見出し画像

「常識?」VS「真実」のオセロ対決!

 先週の土曜の夜8時頃、とんでもないものを見てしまいました。長いドライブでちょっと休憩しようと立ち寄ったコンビニで、何気なく東の空を眺めていると、あるものが目に入りました。それはほぼ円い形をしていました。UFO?いえ、違います。満月は過ぎましたが、ほぼ円い形の月でした。なんだ、つまらないと思わないでください。その月は明るく、均等な明るさで光っていました。寒い夜空に浮かぶその月は、くっきりと夜空に存在し、自発光体のように見えました。月は太陽の光を反射しているはずですが、月面の全面から均等な光を放っていたのです。球体の月に光が当たれば、中央部は明るく、外側は暗い反射光が見られるはずですが、いつも通りのすべてが明るい月が、そこにありました。まっ、いいか。と思っていましたが、昨夜は月の後ろに雲が見えたのです。イメージはタイトル上部の壁紙のイメージです。しばらくすると、手前にあった雲が月を隠していきます。雲にサンドイッチにされた月が美味しそうです。目の錯覚だと言われれば、それまでですが、フラットアース説を調べている人は、この貴重な体験の真意をご存知でしょう。常識が何であれ、自分の目で何かを見てしまったわけです。他者が言う常識など関係ありません。今私は強い意識のエネルギーを宇宙へ放っているはずです。いずれそれが、真実として、そして真実の常識として広く認知される世界が来るはずです。
 月は地球から38万kmも離れてはいません。もちろん太陽も1億5000万kmも離れてなどいません。その証拠となる写真や映像はネット上にたくさん投稿されていますが、それをフェイクと割り切ることもできます。しかし、私のように自分の目で確認した事実こそが重要なのです。雲間から差し込む太陽光が放射状に広がって地上に届く現象を「天使のはしご」と呼びますが、何度もその現象を見るたびに、いつも真実とは何かを調べたくなります。この世界には数百万人ものフラットアーサーと呼ばれる人たちがいます。簡単に言えば、地球の大地は平面で、天蓋で覆われていると考えている人たちです。このことを誰かに話すと辛い目に合うことは経験上よく知っています。でも常識という言葉で覆い隠された真実のかけらを発見してしまった以上、嘘の常識にしがみつく義理も道理もありません。真実を追求することこそが、知的好奇心であり、常識を暗記して覚えることなど、私にはどうでも良いことなのです。(教員時代は受験を乗り切りたい生徒のため、常識の「設定」を正確に教えてはいましたが・・・)昨夜、月の後ろの雲を実際に見たことは、自分をフラットアーサーだと言える貴重な体験になったと天に感謝しています。だがしかし、また一歩、世間から遠ざかってしまった・・・。
 私はフラットアーサーの一人として、いつか実現したいと思っていることがあります。それは、南極の氷壁の先へ行くことです。今は南極条約により行くことは出来ませんが、オセロがひっくり返るように、黒から白へ常識が覆された時、その冒険の旅ができることでしょう。地球(この名前にも刷り込みが・・・)を球体にしたい目的は、南極の外側に目を向けさせないためです。地球儀を見れば分かる通り、南極点で大陸は閉じられているので、南極の外側に世界が広がっているという発想は、封印させることが出来るのです。国連旗に描かれている大陸の配置で地球を見たらどうでしょうか。大地は平面であり、南極大陸は外周を取り囲む高い壁のように見えます。その外側に未知の世界が広がるように見えませんか?だから、南極条約で何人も外側の世界へ近づけさせないようにしていたのです。そんな馬鹿な!と思った方、オーストラリアのシドニーから南米のブエノスアイレスへの飛行経路を調べてみてください。シドニーから南アフリカ共和国のヨハネスバーグへの飛行経路でもいいです。その経路は、どちらも赤道を越え、前者は北米の都市を、後者はドバイを経由しているはずです。何故そんな遠回りをするのでしょうか?国連の地図で、その経路を辿ってみてください。ほぼ直線で最短距離になっていることがわかるでしょう。私は、「フラットアースを信じろ!」と言っているわけではありません。何を信じるかは、その人の選択です。ただ、自分自身で何を選択するかを決定することは重要です。選択に伴う意思表示は、集団意識を形成します。この意識のエネルギーはとても大きいもので、良くも悪くも現実化を引き起こすからに他なりません。
 冒険に旅立つ時、人は使命を抱いて出発するものです。今までの間違った常識や価値観を捨て去り、ただ自分が信じるものを追求するために!学生時代にビッグバン理論が全盛だった頃、一人の天文学者が、そこに一石を投じたことを思い出しました。その科学者の名は、「ホールトン・アープ」。彼は、赤方偏移が異なる連星を発見し、銀河、特に特異銀河の分類、クェーサーの大きな赤方偏移は遠方にあるためではないという主張をしたことで知られています。簡単に言えば、赤方偏移はビッグバンに寄らないと言うことです。このことは天文学会に大きな衝撃を与えたため、その後、彼は有名な天文台で望遠鏡を使用する許可を得られなくなったのです。酷い話です。これが、私にとって科学とは何なのか?と疑問を持つようになったキッカケでした。月の後ろの雲に氣づき、フラットアースについてイメージしていると「かごめかごめ」の童謡が思い浮かびました。

かごめ かごめ
かごのなかのとりは
いついつでやる
よあけのばんに
つるとかめとすべった
うしろのしょうめんだれ

この童謡は、いくつもの解釈が存在していますが、私には地球の一部の空間に閉じ込められた人類を籠の中の鳥に例えたものだと思っています。その経緯を知っている誰かが、いつの日か、人類がかごの外へ出られる日を夢見て、童謡にして伝え続けてきたのではないかと思うのです。夜明けの晩・・・と言う、ありえない(常識がひっくり返る)出来事の後に人類は籠から開放されるのではないでしょうか。今の世界情勢をみると、オセロがひっくり返る事実が明るみになってきています。夜明けの晩は近い!?みなさんはどう思いますか。常識がひっくり返ることに恐れを抱く必要はありません。真実を知り、その日が訪れるのをワクワクしながら待ってみませんか?人類が開放されるその時、大いなる希望に満ちた新時代が幕を開けることでしょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?