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『雲海』を見に行こう!(奇跡は起こすもの!)

 奇跡的な瞬間に遭遇することがあります。そんな時は、大きな幸運が舞い込んで来るものです。私の場合、かつて『雲海』を見た後に幸運がやって来ました。見たい時に見られる現象ではなく、高い場所にいなければ見ることすらできません。さらに時刻や気象条件などにも影響されるので、『雲海』を目の当たりにすることこそ、幸運とも言えます。話は変わりますが、先日、携帯に私の願っていた通知が届き、ついにその時がやって来るのか!と期待が膨らみました。同時に遅延続だったこともあり、その出来事を信じきること難しく・・・。そう思っていると、不思議なことに『雲海』が頭の中に浮かんできたのです。それは懐かしい風景であり、奥只見湖の銀山平付近で見た雲海でした。「そこへ行け!」と言われているようですが、自宅からその場所までは、距離的にも時間的にもかなり厳しいことなので「無理だ!」と感じました。すると、「田子倉ダムへ!」と降りてきました。正しく表現すれば、田子倉ダムにいる自分の姿が見えたのです。「なぜ?」と疑問に思っていると、先程の『雲海』のイメージが再び浮かんできました。今の時刻は、4月27日午後11:22。『雲海』を見ることができれば、通知された出来事を現実化できるのかも知れません。田子倉ダムならば、日の出前には到着することができそうです・・・が、「眠い」とか「夜は危険だ」とか「そもそも見られるとは限らない」とか否定的な思考が湧き出してきます。「普通なら、こんな時間に行かないよな・・・。」と思った瞬間、「普通?」「誰の基準?」「自分を信じろ!」と魂の声が・・・。また始まりました。『思考』と『直感』の戦いです。私にとって、この2つの対立は日常茶飯事であり、勝者が『直感』になることをすでに知っています。この現実世界で自分の身を守るために必死な『思考』をなだめ、冷静に只見町の朝方の気温と湿度を調べました。霧が発生してもおかしくない気象情報です。結論が出ました。「さあ、出かけましょう!」
 出発時刻を午前1:40に設定し、それまでに準備を整えます。濃い目のコーヒーを飲み、誘いを断った息子に「お腹が空いたら冷蔵庫の肉を焼いて食べるように」と指示を出し、カメラのバッテリーの充電を確認し、予備バッテリーも準備します。ガソリンは少々心配でしたが、この時間に営業しているスタンドもないので、いざ出発!今回は亡き妻の写真も一緒です。あの時の二人の感動をもう一度と思ったのです。深夜のドライブは久しぶりでした。睡魔が心配でしたが、日の出前に田子倉ダムの駐車場に無事到着しました。走行距離は約90km、暗く狭い山道を抜けるルートを選択しました。道中、視界は良好で霧は一切発生していませんでした。「ここまで来たが、やはり『雲海』は駄目か・・・」そんな思いが過ぎります。当たりが少し明るくなってきたので、県境まで走らせることにしました。この時刻の山道は、すれ違う車がほとんどないと思っていましたが、今日はかなりの車とすれ違いました。冬季間閉鎖されていた道路が昨日、解除されたようなので、この日を待ち望んでいた人が多かったのかも知れません。県境まで来ると、睡魔が心配になってきたので、写真を撮りながら、ゆっくり帰ることにしました。東へ向かう進路なので朝日のエネルギーが強まっているのを感じます。道路脇の駐車スペースに停車して、外へ出ました。目の前に飛び込んできたのは、美しい朝日と朝焼けの風景でした。鳥のさえずりだけが響く空気感が、その美しさに、これから訪れる明るい未来を感じさせてくれます。


朝日と朝焼け(田子倉ダム付近)

「『雲海』は見られなかったけど来てよかった。綺麗だね。」そう妻の写真に話しかけると「そうね、でも心配しないで・・・。」と答えてくれたように感じました。「さあ家に帰ろう!」途中、たくさんの鳥たちやサルのお出迎えもあり、たくさんの命を育んでいる自然を実感します。田子倉ダムの駐車場で缶コーヒーを飲んで、短い旅の思い出にダム周辺の写真を数枚撮りました。太陽はさっきより高く昇っています。「今日は『雲海』はない」と決定づけられたような氣分になりましたが、「今日は天気が良いのだ!」と思うと、不思議と遅咲きの桜が見られるかも・・・と、新たな期待感に包まれました。
 山を降りて道路脇の木々に目を向けると沢山の花が咲いています。思った通り美しい光景です。これらの木々の花とダムを一緒に写真に収めるのもいいなと、川沿いの広場に車を停めました。この場所からは田子倉ダムを見上げることができます。川の下流を少し行ったところには、只見ダムがあります。ダムに挟まれた面白い場所です。数枚の写真を撮りながら、「自分はなぜここにいるのだろう?」と思いました。いつもなら、まだ寝ている時間なのです。「睡魔に襲われる前に帰ろう」と車に向かいました。その時です。「心配しないで。」という朝日を見たときの妻の声が聞こえました。まさか、あのときの言葉は「心配しないで。必ず『雲海』が見られるよ。」と伝えてくれていたのか?魂に問いかけると「その通り!」と返してきました。只見ダムの方向に何やらモヤのようなものが見えるけれど・・・。時刻は6時を少し過ぎていました。「日の出から時は過ぎているし、気温は上昇していくはずだ。霧は発生しない!『雲海』など見られるはずはない!」思考はそう結論付けます。さて、あなたは『直感』に従いますか?それとも、『思考』に従いますか?選択するのは自分の意識です。私は迷わず『直感』を選びました。再び田子倉ダムへ向うのです。無駄?何も起こらなくとも構わない!ただ、自分を信じるのみ!周辺の風景を確認しますが特に変化はありません。でもダムの駐車場に着けば、田子倉湖が霧に覆われているかも知れません。トンネルを抜け、駐車場に到着しました。カメラを片手に湖の方へ歩きます。澄み切った空気に美しい風景がくっきりと浮かび上がります。「霧はどこ?」・・・「ハイ終了!残念でした。」私の中で『思考』の勝ち誇ったような声が聞こえます。
 今回は『思考』に軍配が上がったようです。・・・氣分を整えてから帰ろうと思いながら、ふと、ダムの方に目を向けると、「ええーっ、嘘だろう?」という光景が・・・。ダムの壁を境にして、左(只見方面)が真っ白、右(田子倉湖方面)は澄んだ空気なのです。白いモヤの一部は、ダムの壁を駆け上がる上昇気流に押されて、田子倉湖の方へ白い筋を作って流れ込んでいきます。まさにそれは『龍神様』のようです。白い霧は濃さを増し、太陽の光を受けて幻想的な世界を創り出しています。只見の方向は、すでに濃い霧に包まれ・・・これは『雲海』ではないか!そこには、まさしく『雲海』が広がっていたのです。かつて見たイメージとは違いますが、このダムの上から『雲海』が見えるとは・・・。こんなに近くに雲との境目を感じたのは初めてです。昨夜の『田子倉ダムいる自分の姿』は、『今の自分の姿』を見ていたのか・・・。しかも、今、自分が空を翔ける鳥のように『雲海』を見ているという事実こそが驚きです。この瞬間が『現実』なのか、何度も確かめました。現実だと証明するために、何度もシャッターを押しました。



龍神様、降臨!




自然はなんて美しいのか!



 昨夜の断片的なイメージが、全てつながった瞬間でした。私は高次元の存在とつながっていると強く実感しました。同時に、白い霧の中からとてつもなく巨大なエネルギーを受け取った感覚になりました。これから先、あの時と同じように、しあわせがやって来る予感がします。奇跡は待っているだけでは起こらず、適切な選択をした瞬間に、必然かのごとくやって来ました。あなたは奇跡を起こしたいですか?もし、そう思うなら、今回の私の体験がきっと参考になることでしょう。また1つ『宇宙』を理解することができた氣分です。感謝しかありません。今回の現象は、6:30から7:30くらいの出来事でした。私が『雲海』からエネルギーを受け取った後、すぐに手前から徐々に霧が消滅していきました。振り返ると、6:30に帰宅するという選択をしていたら、この素晴らしい出来事に出会う機会を失っていたでしょう。また、眠いことを理由に、朝起きてから家を出発していたら霧はすっかり消えていたことでしょう。「逃すな、チャンスを!」と良く言いますが、タイミングは大切なのだと思います。それを教えてくれたのが、自分の『直感』だったのです。奇跡は、『自分』と『地球』と『宇宙』のエネルギーの繋がりの中で起こるもの、自分を主語にして言い換えれば、『奇跡は起こすもの』なのでしょう。この小旅行が私にそれを再確認させてくれました。いつもながら、全ての存在に感謝します。ありがとう!


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