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脈絡なく黒い話

注:黒い話をします。多分フィクションです。悪い夢の話です。





次男が保育園に通い始めたのは、2歳になる直前だった。
長男は保育園に行かず、3歳から幼稚園に通っている。

手を離れた時期が遅いのは長男だが、
赤ちゃんの時期を長く一緒に過ごせたのは、次男の方だ。


長男が生後半年の頃、
夫実家の家業を手伝うことになった。
義父・義母・夫の家族経営だったが、
義母が身体を壊し、店先に立つのが難しくなった為だ。

生後半年というと、まだお座りもちゃんとできない頃。
寝返りでうつ伏せになったまま戻れない、くらいの頃。

私が店に出ている間は、義母が長男を見ることになった。
夫が強くそれを望み、
私も賛同した。
保育園も考えたが、店の営業時間に合わなかったし、
なにより長男といることが義母の活力になると考えた。

店は夫実家と同じ建物にある。
初めは仕事スペースの隣にある広間で
長男と義母と義父が過ごしていたが、次第に
3人で居住スペースへ移動する事も多くなった。

店にいる間、
長男と触れ合えるのはおむつ交換や授乳の時だけ
という日もあった。

店は週に6日間営業していた。
1日のほとんどを店で過ごした。
一人もお客さんが来ない日もあった。
長男が泣いて私を呼ぶことも多かった。
それでも、一緒にいられる時は少なかった。

長男が成長してくるとおんぶで仕事をするようになったが、
「疲れるでしょう、おろしていいよ。見ててあげるから」
という義母の言葉に義父や夫が賛同し、
私は何度か断った後に
「ありがとうございます」とおんぶ紐を解いた。

離乳食が始まると、3人で居住スペースから戻ってきた際
「長男が勝手に◯◯食べちゃった。怒らないでやって」
自分たちの食べかけを、自分たちのスプーンで食べていたと、
とても楽しそうに言われたのは一度や二度ではない。


私はそれらに笑顔で返した。


心からの笑顔だった事は一度も無い。


わかっている。
私が招いたことだ。

納得はしていたし、
義母に良い影響を与えていたのは間違いないので、
今でも後悔はしていない。
義母が長男を見ていてくれたから、安心して遊ばせていられた。
感謝もしている。

でも、だからと言って辛くないわけがない。


扉一枚隔てた向こうで、
初めての我が子が、
初めてつかまり立ちしたみたいです。
扉の向こうから聞こえる
義父と義母の楽しそうな声で知りました。
私は見ることも直接褒めることもできませんでした。
喜ぶこともできませんでした。
私は子どもの成長を見たくて子どもを産んだのに。

扉を開ければそこにいるけど、
周りが長男と義母を一緒にいさせることに固執する中
私の姿が見えれば長男は私のところに来るので
開けられなかった。

開ければよかった。


離乳食は私なりに順調に進めていたが、
アレルギーチェックや月齢に応じた食べ易さなどの概念は
義父母及び夫に無かった。言っても大げさだとあしらわれた。
もちろん虫歯に注意するような配慮も。


可愛がられて甘やかされるばかりで
目に見えてわがままになる長男の将来を守ろうとするも
「厳しすぎ」
「お母さんの好きにさせるべき」
「お父さんも長男がかわいいんだからありがたいと思え」
「子育ての先輩なんだからお母さんが正しいに決まってる」
そしてやがて私の目の届かないところへ連れて行かれる。

躾に協力してほしい。勇気を出して義母に伝えるも、
「だって嫌われたくないもの」と悲しそうに言われる。

私が何か叱り始めると「ママ怖いね~、ばば/じじと向こうに行こうね。」と、ママから守るじじ/ばばの構図を作って躾を遮られた。
間違えて叱られて修正するというプロセスを完了できなかった。
そのくせ、長男が癇癪を起して手に負えないと、
押し付けるように私に抱かせるのだ。


夫に言われた「お母さんが長男といられるのは今だけなんだから」
私は思う「長男の人生とお義母さんの今のどちらを大切にするべきなのか」


私にとっては、一番大切なのは自分の子ども。
親のために家族の人生を使う夫の気持ちが分からなかった。


幼稚園に通い始めた時、
どれだけ安心したことか。
ああ、やっと長男を解放できる。

店へ行くのを嫌がって大泣きする長男を笑顔でなだめながら
ぽろぽろ涙をこぼす日々から解放される。


次男の時は、反省を生かした。
産後3か月経たずに店へ復帰し、首が座るまでは広間で寝かせていたが、
首が座ったらおんぶして離さなかった。
何を言われても、おろさなかった。

その後色々あって店を閉めて、夫実家との密な付き合いは無くなった。

次男の成長は、全部堪能した。
幸せで幸せでたまらない。
毎日かわいいばかりが募っていく。
純粋に子どもの成長を喜べる。


長男の成長を楽しめた義母は、とても幸せだったと思う。
その時間を提供した長男は、尊い事をやってのけたと思う。
長男の存在が、どれだけ義母の笑顔を生み出したか。それだけで誇らしい。
そして義母の事は好きだし、多くの人に愛された人だし、尊敬している。

でもだからって、
私が待ち望んだ初めての母親としての時間と
長男の人生の基盤を作る時間が
犠牲になった事実は消えないわけで。


せめて私の気持ちを汲んでくれる人が一人でも近くにいれば、
壊れそうな心を無理やり押さえつけてなんとか形を保ちながら
自分の中の何かが擦り減っていくようなあの苦しみくらいは
回避できたのかもしれない。

私は元々人付き合いが下手で、友人とも長らく連絡を取っていない。
長男を産んだのは夫地元に引っ越してきて1週間後の事で、
ご近所さんの顔すら知らない状況だった。
長男は保育園に通っていなかったし、店を手伝い始めてからは
市の保育ルームなどにも行けなかった。

だから気軽に話せる人が近くにおらず、
誰かに話して発散することができなかった。
辛いという気持ちを表面に出してあげる事すらできなかった。

もしかしたら、誰かいたとしても、
自分の醜い部分を晒すようで、
身近な人には話せなかったかもしれないとも思う。

私は今、LivelyTalkという、いわゆる傾聴サービスの仕事もしている。
あの頃の私のように、誰にも言えない苦しみを抱えている人に
少しでも寄りそえたらいいなと思う。

ここまでお付き合いいただいて、ありがとうございました!あなたにいい事が起こりますように。 何かにもがいて苦しい人へ。その苦しみを、ちゃんと吐き出してください。ここで待っています。 https://www.lively-talk.com/service