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テキトー、適当


『テキトー』『適当』

これは僕がよく使う言葉です。

今まで『適当』としての意味で使ってるつもりでしたが、
どうやら人には『テキトー』として伝わっていたんだなと感じたって話です。


てきとう
【適当】
《ダナノ・ス自》
1.
ある性質・状態・要求などに、ちょうどよく合うこと。ふさわしいこと。
 「―な訳語がない」
2.
度合がちょうどよいこと。
 「―な温度」

これが本来の意味で、まぁ

ちゃんとやる

ってことなんですよね。

世間的に揶揄されている

『テキトー』とは

なんとなくで緩くどうでもいい様を
言ってると認識しています。

ここで僕の言う
『適当』
とは?その真意についてお話します。


例えば試合とかの本番が存在する、
アスリートや一流の世界。


毎日の様にトレーニングして、
本番さながらの負荷を与え続けるカリキュラム

その目的とは、
負荷の日常化
にあると思います。

人が最大のパフォーマンスを出せるのは、
やっぱりリラックスしてる時なんですよね。

筋肉の弛緩とゆうフィジカル的要素と
柔軟でここ一番の集中力を出すメンタル的要素

毎日トレーニングで負荷を与えて徐々に心身に
恒常性を持たせる
とゆうのがトレーニングの本質。

…なのでここ一番のパフォーマンスが高いんです。

そのバックグラウンドがありきでの『適当』

そのバックグラウンドがない上での『テキトー』

結果は言うまでもなく明白だと思います。

大人に毎回毎回
『ちゃんとやって下さいね!!』
って言うのもなんだかなぁ…って
思っていて、
(僕自身もまだまだ緩く過ごしてしまってるので)
今まで甘く濁してしまってた部分だと反省。


自分の仕事や取り組んできた事に対して、
『テキトー』と言ったりしてきた部分もありますが、
それはあくまで謙遜の意味合いなんです。

真意は『適当』

適度に毎日コツコツ積み重ねてきたからこそ言える
『テキトー』
とゆう表現。

↑書いててややこしいw
そら伝わりにくいよね。

僕が言いたいのは、
毎日毎日アスリート並みに研ぎ澄まして、
全身全霊をかけて取り組んできた訳じゃない。


でも最低限の努力はしてきてますよ?
ってことです。
※努力とゆうのも主観ではなく客観的な意味合い。

写真や動画のことなんて毎日考えてますし、
表現についてなんてもっともっと悩んでます。

もちろん私生活のことやそれ以外の悩みも、
いーーっぱいあって取り組んでます。

トータルで今の思考バランスが『適当』

…となった訳であります。


『適当』が出来る人って、
リラックスして本来のパフォーマンスが出せる人のみの能力なんだなぁと
最近痛感出来る機会が多かったので書いてみました。(流石にそのエピソードは書きませんw)

ほなテキトーにここらへんで終わります

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