っているときの光でした。


すると、先ほどの美しい色とりどりの光の世界が戻っていきました。


"この美しさに触れることが、あなたの活力になっているようです。

その感動が生きる活力になっているようです"


と、続けられました。



そのとき、村上春樹さんが著書の中で、

「小説を書いていると、ときどき深い井戸の底に一人で座っているような気持ちになります」とおっしゃっていたことを思い出しました。

*『職業としての小説家』より。


村上春樹さんは、小説を書くことが孤独な作業であるという意味でこの表現を用いられていましたが、わたしにとっては、現実と離れた時間もある程度必要という意味では少し似ているのではないかと感じました。


今回は、いつもより抽象的な内容になってしまいましたが、誰かに届くものになっていれば嬉しいです。

Siro。

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