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風の声に合わせて

味わうための文章をゆっくり読むときに頭の中で読み上げられる音声は、自分の声で聞こえるわけではないのですが、自分が発しているのものだという感覚もあって不思議です。その声は声になる前の声といったらよいでしょうか、実際に音声として聞こえるのではなく、「声」というものを想像したときにその想像を中心に回転する様々なものを凝縮したなにかとして表れるように思われます。その声色は読んでいる文章や言葉から立ち昇る独特の触感がそのまま写し取られているような響きを持ちます。適切に響く文章や言葉は軽やかに聴覚に届きます。この声は文が短く余白が多い歌集でよく聞こえてきます。余白から立ち上がるそれは風の声のようでもあります。

文章には書き手がいて、頭の中でそれが読み上げられるとき、私は確かに書き手のものとして聴きますが、同時にこれは自分の声でもあるという感覚があります。読み上げられた文章は涼しい違和感を伴って私に染みわたります。自分ではないが自分でもあるという矛盾を抱えた感覚を、それでも正当性を持って受け入れることができるのです。親しい顔をした異物が私の中心に快い風を吹かせるのです。
 
人を抱きしめる、あるいは人に抱きしめられるとき、限りなく接近して一つになるという一体感と同時に、抱きしめることで強調された相手の輪郭で相手は自分と溶け合うことのない切り離された個人であると気づくという孤独感があります。一体感と孤独感はこの行為の中で親しげに響き合います。それゆえに抱擁はそれをする人に「あの人と繋がっていてかつ独立した私」という独特の勇気を与えます。孤独の温度を確かめ合う過程で私たちは調和的な孤独を獲得するのです。これと同じようなことが文章を読むという行為にもあるのではないかと私は思います。

ゆっくり味わおうとしたとき文章は快い風として私を吹き抜けます。風は囚われていることを忘れさせ、忘れていたことを思い起こさせます。私の支配の外にありながら、それは私がずっと望んでいたものでもあります。文章から聞こえる声は風の声です。声は私を包み込んで輪郭を示します。本を閉じた後のあの感じは風が吹き抜けたときの感覚にも似ています。文章は一陣の風であるといえるかもしれません。

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